隣のゴリラに恋してる

三・悩みの相談は相手を選ぼう ⑤

「同意。教室で映像を流す形にして欲しかったね」


 俺の呟きに同意してくれたのは後ろに座るオタク仲間の橋本だ。

 チラリと振り返り体育座りをする橋本に「なー」と頷き返し、


「暑いし長いし、せめて夏休み前日か終業式の時にやって欲しかったよなー」

「たぶんさ、夏休み前は依頼が重なるんじゃない? どこの学校でもやってそうだし」

「ああ、それはありそうなー。話終わったらさっさと帰ったし、梯子の可能性まであるか」


 もう集会自体は終わったので俺らもさっさと解散したいが、残念ながら後ろの三年生から順に出て行くのでそうもいかない。出入り口付近が混雑しているのは、靴の履き替えがあるからスムーズに進まないのが原因だ。見ればまだ二年も半分以上残っているし、この分だともう五分はこのままだろうな。

 ……と、後ろを見ていたら、女子列の最後尾に座るゴリラと目が合った。睨まれた気がするのは、果たして俺の勘違いか、ゴリラだからそう見えただけなのか、それとも……


「……斎木、また強羅さん怒らせたの?」


 橋本がそう言うってことは、やっぱ睨んでいるのか。全然心当たりはないけども。


「んや。まー、ごっさんはあんま注目されるの好きじゃないみたいだから、それかも」

「よく叩かれてるからもっと他にも理由がありそうに思えるけどね……というか、強羅さんって近付き難い雰囲気あるのに、よくあんなに絡んでいけるよね?」

「まあ冷たくされることもあっけど、こっちから話し掛けたら大抵応えてくれるし、割と親切だぞ? すぐ叩くのは止めて欲しいけどさー」

「たまに後ろで聞く分には大体斎木に問題があるから、同意は難しいかなぁ」

「マジか。今もほら、イライラしてきてるっぽいぞ。たぶんまた後で叩かれるわ」


 ずっとごっさんの方を見たまま橋本と話しているから、自分のことを言われていると思っているんだろう。正解だけど、だからってあからさまに殺気を放つのは止めて欲しい。

 このままだとバレーで鍛えた一撃を食らう羽目になりそうなので、俺はごっさんから視線を外して退出する上級生達を何となく眺める。まだ四クラスは残っていて、教師の誘導に従い一列毎に順番で動いていた。

 そして今、新たに動き出そうと次の列が立ち上がり……………………?


「…………なあ、橋本ちゃんよ」

「うん? どうしたのさ?」

「…………どうして男子の列に女子がいるんだ?」


 二年何組だかの、男子列の前から二番目。そこに、茶虎の猫が交ざって並んでいた。

 まだ立ったまま待機している猫頭の生徒を凝視していると、俺の目線を追った橋本が「ああ」と納得の声を上げ、


「違う、あの人は男子だよ。背が低くて美形だけど、あんまり間違える感じじゃなくない?」

「……そうなのか? いやでも、あれは……」

「女顔っていうより格好良い系だしさ。他学年の女子からも人気あるみたいだよ。恋愛系漫画やゲームのライバルキャラみたいな人だよね」


 偏っているけど個人的には分かり易い橋本のオタクらしい寸評はともかくとして、だ。

 実際問題、俺には前から二番目のあの人が、アニマルに見えている。なので少なくとも生物学的な性別は女性のはずだ。

 これが少しややこしいのは、性と心の不一致のケースや、後天的に性別を変えた場合も、俺には生まれた時の性別で呪いが判別される。テレビで性転換した美女が出ていてもちゃんと人間に見えるし、逆のパターンはアニマルに見える。

 まあそれはさておき、あの二年生……どんな顔をしているのかは分からないし、特別な事情があって男の振りをしているか、もしくは心と体が一致せず男として生きているのか――


「……じゃ、あの人は男なんだ? マジで女じゃなくて?」


 一応、橋本に再度訊いて確認すると、やや不思議そうに頷かれる。


「そうだよ。アニゲー部の先輩が同じクラスで、名前は……三戸来那先輩、だったかな」

「ふむ……」


 なるほど。俺的には茶虎の猫だからトラ先輩ってことで覚え易…………い……


「………………なぁ、橋本ちゃん」

「何? 僕も上級生のことはあんまり詳しくないから、これ以上は――」

「じゃなくて、そのモテモテ先輩……なんかこっちを見てね?」


 俺の言葉に「ぇ」と小さく驚きの声を上げた橋本は、目立たない動作で後ろを振り返る。

 件のトラ先輩がじっとこっちを睨み付けている気がするんだけど、生憎と俺に見えているのは人間じゃなくて、猫だ。あの独特の目が、瞳孔――といっていいのか分からんけど、縦に細くなっていた。本物の猫なら警戒しているってことなんだろう。

 ただ、あの目が捉えているのが俺達なのかは確信がない。少し離れているし、何より猫の視線だもの。

 ……と、振り返っていた橋本が逆再生みたいに顔を戻し、不安げな表情で呟く。


「……凄く睨んでる……僕らの話、聞こえてたのかな……」

「……かもしれないけど、だとしたらターゲットは女扱いした俺の方だろ。背が低いって意味で捉えたのかもしれんし」

「……髪も少し長めだから、後ろ姿だけだと間違われるかもね。正面から見て勘違いするのは斎木くらいだろうけどさ」


 そこまで言うくらいハッキリと男なのか。じゃあ何か訳ありな人の可能性が高くなったな。見間違いの線はない、男女ならともかく人と猫の顔を間違えるのはどうかしてる。

 とりあえず前を向いてトラ先輩からの視線をやり過ごし、時が過ぎるのを待ちつつ、少し考えてみた。あの先輩が訳ありとして、問題はそこに触れてもいいのかどうかだ。

 性別を偽っているなんて結構な大事だし、興味本位で訊くのはまずい気がする。そもそもあの先輩とは接点がないし、知らん後輩がいきなり『どうして女なのに男の振りしてるんですか?』なんて失礼を通り越していて極刑コースでもおかしくない。

 ……と、考えていたところで、ようやく俺達の移動順が来たらしく周囲のクラスメートが立ち上がる。一呼吸遅れて俺も立って、動き出す前に一応後ろを確認しておくと、当たり前だが二年生は全員いなくなっていた。

 さっきのトラ先輩に関しては、情報を集めてからどうするか決めよう。もう一学期も終盤だから、二学期になってからでもいいか。……俺が忘れてなければ、だけど。


「……斎木、前、前。進んでるよ」

「っと、悪い」


 橋本に促され、いつの間にか動き出していた列に慌てて付いていく。クラスメートと共に蒸し暑い体育館から出ると、風が吹いていてちょっとした爽快感があった……のは一瞬のことで、靴の履き替えでごった返す入り口付近の人口密度にむげっとなる。

 ご丁寧に座って履き替えている生徒もいるから時間と場所が必要になるのは仕方ない中、スペースを探す級友達を後目に俺はさっさと校舎に向かう。体育館シューズは待っている間に脱いであるから、上履きには校舎に移ってから履き替えればいい。靴下が汚れるのは貴い犠牲ということで。

 ……が、校舎に続く簀の子を敷いた通路の途中、


「――そこの一年男子。ちょっと顔を貸してくれ」


 突然声を掛けられたが、その前に俺は自然と足を止めていた。校舎の入り口の前に待ち構えるように立つ、ズボンを穿いた猫頭の生徒に気付いていたからだ。

 近くで見ると茶虎の毛並みにシュッとした美猫が、真っ直ぐに俺を見据えている。身長は、百七十ちょいの俺より明らかに十センチ以上低い。

 そんなトラ先輩のキャッツアイが鋭く光り、無言で近付いてきたかと思うと俺の手首を鷲掴みにした。


「え、いきなり何を、」

「いいから、来るんだ!」

「ちょっ!? 靴っ、俺まだ上履きも履いてないっ」

「そんなの、後だっ!」