隣のゴリラに恋してる
四・呪われた猫先輩 ⑥
「……………………反応しすぎです。失礼な」
「…………や、うん、ごめん……」
不満げなごっさんに辛うじて謝ることが出来たものの、俺の心臓はハイスピードで暴れ回っている。
――だって、ゴリラがバナナ食べてるよ? 動物園でもまず見られないお宝映像だよ?
気まずげにバナナを頬張るごっさんから目線を外せず、俺は「んんっ」と喉を鳴らし、
「ごっさんは遅めのデザートタイムか? けど、他の連中は?」
「…………んっ…………ふぅ……先程急に移動教室になると知らせが入って、視聴覚室に行きましたよ。私は、これを食べてしまいたかったので……」
「へー、部活前のおやつにすりゃ良かったのに」
「……まだ二本残っているんです。今日は朝食を食べる時間がなくて、母に渡された物をそのまま持ってきたら、バナナ一房だったので……」
「にしても、随分とギリまで食べてたんだな?」
「…………あまり人前で食べる姿を見せたくなかったので。以前、からかわれたことがありますから」
そうか、名前でゴリラ弄りされていたごっさんからしたら嫌な思い出に繋がる訳だ。危うく地雷原に足を踏み入れるところだったか……
喋りながらごっさんは教科書を持って立ち上がったので、俺も急いで自分の机から教科書を出して準備をし、
「じゃあごっさん、視聴覚室まで競争な! 負けたらジュース奢りで」
「別にいいですけど……斎木くん、教科書しか持ってないですよ? 筆記用具は?」
「ほ? ……おおっ、うっかりしてた」
言われて初めて忘れ物に気付き、俺は慌てて机の中を覗き込む。そして奥にあった中学時代から使っている筆箱を取り出し、意気揚々と振り返り、
「よっしゃ、待たせたなごっさ……ん?」
さっきまですぐ隣にいたごっさんの姿がなかった。
もしやと思い近くの机に足をぶつけながらも入り口に駆け寄り通路に出ると、遙か向こうに走り去るセーラーゴリラの後頭部が見えた。
「ぅおおいっ!? マジかこのっ」
慌ててダッシュで追うも、隣の校舎の一つ上の階にある視聴覚室に着くまでの間、まるで距離が埋まる感じがしないままにゴール地点に到着。最後は俺が着く前に視聴覚室の重いドアが閉まるのを見るという幕切れだった。
「くっ……普通によーいドンでも負けていた可能性あるな、これ……!」
敗北感にやられつつ、俺は上履きを脱いで視聴覚室に入る。丁度でチャイムが鳴って、俺以外のクラスメートは全員集合していたが先生の姿はなく、教室の席順と同じ並びで座る皆にそそくさと紛れた。
右隣のごっさんは素知らぬ顔で前を向いていたが、先生が来る前にさっきの件を問い詰めてやらんと。
「……ごっさん、酷くね? あんなん有りなの? スポーツマン精神はどこに捨てたの?」
「……競争と言い出したのは斎木くんですし、男女の差を考慮すれば妥当なハンデです」
「……あんなん金メダリストでも追いつかんって……くっそ、ごっさんがそこまで勝ちに汚いとは……」
「……勝ちは勝ち、ジュースは頂きです。ほら、いつまでもごねていたら授業が始まって先生に怒られますよ?」
最初から最後までこっちを見ることなく淡々と言いのけられ、俺は負け犬らしくうなだれて「次こそは……!」と呟く。
そうこうしていると『課題も授業時間延長もなし』で生徒から人気の矢野センが入ってきたので、俺は大人しく座り直した。
程なくして矢野センから簡単な説明の後、教室を暗くして資料映像という名の短編ムービーが始まったのだが……俺はこっそりと何度か、隣のごっさんに視線をやってしまった。
暗くてもしっかりゴリラで、凛々しさはあっても可愛らしさはない。強そうだし怖さもあるし、付き合ったりイチャイチャしたりする想像なんて全然出来ない、というかしたくない。
……でも、さっきのやり取りで妙に高揚している自分がいるのは間違いなかった。
あんなん男同士でもやるし、友達のじゃれ合いみたいなもんだ。恋愛感情に繋げる方がおかしい。
ただ……自惚れなのかもしれないけど、ごっさんは他の男子だったら付き合ってくれなかったと思う訳だ。どちらかというと孤高なキャラで、女子同士でつるむこともほぼないし。
そして俺は、『ごっさんが俺だから付き合ってくれた』という夢見がちな妄想を、びっくりする程喜んでいる……らしい。なんかドキドキしてるもん。いや走ったせいも多少はあるだろうけど。
やっぱり、ごっさんは特別なんだと思う。だって俺以外の男と同じことをしたら嫌だし。友達相手にはあんまり抱いたことのない感覚だ。独占欲ってヤツなのかもしれない。
となると……俺がごっさんを好きだとして、問題がいくつか。
まず、キスしたいとは思えないこと。好きならそれでいいのかもしれないから、これはまあ後回しでいいか。
次、トラ先輩の件。果たしてごっさんに好意を抱いている場合、トラ先輩を好きになるのは可能なのかどうなのか。ゲームや漫画では『どっちも好きだ!』からの『じゃあ今回はこっちのルートで』と同時攻略もいけるけど…………あれ二次元世界の話だしなぁ……
そして一番の問題は――ごっさんに好きになって貰う自信が、やっぱりないってことだ。
しつこくすると嫌がるだけだしなー。休日にわざわざ会ってくれるタイプでもないし。プレゼント……もキモがられそうな予感するわ。
辛うじて『それなりに話すクラスメート』のポジションにいるけど、ここからのステップアップは超難関だよ。ごっさん、ゲームなら絶対に少しでもフラグ管理ミスったら攻略失敗する難度のキャラだよなぁ。
ううん、前途多難だなぁ………………にしても、さっきのごっさん…………バナナだもんなー……貴重なゴリラのバナナタイム…………っく……
ヤバい、笑いが込み上げてきた。暗いせいか、さっきの衝撃の光景が鮮明に思い出される。教室ってのがまたシュールで、いっそ背景がジャングルなら……いやそっちの方がヤバい、野生とセーラー服とバナナの組み合わせは反則級だわ……!
駄目だ、笑いを堪えてはいるけど限界に近い。肩が震えているのが自分でも分かる。
暗くてバレ難いのが唯一の救いだから、流されている短編ムービーが終わるまでにどうにか整えて…………ん?
不意に横から腕に触れるものがあって、見ればごっさんが二つ折りにした小さな紙をこっちに寄越していた。あくまでも視線は前のスクリーンに向いたままで、折った紙を指で挟み、それで俺の右腕を軽く突っついている。
紙のメッセージの回しなんてデジタル時代に真っ向から反発するような古風かつごっさんらしくない行為だが、チラリと見ればゴリラが声に出さず『読んで』と言っている気がしたので、俺はスクリーンの明かりを頼りに開いてみた。
愛の告白みたいな浮かれ勘違いは流石にしないけど、やっぱりこういうのはわくわくするしドキドキもする。
胸を膨らませて確認すると、小さなメモ用紙サイズの紙には小さな文字で、『一人でにやにやして気持ち悪いです』と………………なるほど……
うん、凄まじい攻撃力のメッセージだわ。楽しい気持ちは一発で木っ端微塵だよ。
つーかごっさんに見られてたんか…………うっわ恥ずかしい……! そしてマジでキモいな、俺……!
どうやって好感度を上げようか考えていたのに、的確に評価をだだ下げるアクションを取ってしまうとは。
はー………………終わった…………もしくは、元々終わってた……?
失意でガックリうなだれた俺は切実にセーブ&ロード機能が欲しくなったが、まあそんなもんどうにかなるはずもなく。
短編ムービーが終わるまでヘコんでいたら、明かりが点いた後で先生に寝ていたと勘違いされるオチまでついて、呪い関係なしにお祓いを受けに行きたい気分になった。