神様を決める教室

第一章 英雄たちの学び舎 ①

 最愛の人物をこの手で殺した。

 歩き方を、話し方を、生き方を……殺し方を教えてくれた恩師だった。

 あの人のおかげで世界が広がり、こんな地獄のような日々の中でも希望を見出せたというのに――。

 その恩師を、自らの手で殺してしまった。


「師匠」


 ナイフの刀身を首筋にあてる。

 このナイフもあの人から貰ったものだった。大事な仕事道具として……そしてを守るためのものとして、大切に使うよう言われていた武器だ。

 一夜ごとに丁寧に手入れしていたものだった。しかし今やそのナイフはボロボロで、命を預ける道具にしてはあまりにも心許ない。刃は毀れ、柄には亀裂が走り、先端は潰れ、刀身は傷だらけだった。こんな……こんな荒々しく使うためのものではなかった。

 誇りが汚れた。

 師匠から譲り受けたものも、師匠そのものも、自らの手で壊してしまった。

 だから――――。


「貴女がいない人生なんて、意味がない」


 ナイフを引く。

 鮮やかな赤い液体が飛び散った。焼けるような痛みを首に感じる。でも本当に痛いのは首ではなく心だった。

 生きる理由を失っただけではない。それを自らの手で消してしまったことが最大の苦痛だった。この世界は地獄だとずっと思っていたけれど、ここまで狂っているとは思わなかった。

 来世で会えるなんて甘い希望は持っていない。

 ただ、せめて師匠には穏やかな眠りについてほしい。

 そう思いながら、少年は静かに息を引き取り――――。


「おや、来ましたか」


 次に目を開けると、真っ白な空間に立っていた。


「――は?」


 何故、生きている。

 思わず首筋に触れたが、傷一つない。握り締めた掌の感触も、地面を踏み締める足の感触も生きていた頃のままだ。


「怯える必要はありません。貴方は選ばれたのですから」

「選ばれた……?」


 目の前には、スーツを着た男が立っていた。

 だが、ただ者ではない。なにせその男、背中から一対の白い羽が生えている。

 夢かな? そう思って頬を抓ったが、ちゃんと痛い。正面に立つスーツ姿の男は微笑ましそうに少年を見た。まるで今までもそうしてきた者を見守ってきたかのように。

 その時、少年は気づいた。男の背後に大きな建物が見える。

 ……なんだ、あの建物は?

 とにかく巨大だ。城のようにも宮殿のようにも見える。しかしそれにしては飾り気がないというか、地味な印象だ。

 市役所? 病院? …………いや。

 ………………


「ようこそ――神様を決める教室へ」










 広い講堂の中に、数千人ものが集められていた。

 これだけ多くの人が集められているにも拘らず、講堂は静寂に包まれている。まるで、いつ死ぬか分からないとでも言わんばかりに彼らは緊張した面持ちで口を噤んでいた。

 そもそも、彼らはなのだろうか? ――そんな疑問を抱いた。

 角が生えた者。翼を生やした者。獣の耳や尻尾が生えた者。肌が青い者。髪の色や目の色もバラバラだ。体格も、赤子のような体型の者もいれば、大木の幹のように太い腕の者もいる。

 人々の警戒心によって空気が重たくなっていく中、足音が響いた。

 カツン、カツンと規則正しく聞こえてくる音に、少年少女たちが前を向く。

 グレースーツを身に纏った男が壇上に立っていた。オールバックにした灰色の髪。鋭く、ぎらついた瞳。服の上からでも分かるほど鍛え抜かれた肉体。歴戦の猛者を彷彿とさせるその男の風格に、講堂の空気はまた違う意味で張り詰めた。


「学園長のアインだ。これより入学式を執り行う」


 入学式。

 その言葉を聞き、少年少女たちは目を見開いた。

 本当に、始まってしまうのか。

 は事実なのか。


「既に案内人から話は聞いていると思うが、ここは諸君が知る世界ではない」


 マイクなんてないはずなのに、アインと名乗った男の声は講堂中に響いた。


「ここは神界しんかい。神の世界だ。一部では天国とか死後の世界とか呼ばれているようだが、似たような場所だと思ってくれていい。本来なら諸君が自由に足を踏み入れられる場所ではなく、存在自体が秘匿されている世界だ」


 アインは講堂に集まる少年少女たちをざっと見て言う。


「では何故、諸君が今ここにいるのか。――それは選ばれたからだ」


 アインの瞳が、鋭く研ぎ澄まされる。


「諸君は、次代の神候補に選ばれた」


 アインの鋭い視線に、少年少女たちは射貫かれる。


「ここには、あらゆる世界で死した者たちが集められている。だが、いずれもただの死者ではない。諸君は生前、誰よりも強く輝き、国や世界を救ってみせた英雄たちだ。だからこそ次の神に相応しいと判断された」


 アインの言葉には微かな敬意が含まれていた。

 この場に集まる英雄たちの、生前の行いに対しての敬意だ。


「諸君を試すための舞台が、この学園だ」


 眼下の少年少女たちの混乱なんて気にも留めず、アインは話を続ける。


「これから諸君には、この学園の生徒になり、競い合ってもらう。次の神になるための教育を受け、過酷なを乗り越えるのだ」


 まるで、値踏みするような目でアインは少年少女を見た。


「生き残って神になることができるのは、たった一人の生徒のみ。それ以外の生徒は全て、本来の死者と同じようにこの世界を去ることになる」


 即ち、死ぬ。

 元よりここに集められた者たちは一度死んでいるが、どういう理屈か、生前の記憶を保持したままこの場で活動している。ここはさながら生と死の狭間なのだろう。だが神になれなければ狭間から追い出され、正真正銘の死を迎えることになる。

 誰かの身体が震えた。それは武者震いかもしれないし、死への恐怖かもしれない。

 要するに、これから始まるのは――バトルロイヤルだ。


「神の座に興味がない者には辞退するという道も用意している。だが神になれば、。かつて生きていた世界を変革することも、己の過去を変えることも……」


 そこまで言って、アインは不敵な笑みを浮かべる。


「諸君、存分に励むがいい。己の中の正義を燃やし、覚悟と共に日々を生きよ。競い合い、戦い続け、耐え忍び、息を殺し、その末に辿り着いた尊き生き様を神に見せつけよ。我こそが次代の神であると強く願い続けろ」


 アインは力強い声で言った。

 じきに、戦いの火蓋が切られる。そう予感させる声音だった。


「まだ分からないことも多いだろう。そこで諸君には一人につき一体の天使を与える。彼らは主である諸君に絶対の忠誠を誓う、優秀な補佐役だ。まずは彼らに会いに行くといい。寮の部屋で待機しているはずだ」


 そう言って、アインは一息ついた。


「期待しているぞ。次代の神候補たちよ」


 アインが壇上から降りる。

 入学式が終わった。しかし生徒たちはまだ講堂から出ず、棒立ちになっている。

 この世界に来た直後、あの黒スーツの男から、これから何をするのかざっくり話は聞いていた。だがどこまで信じればいいのか分からなかった。

 しかし、どうやら本当に始まるらしい。

 たった一人の神様を決めるための戦いが――。