神様を決める教室
第一章 英雄たちの学び舎 ②
◆
いつまでも混乱しているわけにはいかないし、取り敢えず寮へ向かった。
学生寮は男子寮と女子寮で別れていた。一階のカウンターには寮母がいて、彼女に名前を伝えると部屋番号を教えてもらえる。寮母の背中からも一対の白い羽が生えていた。
階段を上り、二階にある宛がわれた部屋へ入る。
玄関の向こうにはキッチンがあり、その奥にもう一つの部屋があった。いわゆる2Kの間取りで、全体の広さは十五畳ほどである。家具は一通り揃っているしベランダもあった。独り暮らしには充分な設備だ。
「あれ? いない?」
学園長の話によれば、この部屋に天使が待機しているとのことだったが、いない。
扉の前に立った時点で気配がないとは思っていたが……何かの手違いだろうか? 洗面所やトイレの中も一応確認してみるが、やはりいなかった。
「うーん……」
やることがないので、取り敢えず習慣をこなすことにする。
ベランダに出て外の景色を確認した。一階にはそのまま着地できるし、上下左右の部屋にも飛び移れるだろう。――逃走経路の確保完了。
換気扇や照明、小さな家具や調度品などを細かく観察し、何か変な物が取り付けられていないか確認する。――盗聴器の類いはなし。
その他、この部屋の間取りで想定しうるトラップも一通りチェックしたが、特に見つからなかった。ひとまず安心してもいいようだ。
だが部屋を調べる過程で、妙な違和感を見つける。
「……コンセントが、ない?」
ついでにテレビもないが、これはまあいいとして。
電子レンジや冷蔵庫、ガスコンロのようなものはあるが、いずれもコンセントやガス栓には繋がっていなかった。しかしそれぞれスイッチを入れて使用することはできる。
「なんだこれ? どういう理屈で動いてるんだ?」
よく見れば水道もない。どこから水を引いているのだろう。
意味が分からず首を傾げていると、外からドタドタドタ! と大きな足音が聞こえてきた。
「遅れてすみませーーーーーーーーーーーーん!!」
扉が開いて何者かが現れた瞬間、身体を翻した。
枕元の小さなテーブル。その上にあったボールペンを手に取り、蓋を開く。
そして、ボールペンの切っ先を来訪者の眼球へと突きつけて――。
「ひいっ!?」
「あ、ごめん」
突如眼球にペン先を突きつけられた来訪者は、腰が抜けたように尻餅をついた。
「す、すすす、すみません……ち、遅刻してしまって……い、命だけは……っ!!」
「大丈夫。大丈夫だから落ち着いて。僕も少し気が立ってたみたいだ」
ペンに蓋をして、来訪者を部屋の中に招く。
夕焼けのようなオレンジ色の髪をツインテールにしている少女だった。肌は白くて、背は低い。そして案の定、背中から一対の白い羽が生えている。
「君が天使?」
「は、はいぃ……パティと申しますぅ。本日付けで、ミコト様の天使になりますぅ……」
出会い頭に半泣きにしてしまった。
ちょっとだけ罪悪感を抱きつつ、パティの口から自分の名前が出たことで疑問を抱く。
「僕のことは知っているのか?」
「あ、はい! 我々天使は、担当する生徒のことを事前に調べていますから!」
気を取り直したのか、パティは両手で目元の涙を拭い、ぱっちりと瞳を開いた。
「名前は
「……まあ、そうだけど」
思ったよりも知られていたので驚いた。
名前や年齢は大した情報ではないが、ミコトの個人情報は仕事柄、徹底的に漏洩対策が施されている。それを掻い潜る技術がこのポンコツっぽい天使にあるようには思えないが……。
「ミコト様! この学園のことなら、なんなりと私に質問してください! 私たち天使はそのための存在ですから!」
パティは胸に手をあてて言った。
「じゃあまず、今後の予定について教えてくれ」
「承知いたしました!」
頼られたことが嬉しいのか、パティは張り切った様子を見せる。
「本日の予定はもうありません。授業を含む学園の行事は明日から始まります! なので今日一日は、この学園を理解するために使っていただくことを推奨します!」
今日はもう自由らしい。
それなら多少はのんびり過ごしてもよさそうだ。
「食事はどうするんだ?」
「寮の一階に食堂があります。購買では食材が売っていますので自炊も可能です。ただしどの世界の食材が売っているかはローテーションで決まりますので、自炊をするならあらかじめチェックすることをオススメします! ちなみに今はアレスタンの食材が売ってます!」
どこだそれ。
アレスタンなんて地名に聞き覚えはない。
「教材は? あと服装は何でもいいの?」
「教材は各科目の最初の授業で配布されます。筆記用具は机の上にありますし、購買でも買えます。服装に関してはクローゼットにある学生服を使ってください」
「ふぅん」
ミコトは机の上に置かれた「手引き書」と記された書類を手に取る。
パラパラと捲って内容を確かめながら……。
「……学生服か。初めて着るな」
「初めて、ですか? ミコト様がいた国にも学校はあったと思いますが――」
そこで疑問を抱かれるとは思っていなかったのか、パティは不思議そうに答える。
しかしその途中で、パティは己の失言に気づいたかのように顔面蒼白となった。
「た、大変失礼しました! ミコト様は、その、学校に通ったことはありませんでしたね」
そこまで知っているのか――。
別に隠していたことではない。話の流れでこちらから補足するつもりではあったが、既に知られていたことに驚愕した。
「……学校っぽいところには通っていたけどね」
ミコトは普通の学校に通ったことがなかった。だから義務教育を受けていない。とはいえ一般教養を学ぶ機会は別口で用意されていたので、常識に疎いわけでもなかった。
学校に関する知識も最低限はあるため、建物の外見や制度くらいは知っていた。しかし最低限の知識しかないので、今回のように疑問が湧くこともある。
「パティは、僕のことをどこまで知ってるんだ?」
変に探りを入れるよりも直接訊いた方が早そうだと判断した。
「えっと、簡単なプロフィールと経歴を知っているくらいです。好きな食べ物とか、ご趣味などについてはまだ知りません」
「経歴っていうのは具体的に何を知ってるんだ?」
ミコトがそう尋ねると、パティは視線を下げ、申し訳なさそうに答える。
「……私は、ミコト様が生前に何をしていたのか、知っています」
「……そうか」
小さく溜息を零し、パティを見つめる。
天使と名乗るだけあって、純真無垢そうな少女だった。そんな少女が知るには少々気分が悪い情報だっただろう。
ミコトは同情する。……こんな自分に仕えることになってしまった、目の前の少女に。
「衣類に関してですが、クローゼットにはミコト様が生前使っていたものも入っています」
パティが部屋のクローゼットを開ける。
そこにはミコトが生前使っていた服が何故か揃っていた。黒いシャツ、黒いズボン、黒いコート、黒い帽子。機能性以外、何一つ考えられていない衣服たちだ。
その隣には見慣れない服が吊るされていた。白いブレザーに赤いネクタイ。これが学生服なのだろう。
白色はあまり着慣れていないので少し抵抗を感じていると、パティがじっと学生服を見ていることに気づいた。
「ミコト様の制服は、このような形なんですね」
「制服なんだから、皆同じ形じゃないの?」
「大体同じなんですけど、生徒の個性によって少し改造されることが多いんです。裾の丈とか色とか、変化があって面白いんですよ!」
「ふぅん。……じゃあ僕の制服はどこがアレンジされてるんだ?」
ミコトの問いに、パティは一瞬だけ言葉に詰まった。
「…………その、ミコト様の制服は、何もアレンジされていませんね」
つまり無個性と言うことか。