「校長の名前が藤原基経で、生徒会長が菅原道真、二年の学年主任が橘広相ですよーって書いておけばいいんじゃない?」
「その事実がどんな層への求心力に繫がるんだよ」
せっかくの意見にもクラス委員の金子は首を捻り、唸った。こっちとしても首を捻りたい問いかけをされたのだから、無理もない。
来年の受験生に対するパンフレットの作成で、我が校の特徴を片端から尋ね回っているクラス委員に教室の入り口で捕まっていた。しかし、当校は、いや街自体が基本的に何の取り柄もない田舎だから、親が冗談で名付けたと邪推してしまいそうな姓名の学校関係者を羅列することぐらいしか思い浮かばない。これが精一杯の回答だった。
「他には……この前当校の学生が惨殺されましたとか……」
「そりゃマズイだろ」
金子が苦い顔で却下する。少々、不謹慎だったか。
「まあ、自由な校風とか開放的とか、そんな感じに書いておけばいいんじゃないかな」
最後は、個性と捻りのない凡庸な返答に落ち着いた。金子は、それは聞き飽きたといったように苦笑してから、軽く息を吐いた。
「本当はさ、こんなことしてねーでとっとと部活行きたいんだよね」
「部活? 今は危険だからって禁止のはずだろ?」
「大会近いのに、うちの部長がそんなこと認めるかよ。深夜まで未公認でバリバリだよ」
金子が夜更かしを自慢する小学生みたいに得意気でいると、その背中を押すように女生徒が現れた。同級生の御園マユだった。押し退けるように金子と扉の間を抜け、廊下に出ていく。
「あ、ちょっと」
金子が咄嗟に、その背中に呼びかける。御園さんは、普段の落ち着いた印象とは異なり、睨みつけるように振り返った。
「なに?」
「あ、いやー……」
その喧嘩腰の態度に気圧されたように、金子はだらしない笑みを浮かべて目を泳がせる。こちらに横目で助けを求めていることに気付いても、無視して御園さんをジッと見つめていた。
「……なに?」
もう一度問いかける。表情に、怪訝を伴って。
御園マユはなかなかに美人と評価する。いや、正直に言えばかなり美人、いやいやとてつもなく美人と個人的に判定する。ようするに、大変好ましい。花丸だ。
セミロングの髪は一度染めてから飽きたのか、茶髪の残骸が黒髪に埋もれている。ブレザーの裾から覗けるシャツは、蒸し暑い十月上旬に真っ向勝負を挑む長袖だった。
「わたし、用事があるんですけど」
同級生にも、御園さんは丁寧語で接する。他人への拒絶を図る姿勢。けれどそれは、壁ではなく、牽制として取れる。
人を怖がっている小動物が、御園さんに対しての印象だ。
「呼び止めてごめん。急ぎの用があるなら、別にいいんだ」
金子の代わりに答える。御園さんは「そうですか」と小さく呟き、階段の方へ足早に、しかし左右に落ち着かない足取りで向かっていった。
その背中を眺めながら、金子が肩の強張りを解いて軽く深呼吸する。
「御園って、あんな怖かったっけ」
「さあ……。節分の鬼役の予行演習でもしてるんじゃないかな」
本当はあの態度の理由を、九割九分九厘の確信を持って説明することは出来る。金子は尚も首を捻っていた。さっきから首が垂直に戻っていない。
「最近ミョーに帰るの早いし……」
軽く訝しみながら、教室を振り返る。こちらも釣られて横目で見る。
まだ教室には、ほとんどの生徒が残っている。教科書を詰め込む者、隣近所と談笑する者とそれぞれではあるけど、御園さんの席が廊下から最も遠い場所であることを考慮すれば、異例の速さといえる。
「用事があるなら、別に普通だと思うけど」
「毎日あんの?」
「あるんじゃない? かーちゃんが入院して見舞いとかいくらでもさ」
噓だけど。
「それにどーせ聞いたって、聞き飽きたような答えが返ってくるだけだよ」
適当なフォローをする。金子は気が抜けたように頭部を人差し指で搔いてから、ようやく首を真っ直ぐに戻した。
「ま、そーなんだろうけどさ。でも、あいつが自由とか開放的とか言っても、違和感があるよなあ」
「そうだね」
そんなこともない。反論の余地はあったけど、早めに会話を切り上げるために、適当に同意しておいた。
「それじゃ、そろそろ帰るよ」
「ん、ああ。また明日な」
大雑把に手を振り合って別れ、廊下を歩き出す。廊下は、温い昼下がりの日光を浴びて、停滞した空気を形成している。そんな、温かみで淀んだ空間を足早に突っ切り、隣のクラスを横目で眺めながら階段を一段飛ばしで下りていった。
そして昇降口の下駄箱で、慌てたように靴を履き替える御園さんが、校門を出て十秒経ったことを確認して、その背中を一定の距離を開けて追い始めた。
今日の放課後は、探偵ごっこをして遊ぼうと決めていた。
ここは田舎で取り柄のない街だけど、最近はテレビという全国ネットで名前を挙げられる機会が増加し、主に警察の注目が集まっている。二つの事件が起きたからだ。まあ、犯人は同一犯の可能性もあるから、二件として扱うかは人それぞれだ。
連続殺人事件と、一つの失踪事件。
ここ何ヶ月もの期間に街を襲っている、悪意の極み。特に殺人事件なんて、この街で起きたのは、侍が刀を振り回していた時代まで遡らなければ確認出来ないほどの大事件に等しい、とまで言ってしまえばそれは言いすぎの領域に入るけど、とにかく八年に一度の出来事には違いない。
四十代の中年のオッサンが、公民館の脇の路地で惨殺死体として発見されたのが皮切り。胸元を刃物で抉られたのが死因だが、その後目玉は刳り抜かれ、左手は指が全て切断され、耳は半分だけ切り込みが入れてあった。犯人の遊戯の一環と見られ、精神障害者と世間で騒がれた。次は、七歳になる小学生の男の子。今度は、顔面が原形を留めないほど刃物で貫かれていた。この事件以来、小学校では集団登下校を実施し、授業終了の日程も昼までとされて警戒に当たっている。自治会も夕方には総出で巡回を行い、殺人鬼を払拭するべく警察の協力も全面的に得られた。それでも今現在、犯行の防止、犯人の割り出しに高い効果は見受けられない。
そして更に、殺人以外に発生したのが三週間前の失踪事件だ。小学四年生の男子と、二年生の女子の兄妹が、黄昏時に失踪した。外で不用意に遊ばないというお達しを町内全体で流していたけど、効果はなかったらしい。今までの事件とは異なり、死体が発見されることはなく、誘拐されたのではないかと世間では噂されている。その為、既存の殺人事件と同一犯と捉えるかは、警察でも悩みどころらしく、両方の線で捜査を進めている、と週刊誌で取り上げられていた。更にその雑誌は、取り分け誘拐という出来事を強調して特集ページまで設けて、過去の事件と結びつけようとしていた。
「…………………………」
御園さんを尾行し始めて、二十分以上経っていた。
遺憾ながら尾行初挑戦の身の上であり、ましてストーカー経験があるわけでもない故、毛も生えていない素人と言わざるを得ない。その為、尾行する際の適切な距離というものが十分に摑めない。本でも買って勉強しておくべきだったかと、僅かに後悔の念が過る。