嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん幸せの背景は不幸

一章『再会と快哉』 ②

 そのさんの背中が辞典ほどの大きさに見える程度にきよを取って歩く。田舎いなかの、人通りのないたんぼ道を通っているから、おんな空気を感じた際に身をかくしやへい物もない。り向かれたら、用水路にでも飛び込むかくと準備が必要だ。しかし幸い、御園さんは背中など気にかけることもなく帰宅路を進んでいる。本人的には急ぎ足のつもりらしいその足取りは、左右にれて定まらず、かといって熱におかされているわけでもない。

 やがて、そうされた道路に入り始める。ぽつぽつといつけんも見受けられるようになり、他人の生活区にみ込んだ気分になった。

 御園さんは額や首筋のあせをハンカチでいている。夏服でも汗が浮かぶような気候で、相当に熱気を帯びているのだろう。それでも、ねこぜんけい姿勢で減速はしない。ちゆう、犬の散歩をしていたじいさんにしやくされたけど、御園さんのせまい視界には入っていなかったらしく、完全に無視していた。仕方なく、爺さんとすれちがった際に代役として二度頭を下げておいた。爺さんは、首をかしげて意味をうかがうように犬を見ていた。


「しかし、意外と遠いな……」


 自転車の使用をこうりよすべき距離だ。けど御園さんが自転車に乗れないことは知っている。へいこう感覚が正常ではないのだ。そのうえ、遠近感も満足につかめていない。だから御園さんは階段をしようこうする際に、手すりがひつとなる。バレーボールでもボールにれることさえかなわず、バスケットボールではパスされたボールを顔面で受け止め、ほうったシュートがリングどころかボードにも当たらないことだってある。……断っておくがストーカー情報ではない。今の行いは純然たるストーキングに思えるかも知れないが、それは似て非なるモノだ。

 住宅街に入る。田舎の土地持ちが高値でばいきやくした田園のあとの上には、建て売り住宅の看板が目立つ。数年前からかかげているはずだけど、その看板が減ったおくはない。明らかに失敗だ。企業はまず、自分がこのような頭にドの付く田舎に在住したいかを想像してから建設に踏み切るべきだ。

 人気のない建築物の群れを通り過ぎて、御園さんは交差点をえた先にあるスーパーへ向かっていく。彼女が信号のない道路を越える際、右足に左足を引っかけててんとうしそうになり、そのまま飛び出して支えたくなったが、こぶしにぎってこらえた。

 御園さんはよたつきながらちゆうしや場を通ってスーパーの店内に入っていく。外にある花と野菜の売り場は、時間帯のためか客の姿もまばらだった。店内まで深追いはせずに、少しはなれたはんの前で、何を買うかまよっているようによそおい、買い物を済ませるのを待つことにした。


「…………………………」


 しつそう事件にまき込まれたのは、ここから近場の小学校の生徒だった。今も、そして昔も。

 八年前にも一度、失踪事件が起きた。三十代の男性が小学三年生の男女をゆうかいし、一年近くかんきんして、暴行と性的ぎやくたいあたえた。最後は犯人の死亡で解決したその事件をほう彿ふつとさせるような今回の件で、第二の彼がこの街に、とうわさになっている。つまりみな、失踪ではなく誘拐事件が再発したととらえているのだ。

 しかしこれは、へんけんの一種じゃないかとふんがいしたくなる。ゆうかい犯が、彼女である可能性はこうりよしてないのか、とたずねてやりたい。別に営利誘拐であるなら女性だって行うだろうし、いじくいて殺害するのがしゆだとしても、不都合は一切ない。全く、女性に失礼だ。女性べつはなはだしい。

 社会こうけん度の高い問題について一人でもつこうし、はんの冷たいのボタンを押して出てきた生温かいお茶を飲みながら、そのさんの買い物を待ち続ける。


「…………………………」


 とかく女性は買い物にかける時間が長いという、じゃあ男は買い物が短くないと示しがつかなくなってめんどうじゃないか、とひねくれた意見をとなえたくなるような言葉があるけど、当てはまる事例を体験すれば、せいこくている気がしてくるものだ。


「……なげえ」


 七本目のお茶を飲みし、かんをゴミ箱に投げ捨てる。段々と気持ち悪くなってきた。プールでおぼれた時のようにけんが痛い。すでに四十分近く自販機の前でお茶吸引係をになっている。時を同じくして商品を納入しに来たトラックのお兄さんが、仕事を終えてちゆうしや場にもどってきた時に、変わらない光景を見て、あやしい人を見る視線を投げかけてきた。誘拐犯と思われたかも知れない。好青年っぽくしやくをしてみた。殺人犯と思われたかも知れない。

 そんな心温まる交流を経てからさらに二十分、計一時間をティータイムに費やしようやく、御園さんはふくろを左手にげてもどってきた。時間と品数がとてもみ合っていないことが、胃の中でれるお茶のむなしさを増加させる。

 自販機の周囲を回り、御園さんの視界に入らないようにやり過ごす。彼女の袋からはみ出たりんは何度も万有引力の法則に従うように落ちる。それを拾い上げることをり返しながら交差点に引き返し、クラクションを鳴らされながらよたよたとわたる。もしこの場で御園さんがかれたら、そくけ寄るかだつごととうそうすべきか迷いながら、すみやかに交差点を渡った。

 御園さんは交差点を右に進んで、新興住宅街の中心部へ向かう。そのアパート、マンションといった貸家が並ぶ地区に、一人暮らしの女子のすみはある。水色というみようさいしきかべのマンションに、御園さんは林檎を落下させながら吸い付いていく。そして、入り口に吸い込まれた。放置された林檎を拾い上げて、彼女がエレベーターに乗ったことをガラスしにかくにんしてから入り口の自動ドアを通りけた。

 入り口よりすぐのホールからろうえると、芝生しばふばゆい庭が広がっている。一階は様々なてんつどっていて、下見した時にはCD屋に本屋、それにまんきつまで備わっていた。実にそうごんで立派な、学生が暮らすにもこの街自体にも不相応すぎるちがい空間だけど、今はそれについて論じているゆうはない。げんかんホールにオートロック設備がない、ちゆうはん田舎いなかが混入した建築に感謝しながらわきにある非常階段をけ上がり、エレベーターと同じく三階へ向かった。

 水色のとびらを開き、三階の外側、階下を一望できる通路に顔を出す。そのさんはすでに、住居である三〇七号室の前へとうちやくし、扉の穴にかぎを差し入れていた。そこで手間取っているのか、しきりに手首をひねり、鍵を入れ直し、荷物を足のわきに置いて四苦八苦している。それを観察しながら、考える。

 ここまで、スーパー以外に御園さんの寄り道はなかった。やはり、自宅が本命なのか。そうなると御園さんのおうちにおじやしたいところだけど、流石さすがにマンションであるから、ドアにチェーンぐらいはある。チェーンを外側からかいじよするはずは整っていないし、それ以前に鍵開けの技術も習得していない。どろぼうごっこはとても無理だ。

 そして彼女が来訪者の姿をかくにんして、チェーンを解除することも、室内に招き入れることもないだろう。

 ……だったら、方法は一つ。

 自分で開けられないなら、家主に開けてもらえばいい。

 ようやくじようが解けたのか、穴から鍵が引きかれる。あせひときし、ドアノブに手がかる。

 ころいだ、と口に出してし、引き返せない場所へ足をみ出す。

 小走りでけ寄り、さも当然のようないで、


「あ、荷物は持つよ」


 ビニールぶくろを拾い上げ、半ば御園さんを押し退けるように入り口の扉をすりけた。


「……えっ?」と御園さんがきよかれているすきに、ゆうしやくしやくを演じてげんかんに上がり込む。くつを適当にいで、足音を強く立てて居間へ向かう。


「ちょっと! なんなんですか!」