男女の友情は成立する?夏目咲良の青春疑似録

Ⅰ こうして夏目咲良はノートを燃やしたいと願った ①

 夏目咲良のことを、実弟である夏目悠宇は「怖い姉ちゃん」と評していた。

 ただし、その『怖い』という感情について、おそらく世間で一般とされる『怖い』とはちょっと違う。

 いや、確かによく怒鳴るし、圧政的だし、たまに暴力にも訴える。

 悠宇があまり年上に強く出られないのをいいことに……いやまあ、その気質自体、おそらく咲良の教育の賜物なのであろうが。

 とにかく悠宇にとって、咲良への『怖い』は、そういった部分を指して表現しているものではなかった。


 正しすぎて怖いのだ。


 つまり身内に厳しくて、ちょっと……かなり取っつきづらいというのが、姉である咲良への感情であった。

 小学生の頃の話だ。

 悠宇はクラスの男子とそりが合わず、稀に相手の手が出たとか、悠宇の手が当たったとか、そういったトラブルに巻き込まれることがあった。

 そんなときに駆り出されるのは、両親ではなく姉の咲良であった。

 すみませんと頭を下げ、よく言い聞かせますと反省の意を示す。

 そういった役目を淡々とこなせるのが、意外と咲良であったのだ。

 そして不貞腐れた悠宇を連れて帰ると、咲良は決まってこう言った。


「あんたが悪い」


 事の経緯がどうであろうと、咲良はこう言った。

 悠宇が先に手を出したときはもちろん、相手が先に手を出したときも、一貫して悠宇が悪いと決めつけるスタイルである。

 それに小学生の悠宇は、当然のように反抗した。


「なんでだよ! あっちが悪いんじゃん!」


 すると、これも決まって咲良はこう返した。


「あんたが手を出すから面白がるんでしょうが」


 咲良は小学生に対して、そういうことを言うタイプであった。


「周りの連中なんてアホばかりなんだから、黙ってやり過ごしてりゃいいのよ」


 その冷めた態度に、悠宇は大層不満を募らせたものである。

 姉なのだから庇ってくれるものだと思っていたのだ。

 こんな風に正論で制する咲良は、未熟で夢見がちな悠宇からすると、精神的に近寄りがたい人間であった。


 悠宇もそれなりに年齢を重ねてからは、咲良の言葉がある意味で真実であるというのは察していた。

 反応があるから、面白がって調子に乗る。

 トラブルを避けるためには、相手をしないことが一番の自衛に繋がることもある。

 ただ、それを小学生の弟に説こうとする精神性はやはり苦手であった。


 そんな正しすぎる咲良の高校時代は、さぞ味気なくつまらない人間だったのだろう。

 きっと高校生にして正論ばかりを吐き散らすような、機械のような高校生活に違いない。

 実の弟にすらそんな風に思われる咲良の高校生活。

 まあ、だいたい想像通り……と言えるかは定かではないが。


 ――さて十年ほど前。


 その夏目咲良は、高校二年生の少女であった。

 やはり悠宇の想像通り、精神的に早熟した子どもであった。

 ちょうど両親が脱サラしてコンビニを始め、しかし経営は芳しくなく、起死回生の一手として色々とした事業を開拓し始めた頃である。

 とにかく猫の手を借りたいほどに忙しくて、娘である咲良もあれやこれやと仕事に駆り出されて、中学時代はほぼ家業に忙殺される中で彼女の人格は形成された。


 それゆえに家庭外の世間を知らず、とはいえ社会に貢献しているという自意識によって世間を舐め腐って、ついでに自由に遊び歩いている同級生たちも舐め腐って、幸か不幸か学業は優秀だったので特に理由もないままに高校に進学した。


 友だちもおらず、趣味などもなく、ただ自意識だけは達者な子どもである。

 当然のように学校では浮いていたし、本人も進んで同級生たちと関わろうとはしなかった。


 現在の夏目悠宇が思った通り。

 高校二年の夏目咲良は、味気ないつまらない人間であった。


 そんな咲良にとって『放課後の校舎内で恥ずかしげもなく盛っている同級生の男女』というのは極めて理解しがたい生物であった。


 放課後の教室。

 普段はクラスメイトたちが勉学に勤しむ場所。

 そこを我が物顔で占拠している男女のカップルがいた。


 盛っている。

 比喩表現ではない。


 誰もいないのをいいことに、密着し、睦言を囁き合い、制服の裾から手を滑り込ませて身体を触り合っている。


「……ハァ」


 咲良は廊下でため息をついた。

 ちょうど帰途に就くタイミングであった。

 帰る前に職員室に呼ばれ、用件を済ませて鞄を取りに戻ってきたのだ。

 幸運だったのは、その異変を察知して、教室のドアに手を掛ける寸前で止まれたことである。

 さすがに教室に入るのは躊躇われて、どうするかと頭を悩ませているところであった。



(どうして頭の悪い連中は、人目につくところでイチャつくのかしら……)



 この学校。

 特別、荒れているわけではない。

 ただ市内でも滑り止めとしてまず名前が挙がるような高校である。

 生徒の質はピンキリであり、その手の行動に奔放な生徒も当然のようにいた。



(……もしかして前世は虫なのかしら。あいつらもところかまわず交尾してるものね)



 そんなことを考えつつ……現状の打開策は思い浮かばない。


 家業の手伝いがあるので、早く帰らなくてはいけない。

 しかし盛り上がっているのを中断させて、恨みを買うのも馬鹿げている。


 どちらにせよ、自分には不利な話。

 その二つを天秤にかけていると――突然、教室のドアが内側から開いた。


「はい。夏目咲良さん」


 名前を呼ばれて、ハッとして振り返った。

 開けられたドアから、盛っていたカップルの男のほうが顔を出していたのだ。


 悪びれもせずに、にこりと笑って差し出すのは……咲良の鞄であった。


「ごめん。鞄あるの気づかなかった」

「……っ!?」


 咲良はとっさに、鞄を奪った。

 そう、奪ったというのが正しい表現である。

 力任せに、まるで追剥でもするかのような態度であった。


 しかし男は気分を害した様子はなく……むしろその背後でバタバタと身だしなみを整える女子のほうが騒いでいた。


「狂犬に見られるとかサイアク! 病気伝染るじゃん!」


 その台詞に、咲良はカッと顔が熱くなる。

 そして目の前の――そちらに非はないはずなのだが、ちょうどそこにいてしまった男のほうを睨むと、チッと舌打ちして振り返る。



(病気持ってんのはあんたらでしょ。虫!)



 咲良は心の中で悪態をつきながら、咲良は逃げるように学校を後にした。


 高校二年生、春。

 これが覚えてる限り、夏目咲良と椎葉弥太郎の初めての会話……のようなものだった。


 

 ***


 

 椎葉弥太郎。

 咲良が言葉を交わしたことはないが、その存在は知っていた。


 いわゆる一軍メンバー。

 体育祭とか文化祭のとき、クラスの中央で「うちらのクラス神ってる!」とか騒いでるグループの一人である。

 ちなみに実際に神ってるのはクラス全員ではなくそのメンバー6人ほどで、その他30名のクラスメイトからは「自己中神」とか「アポロン」と呼ばれている。


 そのアポロン(笑)の一柱である弥太郎は、特段に目を引く男だった。


 一言で表すと、顔がいいのだ。


 咲良はそれほどアイドルとかには詳しくないが、そこらのバラエティー番組で司会の大御所芸人にいじられている男たちより、よほど整っていると思う。

 方向性としては、優男よりは男前。



(なんか少女漫画で、二番目に出てきそうな面してるわよね)



 そしてだいだい最後には負ける。


 椎葉弥太郎……という名前も、今日、名簿を見て改めて知ったわけだが。


 他の情報としては、優しい……らしい。

 こちらの情報に関しては、噂程度にしか知らない。

 なぜなら会話をしたことがなく、本当に優しいか謎なのだ。

 まあ、そもそもクラスメイトと交流のない咲良である。