男女の友情は成立する?夏目咲良の青春疑似録
Ⅰ こうして夏目咲良はノートを燃やしたいと願った ②
その噂というのも、アポロン組の女が「弥太郎くん相変わらずやさしー」とか言って媚び売ってるのを耳にした程度だが……。
ただ気配りができそう……というのは傍目にもわかった。
メンバーが談笑していると、アレコレと世話を焼くのが見て取れる。
あとボケてほしそうなタイミングで、必ず何かひと笑い取るのも彼の仕事のようだった。
(意外にマメなのかしら。……そんな男が、昨日は教室で女とイチャついてたと)
恋愛ごとに関してはしょうがない。
聖人君子も、原始時代は動物だった。
先祖返りしてそのことを思い知らされるのが、こと恋愛ごとなのだ。
(……ん?)
ふと弥太郎が、こっちを見てるのに気づいた。
(やば。目が合った!)
と、その弥太郎――こともあろうに、堂々とこちらに歩いてくる。
そして人好きのする笑顔を浮かべると、咲良の机に半分、尻を載せるようにして顔を覗き込んでくる。
「夏目咲良さん。俺に何か用?」
「…………」
クラスが、ざわついた。
咲良は微妙に頭痛のする状態で、はあっとため息をつく。
「自意識過剰ね。すべての女が、あんたに好意的だと思わないほうがいいわ」
その尻を、ぺしっと叩いた。
弥太郎は、あっさりと机から降りて首をかしげる。
「じゃあ、なんで俺のこと見てたの?」
「別に見てない」
「目が合った」
「そうね。窓の外を見たとき、目が合ったのかもね」
「いや、絶対に俺のこと見てたろ」
「見てない。だから自意識過剰」
「えー。見てたじゃん」
咲良は内心で舌打ちをした。
(……しつっこいな)
もしかして昨日の現場を目撃したのを根に持ってるのだろうか。
そんなことで恨まれるのはお門違いである。
こちらだって見たくて見たわけではない……というのは、あくまで咲良の主張である。
「あんた。周りの女にちやほやされて勘違いしてるみたいだけど、その評価を鵜呑みにしないほうがいいわ。採点者が馬鹿だと、正しい評価にならない。ネットで高評価のお店、だいたい美味しくないでしょ」
周りが……特にアポロン組の女どもが「カチンッ」ときた様子だった。
しかし言われた本人は、妙な態度であった。
弥太郎は「へえ」とつぶやいた後、なぜか神妙な様子で呟く。
「夏目咲良さん。飯行くとき先にネットで調べるんだ? なんか意外だ」
「……っ!?」
変な上げ足取りに、今度は咲良が「カチンッ」ときた。
(よし。こいつ殺す。絶対に泣かして二度と逆らえないように……)
と、意気込んだタイミングである。
アポロン組の女が、声を荒らげながら近づいてきた。
「狂犬さあ。人のカレシにちょっかい出すのやめてくんない?」
「……どう見ても私が言いがかり受けてるでしょ」
咲良が反発したこと自体が気に入らないという様子である。
髪をかき上げ、両腕を組み、いかにも威圧するような態度を見せた。
「てか、弥太郎が狂犬なんかに興味持つわけないじゃん。マジで迷惑だから隅っこで黙っててくんない。てか汚れるから見んな」
「…………」
しかし咲良には、妙な違和感があった。
(こいつ、今、カレシって言ったわよね……?)
じっとその女を見つめる。
すると彼女は、少したじろいだ様子であった。
「な、なによ?」
「…………」
女の後方にいる他の女たちに目を移した。
目が合うと、その一人がぎくりとした様子で視線を逸らす。
咲良の違和感の正体は、すぐにわかった。
「ねえ、狂犬。聞いてんの!?」
いつまでも黙っているのが気に喰わないのか、女が苛立った様子で怒鳴る。
それに対して、咲良は小さなため息で返した。
「あんたの自慢のカレシ。昨日の放課後、そっちの後ろの女とベタベタ触り合ってたわよ」
――シン、とクラス中が静まり返った。
それからは悲惨であった。
顔を真っ赤にするカノジョ枠の女子。
友人のカレシに手を出したのがバレて顔面蒼白の友人女子。
おそらくグループ内でも複雑な恋愛模様があるのだろう、様々なリアクションを見せるアポロン組の男子たち。
一軍メンバーのスキャンダルに、色めき立つその他30名。
当の弥太郎本人は、きょとんとした顔で首をかしげていた。
(……いや、あんたは一番慌てなきゃいけない人間でしょ)
アポロン組の淑女たちによる居たたまれない寸劇は、他のクラスから見物人がやってくるほどの大盛況だった。
次の授業だった英語の教師がやってきても、その勢いは止まらずあわや大惨事。
爆弾を投下した咲良は、それを横目に眺めながら弥太郎の様子を窺う。
(てっきり口止めに来たのかと思ったのに……)
夏の日差しに浮かされた青少年たちの熱量に、咲良は呆れ果てていた。
***
その放課後。
咲良は担任教師に呼び出されていた。
笹木光一。
社会人生活二年目、まだまだ新米の数学教諭。
今年、初めて担任のクラスを持った。
学生時代にスポーツをやっていたのか、非常に体格が大きく、生徒たちからは「ゴリ一」とか「ゴリ先」と呼ばれている。
その笹木は、ピンクのハンカチで額の汗を拭きながら言った。
「夏目さん。意味もなくクラスメイトを怒らせないように、とあれほどお願いしたのに……」
笹木の声音は、ほとほと困り果てた様子であった。
その体格から生徒たちに『恐い先生』という印象を持たれているが、実際は真逆。
慣れない教師としての生活に四苦八苦して、いつも身を縮こまらせていた。
ガタイがいいのもあって、スーツが可哀そうに見えるほどである。
彼の言葉に対して、咲良はムッとして答えた。
「私のせいじゃないです」
「しかし普通に話しかけてきた椎葉くんに、先に挑発的なことを言ったのはあなたなのでしょう?」
「うぐ……っ」
咲良は口をつぐんだ。
……そう言われてもしょうがない、というのは自覚していた。
少なくとも、あのとき「気に障ったならごめんなさいね」と受け流せば、あれ以上せっつかれることはなかったのだろう。
自分が呼び出されていることに納得はできないが、とはいえ自分の対応が完璧だったのかと言われれば些か疑問は残る。
(ほんと、おひとりさまはこういうとき損よね……)
はあっとため息をついた。
日頃、学校のイベントに積極的な生徒のほうがこういうときに優遇されるのは身に染みてわかっている。
「性分なので仕方ないです。狂犬なので」
「クラスメイトから何と呼ばれていようとも、まずは歩み寄ることが大事だと思います。そうすれば、きっとわかり合えますから」
咲良は、この教師のこういう綺麗ごとを平気で口にするところが嫌いであった。
少なくともアポロン組の女どもは、咲良の言葉を聞く気はない様子であったが……。
「夏目さん。あなたの日頃の言動は、自分から火種を撒いているようなものです。そのような態度では、自ら大切なものを失いかねませんよ」
「大切なもの?」
聞き返すと、笹木はわざとらしく言葉を溜めた。
「一生に一度の青春、です」
…………。
咲良の冷たい視線に、笹木は「あ、いまの無しで……」と撤回した。
「放課後は家業の手伝いがありますので、失礼します」
「あ、ちょ、夏目さん! まだ話は……」
「説教を口実に美人な女子生徒を引き留めるのは感心しませんよ。セクハラで訴えることになったら大変です」
「んなことにはならんわボケ……あっ! いえ、なりません!」
笹木は顔を真っ赤にして言い直した。
咲良はこの教師の、真顔で綺麗ごとをお説教してくるところが嫌いである。
しかし少し突くと簡単に素が出るところは面白いと思っていた。
(……下手に大人ぶらずに、ジャージとかで過ごしたほうが似合っているのに)
そんなことを考えながら、咲良は職員室を出た。