男女の友情は成立する?夏目咲良の青春疑似録
Ⅰ こうして夏目咲良はノートを燃やしたいと願った ③
携帯で時間を確認する。
まだコンビニのシフトの交代まで時間はあった。
教室に戻ってくると、ドアの前で警戒する。
(さすがに昨日みたいなことはないわよね……?)
そろりとドアを開ける。
そして安堵した。
教室には誰もいない。
咲良は自分の鞄を取ると、教室の戸締りをしていった。
(鍵、返しに行くの面倒ね……ん?)
咲良の机のそばに、ノートが落ちていた。
誰かが忘れて行ったのだろうか。
その点、さほど気に留めなかった。
……が。
(私が最後に教室を出た。これがアポロン組の誰かのだったら、私が腹いせに落としてったとか言われるのかしら)
やや疑心暗鬼であった。
ここで自身に落ち度を作るわけにもいかない。
咲良は仕方なく、誰のものか確認するために拾った。
(……名前はないわね。まあ、あの手の連中がノートに名前書くとは思えないけど)
さすがに誰かのノートを、勝手に開くことは躊躇われた。
開いてみたところで、特に有意義な情報があるとは思えなかったが……。
(まあ、念のためね……)
咲良は一ページ目を開いて……首を傾げた。
授業のノートではない。
というか、そもそも学習に使っているものではなかった。
「小説……?」
もっとざっくり言えば、文字で書かれた物語。
セリフが合って、ト書きがある。
タイトルはない。
(へえ。こんな趣味の人がいるのね)
意外、という感覚はなかった。
そもそも意外性を感じるほど、クラスメイトと交流していないのだ。
(でも、これはいよいよ困ったわ……)
授業のノートなら、誰のものかわからずとも教壇に置いておけばいい。
明日の朝、みんなで勝手に持ち主探しをするはずだ。
……しかしこのようにデリケートなものとなると、そうはいかない。
(どうしたものかしら。少なくとも、このクラスの誰かのものだけど……)
適当にあたりを付けて、机に入れておくこともできる。
休み時間、友だちと話さずに何かノートに書いているような生徒もいたはずだ。
あるいは誰ともしゃべらずに、机に突っ伏して寝ているような……あ、それは自分か。
(気は進まないけど、とりあえず内容を見てみましょうか)
何か持ち主の手がかりがあるかもしれない。
……クラス全員を殺戮して回るような鬱屈した願望をぶつけたものではないことを祈りながら、その文章に目を滑らせる。
序章。
主人公とヒロインらしき女の子が登校するシーンから。
そして読者への挨拶がてら、ヒロインの胸が揺れる描写が入った。
(やけに女の子のおっぱいを強調するわね。となるとラブコメかしら)
とりあえず、登校するシーンは読み切った。
まさか一ページのうちに、ヒロインの胸が三度も揺れるとは思わなかった。
その感性を否定するつもりはなかったが、世の男はブラをつけてないヒロインが好きなのかと真剣に考える。
(さて……当然だけど、持ち主の見当はつかないわ)
この手の内容。
普通に考えれば男子だろうが、女子だって割と好きだったりする。
……あと女子の私物だった場合のほうが、ややダメージが深刻になる可能性が高い。
床に落とし直すのも忍びなく、もう少し読み進めることにした。
(……次のシーンでは、謎の美少女転校生が登場。王道ねえ)
唐突に主人公との因縁が匂わされる。
その子の猛アプローチをきっかけに、それまで適度な距離でけん制し合っていた他のライバルたちも動きを見せ……これ以上ないくらいの王道であった。
(ラブコメ界のペッパー&ソルトって感じだわ)
結局、王道のほうが売り上げは高いのである。
咲良は続きを読んでいると……やがて頬が緩んだ。
「ふふっ」
つい笑みがこぼれた瞬間。
――教室のドアが開いた。
咲良が視線を向けて――そこにいたのが、なぜか弥太郎だった。
(うわ……ッ)
正直、いまは顔を合わせたくない相手であった。
今朝の騒動のせいで貴重な放課後を笹木に呼び出され、弥太郎のほうも軽い修羅場をくぐったはず。
(これ、どうしよう……)
咲良は手元のノートに目を落とした。
これは勝手な偏見ではあるが……咲良から見れば、アポロン組とは最も縁遠い趣味である。
(いったん持ち帰って、地道に持ち主を探すしかないわね。すごく面倒くさいけど……)
少なくとも明日の朝、クラスで魔女狩りが開催されるよりはマシだろう。
そう考えて、そのノートを鞄に入れた。
「それじゃあ、私は帰るから。まだ教室にいるんなら鍵閉めて……」
そっけない挨拶と共に、弥太郎の脇を通り抜けようとした。
「待て!」
弥太郎が右腕を伸ばし、咲良を壁に押しやった。
「……っ!?」
至近距離。
じっと真剣な目で見つめてくる。
妙な圧を感じるほどの表情に……咲良は少なからず動揺した。
(こいつ、本当に顔だけはいいわね……)
アポロン組の女子たちが、あれやこれやとご機嫌を取ろうとするのもうなずける。
咲良は内心の動揺を悟らせないように、彼に言った。
「な、なに? もしかして今朝の仕返し? あれはあんたが浮気したのが……」
すると弥太郎は、それには返事をせずに言った。
「それ」
それ?
と、その指をさすものは……咲良の鞄であった。
「そのノート。俺が持ち主、探すよ」
「……は?」
咲良は鞄から、そのノートを取り出した。
なぜこのノートの話を……と考えて、咲良はある事実に気づく。
「……これ、落とし物だって言ってないわよ?」
「っ!?」
途端である。
恐怖すら感じるほど整った顔に、一筋の汗が流れた。
「……それ、俺の友だちのなんだ」
「名前、ないわよ」
「わかるんだ。あいつが使ってるの、見たことあるから」
「特徴のない普通のノートよ。うちの購買で買えるわ」
「か、感覚でわかる。俺の友だちのノートだ」
「…………」
やけに必死に、そのノートが友だちのものだと主張している。
咲良の胸に、ある意地の悪い思惑が生まれた。
そのノートを差し出そうとして……しかし弥太郎が掴む寸前、ひょいと取り上げた。
いかにも妙案を思いついたというように、したり顔で告げる。
「そうだわ。私も所有者不明のノートを他人に渡すのは気が引けるし、笹木先生に渡すのが一番じゃないかしら。あの人なら、うちのクラスの生徒の文字を調べられるはず……」
「だ、ダメだ!! 俺だってバレ……あっ」
……と思わず声を上げた瞬間。
ハッと我に返った弥太郎に、咲良は肩をすくめた。
「……まあ、そうね。あの人、クラス全員の前で『趣味を隠さなくてもよい学級づくりを目指しましょう』とか言い出しかねないものね」
むしろ本気で善意だと信じている節すらあるのだ。
咲良は顔を真っ赤にして項垂れる弥太郎に、今度こそノートを差し出した。
「あんた、こんなコテコテのラブコメ書くのね」
「そのニヤニヤ顔やめろ……っ!」
そもそも咲良は、性格がいい女ではない。
今朝の面倒ごとへの恨みや、普段からアポロン組へ抱く微妙な嫌悪感がないまぜとなった結果の嫌がらせであった。
「でも理解できないわね。こんなものに逃避しなくても、女なんて入れ食いじゃないの?」
その発言は、弥太郎の神経を逆なでた。
少なからず機嫌を損ねた様子で咲良を睨む。
「は? 幼い頃の結婚の約束を高校になっても守ってる美少女が現実にいるわけねえだろ」
「ええ……。あんた、そんな弩級にピュアな女がいいわけ?」
「男はいつだって、初恋を胸に抱えて生きてるんだ」
「でもあんた、昨日はここであの女の胸触ってたじゃない。空想よりも、実際に相手してくれる女のほうがいいでしょ」
「はああ……わかってねえなあ……」