バッカーノ! The Rolling Bootlegs

『エピローグ…1』 ②

 ぼったくるつもりじゃ無いだろうな。そう思って周囲を見回すと、確かにカタギに見えないような男達の姿もあったが、老人や子供連れ、カップルなどの姿が見えたので取り合えず安心する。

 男は店の奥に行って、別の男に何やら話しかけている。相手は黙ってうなずくと、荷物も持たずに店を後にした。ついでに言うならかんじようも払っていない。


「ああ、彼に事情を話しまして………今、取り返しに行ってもらいましたから。いや、あの小僧どもはこの辺じゃ顔が知られてますからね……すぐに見つかると思いますよ」


 グルのくせしてしらじらしい。無論、口には出さなかったが。


「まあ、待ってる間に何かお話しでもしましょうか」


 そうは言われたものの、何を話せばいいのかわからなかった。私は、とりあえずその達者な日本語の理由について聞いてみた。


「ああ………組織の上の人に日本人がいまして……ぐるまさんって言うんですけどね、その人に色々教えてもらったんですよ。まあ、現代口調は映画や日本のコミックで学んだような感じなんですけど」


 組織。やはりマフィアか何かだろうか。ここまでくればマフィアでもなんでもいいやとヤケになっていたので、率直に聞いてみる事にした。


「いや……マフィアじゃありませんよ。一般には同一視されてますが………『カモッラ』って言うんですけどね、解りますか?」


 聞いた事の無い単語だった。


「イタリアのシチリアをはつしようとするのが『マフィア』…もともと農村部の武装警備隊…まあ、自警団のようなものが元になっている組織です。『カモッラ』は、同じイタリアでもナポリの出です。刑務所の中で生まれた組織と言われてますが、はっきりとした事は私にも解りません」


 刑務所が発祥の地とは。それだけ聞くと、カモッラとやらはマフィアよりが悪そうに聞こえるが、それは心の中にしまっておいた。


「私は自分の組織の中では『出納係コンタユオーロ』の役についてます。まあ、金の計算係のようなものですが……マフィアの場合は計理士がやるんですがね」


 どちらにしろあまり変わらないように思える。


「はは…まあ、今じゃ皆『マフィア』で統一されてしまってますからねえ。麻薬マフィア、チャイニーズマフィア、ロシアンマフィア、密輸マフィア……でも、ナポリではカモッラが主流ですよ。我々はアメリカで派生した上にナポリとの直接的な関わりを持たない『はぐれ』なんですけどね」


 そのほかにも色々な知識をろうしてくれたが、私にはどうもピンとこないものばかりだった。日本で暴力団に会ったことすらない私だ。目の前に、カモッラだかマフィアだか………とにかく、裏社会に生きる人間がいるという実感がかなかったのだ。


「それも当然ですよ。ニューヨークの皆さんだって、マフィアに会ったことがある人間なんて1%もいないんじゃないですかね。無論直接的に被害にあった人もね。私がでしゃばりな性格をしていて、たまに貴方あなたのような人に名乗ったりはしますが。私が声を掛けたのは、その1%の内のたる人数でしょうけど」


 …本当に、自分の運に泣けてくる話だ。

 しかし、その時わたしは既に男の話術に引き込まれてしまっていた。なんというか、もう何年来の知り合いと話をするような感覚になってきてしまうのだ。実際は、その時点で互いの名前すら知らなかったのだが。


「いや…実際にはもっといるのでしょうが、マフィアの存在を感じた人はめつにその事実を口にはしませんからねえ……」


 それは映画等で聞いた事がある。確か『沈黙の掟オメルタ』とかいうやつだったか、民衆はふくしゆうを恐れて事件を見なかったふりをするという奴だ。

 しかし…そうすると初対面の人間に組織の事を話すこいつは一体何なんだ?


「ハハ。まあ他の組織はともかく、うちはそれ程厳しくないってだけの話です。それほど大それた事もしちゃあいませんしね。……そもそも、シチリアのマフィアの場合は自分がマフィアの構成員だって事すら話しやしませんが、カモッラや…ひと昔前のアメリカンマフィアもそうですが…この場合は、結構自分から名乗ったり…ボス自らが雑誌の取材に答えたりしますからねえ」


 目立ちたがり屋ってことか? そう聞いたら、一瞬沈黙した後、声をあげて笑いだした。

 ひとしきり笑った後、男は私の顔を興味深そうに見つめながら口を開く。


「…よくもまあ、カモッラ本人の前でそういう事を言えますねえ…怖くは無いんですか?」


 全然。


「…もしかして、私がギャングスターだって事、疑ってます?」


 全然。仮にうそだとしても、わざわざカモッラなどとかたる必要性がわからない。


「……貴方は変わった人ですね……ポールの奴に聞いた時には、典型的なカモネギの日本人だと思ってたんですが」


 大きなお世話だ。それにそこまで日本語にりゆうちようなら、年上の人間にはちゃんと『さん』をつけろと言いたい。ポールさんってな。アメリカはねんこうじよれつが少ないといっても、年上に対する最低限の礼儀ぐらいはちゃんとあるはずだぞ。…ガイドブックの受け売りだが。

 この何気ない一言が、私の人生の歯車を狂わすスイッチになろうとは、その瞬間はまったく想像もつかなかった。

 先刻よりも長い沈黙の後、男はクックと笑いながらつぶやいた。


「偶然ってのは…こう…面白いものですね……」


 何を言っているのだろう? 私がこんわくしていると、男はまるで子供のような笑いを浮かべた。新しい玩具おもちやを見つけたような……、何か悪戯いたずらを仕掛ける直前のような、そんな笑顔をこちらに向ける。

 そして、何かを言おうか言うまいか迷っているような素振りを見せた後、小声になって私に答えた。


「ポールは、私よりも年下ですよ」


 はあ。………ん? ちょと待て、今何て言った? さっきの警官はどうみても中年のとうげを過ぎていたように思えるが。……あの警官、そんなにけ顔なのか?


「そうですね……さっきの話に戻りますが……この60年程の間に、だいたい百人程ですかね。私がカモッラだという事を名乗ったのは。もともと知っている人や警官は除いてですが……そもそも、今回みたいな事がないと、カタギの観光客と知り合う機会っていうのもないんですよ。ハハ」


 私はその時、自分が聞き間違えたのだと思った。60年。目の前にいる青年は…私は白人の外見年齢はわからないが、どう見ても60さいの半分も満たないように思える。

 不思議そうな顔をして見つめると、男は眼鏡めがねをかけ直しながら照れくさそうに言った。


「いや、私ね、ろうっていうんですか。死なないんですよ」


 ほほう、これがアメリカンジョークというやつか。


「あ、信じていませんね。いや本当に、っても焼いても死なないんですよ」


 アメリカンジョークはしつこいのが特徴らしい。

 私が適当にあいづちをうってやると、男もニコニコとしたまま──────

 ふところからナイフを取り出し、男自身の手に突きした。


 一瞬何が起こったのかわからなかった。ナイフの突き立った男の手から、赤い血がダラダラと流れ始める。ぼうぜんとしてる私に対し、男は笑いながら言った。


「大丈夫ですよ……ほら」


 ゆっくりとナイフを抜く。血がき出るものと思ったが、血はすっかり止まっていた。

 それどころか、私は信じられないものを見た。

 テーブルの上に流れ出た男の血が……まるで、意志を持った生物のようにうごめきだし………自らの宿主に戻るように、男の傷口へと吸い込まれていった。すべての血が戻ると、傷口自体が消え去ってしまったのだ。テーブルには、みの一つすらも無かった。

 これがスクリーンに映写された出来事ならば、ちんな特撮と笑って見れただろう。だが、残念ながらこれは目の前で起こってしまった出来事だ。