重力に逆らって液体が動くのも、傷口があっという間に塞がってしまうのも、CGの方が綺麗なのではないかと思えるほど陳腐なものに見える。それが逆に不気味だった。
店内に…いや、この世界で起こった異常事態に気がついているのは私だけなのだろうかと思えた。少しクラシックな雰囲気を持つ店内で、今、一人の男が物理法則を捻じ曲げてしまった。にもかかわらず、客も店員もこちらの方に目を向けてすらいなかった。
少し考えて、私は言った。目の前にいる……何者かに対して。
俺を殺す気か? と。
すると男は、すこしキョトンとした顔をしてから、再びニッコリと笑った。
「その反応は初めてですね……今までこれを見せた人の中には、十字架をつきつけてくる人や、いきなり銃を発砲する人なんてのもいましたけど……ああ、もちろん後者の方は警察に連れて行かれてましたが。いやいや、可哀想な事をしました。そういえば、ナイフを出した時点で逃げた人もいましたね」
当たり前だ。
「……何故、私が貴方を殺すと?」
化物だと思ったからだ。私は正直に答えた。それから化物扱いして悪かったと詫びると同時に、本物にしろトリックにしろ、人を驚かせるのは止めた方がいいとも言ってやった。
「………貴方は珍しいタイプの人ですね。こんなに落ちついた人は始めてですよ」
落ちついているというよりも、鈍感と言った方がいいかもしれない。他人によく言われるが、どうも私は北海道で羆に食われかけて以来、そのショックで恐怖という感情が欠落してしまったようだ。戦場カメラマンになったらどうかと言われたが、戦場を渡る知識が無いので確実に死ぬだろう。私は死にたいわけでは無かったので、相変わらず動物カメラマンのままだ。
それを言うと、男は愉しそうにこちらの目を見つめてくる。
「…貴方は本当に面白い人だ。そうだ、せっかくですから、私の昔話を聞いてみる気はありませんか? この不老不死の力を得た時の話と、それにまつわる数奇な物語を……時間を潰すには丁度良いと思いますが?」
確かに興味深い話だが…初対面の私なんかが聞いていいものなのだろうか?
「構いませんよ。どうせ貴方が他人に話したところで、誰も信じはしないでしょうし」
私は彼に、宗教とは関係無いだろうな、と念を押した。目の前に不老不死の人間がいるのに何を落ちついているのだろう。今思うと自分はあまりにも間抜けだったようだ。
「ああ、ご安心を。そんなのとは関係ありません。本当にただの暇つぶしなんですから。…まあ、この話には『悪魔』が一人でてきますがね」
カモッラの『出納係』と名乗った男、そしてどうやら不老不死らしいその男は、ウェイトレスに料理を注文すると、ゆっくりと『伝説』を語り始めた。
「…それでは、始めましょうか…悪魔の酒を飲み、不死を得てしまった男。その哀れな男の辿る孤独な孤独な物語。舞台は禁酒法の時代のニューヨーク。突如として現れた『不死の酒』を巡る数奇な運命、それに取り込まれた人々の螺旋の物語を…………」