1711年 大西洋上 アドウェナ・アウィス号────
錬金術。
古代エジプトより発祥したとされる学問であり、技術であり、同時に文化でもあった。
エジプトの技に端を発したそれは、ギリシアの哲理、ヘルメス思想による宗教的概念との融合を続けながら、アラブ世界を経て西欧ルネサンスの中に深く浸透して行く。
その所業は、時には名の示す通り卑金属から金を為す事を求め、またある時は神の手を離れた人造の生命を求め、果てには永遠の生命を追いかける。…いや、それですらも『果て』とは言えないだろう。術師達の求める究極に終わりは無い。彼らは不可能な事を可能とすべく日々研鑚を重ねているのであり、もしそれが叶ったとすれば、それはもはや『可能』な事。究極の目的からは色褪せてしまうのだ。彼らは更に不可能な事を求めながら己の知識と欲望、あるいは使命感の中に埋没して行くのだろう。
燕雀鴻鵠な現実渦巻く近世、錬金術師達は周囲から阻害され、時には羨望の眼差しを受けながらも、様々な技術を追い求めては挫折して行った。しかしその行為は決して無駄なものでは無く……錬金術師ニュートンが発見した万有引力をはじめ、近代科学における様々な貢献を為している。錬金術は、決してまやかしの学術体系ではないのである。
だが、時には────魔術や神術と呼ばれる、科学とは一線の隔たりをなす分野との融合を図る者達もいた。
一般的には錬金術と魔術は同一視されがちだが、それは全く異なるもの。錬金術師達の中は、そうした魔術や祈りを『他力本願の非科学的な物』として軽く見る風潮もあったが………中には、積極的に手を出す者も存在したのである。
魔術や悪魔とて、存在を確認してしまえばそれは『可能な事』であり、次なる『不可能』を打開する為の道具に過ぎないのだ。
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その船は、夜の闇に包まれていた。
闇の中…彼らは『声』だけを聞いていた。
故郷を離れ、新天地を目指す錬金術師達。
彼らはその船上で、ついに『悪魔』の存在を具現化させることに成功したのである。
「俺を『悪魔』と呼ぶか。まあそれもいいだろう。しかしお前らは神や天使を見た事があるのか? 『悪』なんて単語は、比較する対象があって始めて生きてくると思うのだがな。まあいい、わざわざ呼び出されたのは103年ぶりだ。あと3年早ければキリが良かったんだがな………まあいい。ああ、『まあいい』というのは俺の口癖だ。気にするな……お前達の頭に直接語りかけているのに口癖というのも変だがな。まあいい」
やけに饒舌な『悪魔』は、自らに課した誓約に従い、自分を直接的に呼び出した錬金術師に『知識』を授ける事を約束する。
錬金術師はこう言った。『不老不死の全てを知りたい』と。
「それは……暗に不老不死にしてくれと言っているのか? まあいい。」
船の甲板上…錬金術師達の中心に、一つの器と、その中に満たされた液体があった。
「それを飲めば不老不死になれるから、それからお前らで勝手に判断しろ。俺も不老不死だが、感想なんてものは千差万別だからな。……まてまて、ここから落ちついて聞けよ………俺は気前がいいんだ、その薬はちゃんとここにいる全員分ある。喧嘩しないで分けろ。……それからな、もしお前らが不死に飽き、死にたいと思ったら…」
悪魔は続いて、不死者が死ぬ為の方法を授けた。
「…他に薬を飲んだ奴の所に行け。そして、訪ねられた奴は、そいつの頭に右手を載せて、『食いたい』と思え。まあ、強く思うだけでいい。死にたかった奴は、右手の中に吸い込まれてその生涯を終えるだろう。『食う』という事は、相手の知識の全てを受け継ぐという事だ。最後の一人は、ここにいる三十人程の知識を溜め込む事になるな……最後の一人が生きる事に飽きたら、俺をまた呼べ。その時は、俺が『食って』やろう。俺は三十人分の知識が得られて得だしな……あと、言っておくが……リスクはあるぞ。……この薬を飲んだ奴は、『偽名』を使う事が出来なくなる。お前らの精神にそういう制約がつくのさ……普通の人間に一時的に名乗るぐらいなら問題はないが、不死者同士では本名でしか会話できないし、偽りの籍を世間に定着させる事も体が拒否するだろう。………そうしておかないと、相手を永遠に探す事ができなくなってしまうからな……」
錬金術師達は少し考えると、全員でその薬を分け合って飲んだ。薬は、酒の味がした。
「そうそう…全てを教えるという約束だったな……何をもって全てと判断するのかは知らんが、とりあえず今の薬の調合法は教えておいてやろう。これはここにいる全員には教えてやらんぞ。俺を呼び出したこの男だけだ。知りたければ後でこいつに聞け」
姿の見えぬ『悪魔』はそう言うと、自分を呼び出した錬金術師に『知識』を与えた。まだ若いその男は、何が起こったのか解らなかった。ただ、今まで自分の知らなかった『知識』が記憶に植え付けられたのは理解した。
悪魔の声は、もう聞こえなくなっていた。
『知識』を得た男は、一晩考えた。
船に同乗した弟に、不死の薬の秘密を教えてやろうとした。半分程告げたところで、ふと思いたった事があったのだ。
そして翌日、彼は言った。
「…この知識は、永遠に封印しようと思う」と。
錬金術師達からは反対の声があがったが、彼の決意は固かった。
そしてその夜、事件は起きた。
知識を得た男は、警戒していた。夜中に何者かの気配を感じ、目を覚ますと………………船室の中に、仲間の一人が立っていた。
仲間は反対側のベッドに眠る弟の頭に手を載せており……
一瞬にして頭が冴えたが既に遅く、弟の全ては、仲間……いや、今この瞬間までは仲間だった男の右腕の中に、それこそ魔術のように吸い込まれて行った。
「…まさか、もう始まるとは思わなかったな」
その様子を、何処かの闇から眺めながら、『悪魔』がひとり呟いた。
「俺が煽ったようで何だが……これだから人間という種族は欲深い。これを見るのも愉しくはあるんだが……」
『悪魔』と呼ばれたその存在は、少し寂しそうに言葉を続けた。
「今度こそは、とも思ったのだがな」
『悪魔』の声はもう聞こえない。そこには、無限とも錯覚できる闇が広がるのみだった。
そして、時は流れる。