もっとも、呼び出された英霊がそれを『義務』などと受け取っていたかどうかは疑問だが。
「……答えよ。貴様が不遜にも王の光輝に縋らんとする魔術師か?」
黄金色の髪、黄金色の鎧。
豪奢を極めた外観のサーヴァントは、こちらを見下す形で問いかけた。
だが、問われた言葉の内容に思わず鼻白み、眼前に存る絶対的な『力』を実感しつつも、わずかな苛立ちを湧き上がらせる。
──サーヴァント風情が何を偉そうな!
魔術師としてのプライドが威圧感に押し勝ったが、自らの右手に輝く令呪の疼きを感じてすんでのところで冷静さを取り戻す。
──……まあ、この英雄の性質からすればそれも仕方あるまい。
ならば、最初にハッキリとわからせておかなければならないだろう。
あくまでもこの戦いにおいて、主が自分であり、サーヴァントとして顕現した英霊などただの道具に過ぎぬということを。
──そうだ、その通りだ。この私が貴様の主だ。
令呪を見せつけながら答えを放つべく、右腕を前に差し出し──。
その右手が、なくなっていることに気がついた。
「……え? あ?」
形容する言葉もなく、呆けた声を洞窟内に響かせる。
血の一滴すらも出ていないが、確かに、直前まであったはずの右手がない。
慌てて自らの手首を顔の前に持ってくると、焦げた臭いが鼻腔を強く刺激する。
手首の断面からは煙が薄く立ち上っており、焼き切られているというのは明白だった。
それを認識した瞬間、脊髄と脳に痛みの流れが伝播し──
「ひがぁ……ぎひがぁぁぁっぁぁぁあっぁぁぁ! あぁぁぁっぁぁぁぁっぁぁぁあぁ!」
悲鳴──悲鳴──圧倒的、悲鳴。
巨大な蟲の鳴き声さながらの絶叫を響かせる魔術師に、金色の英霊は退屈そうに口を開く。
「なんだ、貴様は道化か? なれば、もっと華美のある悲鳴で我を愉しませろ」
眉一つ動かさず、相変わらず驕傲に振る舞うサーヴァント。どうやら、右手の消失は英霊の手によるものではないらしい。
「ひぁ、ひぁ、ひぁぁっぁぁっぁぁ!」
理解の範疇を超えた出来事に、魔術師は完全に理性を崩しかけたが──魔術師としての脳髄がそれを許さず、強制的に精神を落ちつかせ、即座に体勢を立て直す。
──結界の中に……誰かがいる!
──私としたことが、なんという迂闊!
本来ならば、工房と化したこの洞窟に誰かが入ってきた時点で気配を察知できるはずだった。しかし、サーヴァント召喚の決定的な隙を突かれたために、洞窟内に満ちた英霊の魔力に紛れて気付くことができなかったのだ。
だが、結界に合わせてそれなりの罠も張り巡らせていたはずだ。それが発動した気配はなく、闖入者がそれらを解除して進んできたとすれば、相当に油断のならぬ相手だと推測できる。
残った左手で魔術構成を練りながら、気配のする方角──洞窟の外へと向かう穴道へと叫びあげた。
「誰だ! どうやって私の結界を抜けてきた!」
すると──次の瞬間、洞窟の闇からの声が響く。
ただし、それは魔術師ではなく、金色のサーヴァントに対しての言葉だった。
「恐れながら……偉大なる王の前にこの身を晒すお許しをいただきたく存じます」
声をかけられたサーヴァントは、ふむ、と一考した後、やはり傲岸な態度を見せる。
「よかろう。我が姿を拝謁する栄誉を許す」
「……ありがたき幸せ」
その声は、透き通るような無垢さと、すべてを拒絶するような感情のなさを揃えていた。
続いて、岩陰より姿を現したのは──ただでさえ若く受け取れた声の印象から、さらに数歳若い──12歳前後の、褐色の肌の上に艶やかな黒髪を掲げる少女だった。
深窓の佳人というべき形容が相応しい、下品さのない華美な礼装。端正な顔がその衣装によってさらに引き立てられているが、表情にはそれに見合った華やかさは感じられない。
ただ、粛々と畏まった調子で一歩工房内に踏みだし、祭壇上の英霊へと恭しく一礼をした後、裾が土に塗れることを気にもかけずに跪く。
「なッ……」
完全に無視された形となった魔術師は、目の前の少女の力が計りきれずに、憤ることもできずに怒りを喉の奥へと押しこめた。
英霊は少女の恭しさが当然とばかりに、視線だけを向けて力ある言葉を押しつける。
「我の前に雑種の血を飛び散らせなかったことは褒めてつかわす。だが、喰うに価せん肉の臭いを我の前に漂わせた理由について、弁解があるならば申してみよ」
一瞬だけ魔術師のほうをちらりと見やり、少女は跪いたまま英霊に対し申し立てる。
「恐れながら、王の裁きに委ねるまでもないと……蔵の鍵を盗みし賊に罰を与えました」
言いながら──少女は自らの前に一つの肉塊を取り出した。
それは、確かに先刻まで魔術師の体の一部だったものであり、令呪によって英霊との魔力の筋道を繫ぐ接合部──つまりは、魔術師の右手である。
金色の英雄は、少女の言葉にフム、と己の足下を見て、台座に置かれた一つの鍵を手に取り──興味なさげに投げ捨てた。
「この鍵か、下らん。我の財宝に手を出す不埒者など、我が庭には存在しなかったからな。造らせたはいいものの、使う必要がないと捨て置いたに過ぎん」
「……ッ!」
その行動に衝撃を覚えたのは、右手首の痛みを遮断するための呪文を呟いていた魔術師だった。
彼の先祖がすべてを賭けて追い求めた『蔵』の鍵。
魔術師の家系として唯一といってもいい誇りであったその偉業を、ゴミのように投げ捨てられたのだ。しかも、自らが奴隷や道具として扱うべき、サーヴァントという存在に。
憤慨のあまり、呪文を唱えるまでもなく右手の痛みが薄らいだ。
だが──そんな彼に追い打ちをかけるように、褐色肌の少女は首だけを魔術師に向け、威圧と憐れみをこめた声を浴びせかける。
「それが王の意向なら、貴方とこれ以上命のやりとりをするつもりはありません。どうか、お引きとりください」
「なッ……」
「そうすれば、命までは取りません」
「────── ────────」
刹那、魔術師の意識が簡単に支配される。
自らの内より湧き上がった憤懣が魔術回路を支配し、言葉すらあげることもできず、左手に集めたすべての魔力を暴走させる。
ありったけの呪いと熱と衝撃がこめられた黒い光球が、勢いよく少女の顔面を吞みこむべく空間を切り裂き──疾る、奔る、趨る。
ほんの一呼吸の間すらなく、魔力の奔流は少女を押し流すと思われた。
だが、そうはならなかった。
「【 】」
無音の詠唱。
少女は口を開きつつも、音もなく己の中で魔術の構成を紡ぎ出す。
だが、瞬時にして膨大な魔力が少女と魔術師の間に湧き上がった。
まるで、極限まで呪詛を圧縮したが故に無音に辿り着いたかのような、圧倒的詠唱。
最後の瞬間──魔術師は見た。
少女の前に現れた、自分の身長の倍はあろうかという巨大な炎の顎が、自分の放った魔力をあっさりと吞みこみ──。
──違う。
最後に思い浮かんだ言葉。