マグダラで眠れ

第一幕 ⑧

 クースラは、ウェランドのななうしろからその横顔をぬすみ見るが、ウェランドは表情を消していてわからない。


「あなた方、神の道より外れし者の行動は、ちくいち上に報告いたします。神の教えを忘れることなく、神のちつじよを乱すことなく、神のこうけがすことなかれ。以上の三つを頭に刻み、騎士団のため、神のために働いてください」


 まるで修道会の入会しきだが、おそろしいのはフェネシスと名乗った修道女が、本気の目をしていることだ。

 このとしごろで変に頭の良い少女は、きようしんという病とびっくりするほど相性がいい。

 視野がせまく、直情的。

 ポーストはおそらくこのことを謝っていた。世の中には、戦う人、いのる人、耕す人と三種類あるように、騎士団も権力構造はいちまいいわではない。

 騎士団にやとわれる錬金術師は、そのほとんどが武器やこうじよう技術にかかわる性質上、戦う集団の一部門に属している。しかも様々な物資を必要とするために、基本的にはちよう隊にぶら下がっていた。

 だが、目の前のフェネシスは明らかに祈りの集団の先兵だ。修道女であることからして、騎士団内部の聖歌隊の人間だろう。もちろん、教会の聖歌隊とは訳がちがう。教会の聖歌隊は静かな教会の中で神のことを賛美するが、団の聖歌隊は血とごうが飛びう戦場で神のことを賛美する。

 しんこうの質と、方向性がちがう。もっといんけんで、権力主義的だ。常にいくさの集団の権勢をしんしよくしようとたんたんねらっている。ポーストのしつついを狙う者は、教会だけではなく身内の人間にも大勢いるというわけだ。森で傷を負えば、しやたるおおかみですらほかの動物のじきになる。騎士団の「備品」たるれんきんじゆつ師を殺されたという傷のにおいをぎつけて、グルベッティの権力をポーストから横取りする機会をうかがいに来たのだろう。

 その上話がややこしいのは、同じ騎士団に属しているにもかかわらず、そもそも聖歌隊の人間は錬金術師を敵視していることだ。

 神にたてつく存在は、なんであれ地上から消えせろと、聖歌隊の連中は本気で思っている。

 毒殺と暗殺で身を守れというのは、こういうことかとなつとくする。

 トーマスはだれに殺されたかわからない。

 それは、敵が身内にいる可能性すらあるということだ。


「お返事は?」


 フェネシスが、あごを引いてそうたずねる。

 幼いころ、近所の教会でくそあまに仕置き棒でほおを張られた時のことを思い出す。

 こいつは、最初がかんじんだ。

 クースラがそう思い、口を開こうとしたそのしゆんかんのこと。

 ウェランドがすっと前に歩み出て、手をばした。

 あくしゆ

 そんなまさか、というのは相手も同じだったらしい。意外そうな顔をして、それでも右手が自然に伸びていた。それが人間の反応というものだ。

 だが、ウェランドの手はそのまま相手の手をどおりし、ぺたり、と目的地にとうちやくした。



 フェネシスとやらは、ウェランドの手を目を丸くして追いかけていた。

 自分の胸に当てられ、わし、とえんりよなく五指をき立てたその手を。


「ふうん?」


 ウェランドは首をかしげ、目当ての物がなかったような、そんな顔をしている。

 そして、もっと確かめようともう一方の手を伸ばそうとした瞬間だ。

 フェネシスがウェランドの手をはらって平手打ちをり出した。


「ふん」


 ウェランドはひょいと体をらしてそれをける。

 フェネシスが無表情なのは、平手打ちを避けられたからというより、事態に頭がついていっていないからだろう。クースラだって、ウェランドの行動にあつにとられていた。

 平手打ちは、ほとんど反射的なもの。

 なので、あっさりけられると体のへいこうを保てずに、ぐらりとれて、ウェランドの胸にかたが当たる。


「──っ!」


 それでようやく我に返ったらしい。

 ウェランドの胸を押し、げようとしたそのせつ

 ウェランドの手がフェネシスの細いうでつかみ、あまりの力の差にフェネシスの体ががくんとれる。


「な、にを──」


 と、フェネシスがこうの声をどこまで上げられたのか、クースラは聞き取れなかった。

 自分の胸を押して逃げようとする修道女の腕を掴んだウェランドは、残る手でまだ幼い少女の口をおおうように顔を掴んだのだ。クースラが思わず息を飲むほど、ウェランドの手の中にすっぽり収まる小さい顔だ。

 そして、ウェランドは目を見開いているフェネシスの顔を無理やりぐいと引き寄せて、その目をのぞき込むようにしながら言った。


「ここはれんきんじゆつ師のこうぼうだよお。子供がうろついてると、とても、危ない」

「っ! っ!」


 ウェランドは細身に見えるが、きん作業でその体はそこいらのようへいよりもきたかれている。フェネシスがどれだけ暴れたって、びくともしない。

 フェネシスが口をおおわれ、見開いた目をいつしゆんも閉じられないのは、閉じた瞬間に首の骨を折られるかもしれない、という本能的なきようがあるからだろう。

 ウェランドはそれ以上言葉を重ねずに、じっとフェネシスの目をのぞき込んでいる。フェネシスが必死に体をよじろうとしても、本当にかけらも動かさない。

 やがてフェネシスは、暴れるというよりも、恐怖で体をふるわせ始めていた。


「ふんっ」


 最後につまらなそうに鼻を鳴らし、ウェランドはフェネシスの顔から手をはなす。

 目を見開いたままのフェネシスは後ろによろめき、数歩はえたが、すぐにこしけたようでその場にへたり込んだ。

 クースラは、そこでようやく、ウェランドの視線に気がついた。


「俺はこうぼうに行くから、後は任せたよお」


 そして、さっさと階段を下りて行ってしまった。

 クースラがハッと我に返った時には後の祭り。

 人心しようあく方法のの基礎だ。

 一人が標的にあつとう的なてつてい的なけん感をあたえれば、もう一人は逆に親しくなりやすくなる。かん役と名乗ったのがこいつの運のつき。そのしゆんかんに動かなかったのがクースラの運のつき。

 悪役はウェランドに取られ、めんどうな善役を押しつけられた。

 ただ、だからといってなんのためらいもなく少女の胸をんだうえ、かけらのも見せずにおどせるウェランドの精神構造におそれ入る。

 クースラは、あきれるほかない。

 それに、いまさら取り返しはつかない。ため息を必死に飲み込み、自分の役目を受け入れるしかない。いんけんいのりの連中が監視としてすということは、このあわれな少女は自分の意思とは関係なしに、この工房の監視をやらされるはずだろうからだ。

 こんな目にわされても、きっと明日も明後日あさつても来るだろう。

 うまくかいじゆうしておかないと、まともに作業なんてできなくなる。

 だが、その相手のめんどうくささは、考えるだけでうんざりした。

 クースラは、すぐに動けなかった自分が悪いと言い聞かせ、声も表情もなくただただなみだを流す修道女のそばにしゃがみ込んだ。

 小さな悲鳴みたいなものを上げて、フェネシスとやらは後ずさろうとした。


だいじようか? あいつはちょっと、頭がおかしいんだ」


 それが長い長いなぐさめの、最初の一言だった。