マグダラで眠れ

第一幕 ⑦

 ろうには書類をかかえた部下がずらりと列をなしていて、全員がきんちように顔をこわらせている。

 自分で文字が読み書きできる権力者相手にはかくごとができないからだ。

 王や領主が高転びするのは、たいていが手紙の代筆を任せる書記官の裏切りによるものだったりする。隠しておきたいいくさの失敗や秘密を、どうしても書記官には隠せないからだ。

 逆に言えば、あのポーストは自分の秘密をいくらでも隠し、ねつ造して報告することができる。

 さすが戦場の近くはおっとりした老さいはいるっているような場所ではないらしい。

 この建物もこの町を牛耳っていた大商会から接収したもののようだが、たぶん接収したのは建物だけではなかっただろう。表通りに出れば、権勢をするための騎士団の旗が、地平線の向こうのだれかに見せるかのように高々とかかげられている。

 建物のすぐ目の前にある広場には、この町の独立を示す裁判刀を持ったしき男性のブロンズ像があるのに、それがすっかりかすんでしまっている。

 罪人の首に誰が刀を振り下ろせるかで、その町の支配者が決まるものだ。

 なのに、騎士団は勝手な権限でれんきんじゆつ師をこの町に呼び寄せ、参事会はそのしんけて人々の出入りを取り仕切っているへきにて、その荷をあらためることもできない。

 そして、そのしんな存在のクースラとウェランドは、ポーストの一存によって生きるか死ぬかを決められる。権力のかいていは、高く、同時に、重いのだ。

 クースラとウェランドの二人はそんな旗と見張りの間をくぐりけ、町の活気と昼の日差しに目をすがめた。


「どう思う?」


 クースラは、ポーストの前でも口数の少なかったウェランドにそうたずねた。

 別に人見知りをするわけではないが、ウェランドはああいう連中の前ではあまりしやべらない。その代わりに、ずっと相手を殺すことを考えている。

 と、五年前のくそ時代に聞いたことがある。


「あれだけでなにもわかるわけないよお」

「まあな」

「けど、それは鉱石だって同じだよ。神はどの金属も、じゆんすいな形でめなかったからねえ」

「つまり?」

「つまり、これまでやってきたとおりにするだけさ」


 ウェランドはくちびるはしをつり上げながら、そう答えたのだった。



 にぎやかな町の市場で昼飯をすませてから、クースラたちはこうぼうに向かった。

 これだけ賑やかな町なのに、必ずどこかにはひっそりとした空間がある。クースラたちが歩いていたのは空き家が立ち並ぶ区画で、そこをけると急に視界が広がった。

 眼下には広がる町の様子と、遠くに海も見わたせた。

 らしい景色。

 これでどうしてこの辺りは賑やかではないのかと思ったら、それはがけうえの特等席に、でんとれんきんじゆつ師の工房があるからだろう。


ぜいたくな工房だよねえ」

「トーマスってのはよっぽどだな」


 いくさというのは結局のところ勝たなければなにも意味がない。

 だとすれば、勝つためにはなんでもして、勝った後にあれこれ考えればいいということになる。錬金術師の生み出す技術一つでせんきようがひっくり返ることがままあるとすれば、前線に近い工房ほどわがままを通すこともできる。

 そういう話を聞いてはいたが、たりにするとやはりおどろきは禁じ得ない。

 ウェランドがにまにましながらクースラを手招きするので、工房の建物のわきに行って崖を見下ろして、さすがのクースラもぎようてんした。


「専用の水車?」

「しかも、水はこの地面の下を流れてる。わざわざあんきよを作ったとしか思えない。まあ、さすがに水をひとめ、というわけにはいかなかったみたいだけどねえ」


 ウェランドの言葉に従って崖下に目をやれば、そこから港に向かっては、数基の水車が回っている。粉屋かしゆくじゆう工か屋か石工かはわからないが、とにかく水車を必要とする者たちがその水車の周りにのきを連ねている。

 水車の力強さは水の力強さで決まり、水の力強さは往々にして高低差で決まる。

 その工房は崖に沿って建てられていて、今クースラたちが立っている場所を一階とすると、地下二階分くらいまで建物がある。水車はその一番下にあり、暗渠から流れ出た水の力強い流れをすべて一身に受け止めることができる。

 クースラはこれまで、水車などの大規模な設備は職人組合とめながら共用のものを利用していた。それからすれば、これだけでよだれが出るほどのぜいたくだった。


も立派だ。まちなかでこんなでかい炉を作るなんてねえ。水車がとなりにあるから、なんとか許されたんだろうけど」

「火事になったら全部水で押し流すのか」

「下の人たちがさいなんだねえ」


 ウェランドはのんに言っているが、実際のところ呑気なのだろう。

 ウェランドはれんきんじゆつ師の中でもいかにも錬金術師らしいところがある。

 自分の目的以外にはあまり細かいことを気にしない。それどころか、大きなことですら気にしないところがある。世間の基準に照らせばかなりゆるいと自覚しているクースラですらそう思う。あるいは、そんなことを気にしている時点で、自分は錬金術師としては少し神経質なのかもしれない、とクースラは思うのだが。


「しかし、あのデブのおっさんが謝るようなことってなんだ?」

「うーん……なんだろうねえ……俺にも予想ができないよお」


 水車から視線を上げ、見晴らしのいい景色を見ながら言った。なにも問題はなさそうで、万事うまくいきそうなふんすらがこの日当たりの良さにはある。


「単なるおどしかもな。それより、中に入ろう。寒い」

「うん。そうしようかねえ」


 別にこれが見納めというわけでもないが、あまりに見晴らしがよくて、クースラはごりしくがけうえからの景色をり返ってしまう。

 そんなことをしていたからだろうか。

 ウェランドがしんちゆう製のかぎを回してこうぼうの中に入るのに続いたら、急に足を止めたウェランドの背中にぶつかった。


「おい、なんだよ」


 クースラは毒づき、そして、部屋を見た。

 いしがきを木で補強したようながっしりとした建物の地上部分は、かべという壁にびっしり物が収まった、神経質さをギュッとのうしゆくしたような部屋だった。決してきたないというわけではないし、おそらくこの状態をするには大変な労力が必要だったろう。

 しかし、そんなことでウェランドが足を止めるとも思えない。

 そう思った直後、異質な声が耳に届く。


「ようやくごとうちやくですか」


 その、今にも押さえつけられていた「物」が雪崩なだれを起こしそうな部屋の中にひびいた一言は、りんとしてかねの音のようだった。

 口調というものには思いのほかたくさんの情報がふくまれるもので、たった一言であってもそれは変わらない。声の感じから体格や顔の形がある程度わかり、発音の仕方でどこの地方のどの階級にあるのかが大体わかる。もちろんしやべかたの調子から、きつい性格かおだやかな性格かもわかり、げんの良し悪しまでわかることだってある。

 それらすべてを考え合わせれば、クースラの目の前にいるそいつは、声の感じからし量れるそのままの姿だった。それが、それでもなお目をこすってしまったのは、とても信じられなかったからだ。

 れんきんじゆつ師のこうぼうで、こいつはなにをしているんだ?

 足首までかくれるローブを身にまとった、ちんちくりんの修道女は。

 ローブのふちりは団おかかえの修道院のもんよう

 迷い込んだわけでは、ないだろう。


「お前、なんだよお」


 二人でいる時は口をつぐみ、話すのをあいかたに任せて自分は相手を殺すことだけ考える、とごうしたウェランドが口を開く。しかも口調は友好的なものではない。


「ウル・フェネシスといいます。騎士団からけんされました」


 ヴェールを頭からかぶった白づくめの少女は、人形のようだ。作り物めいた緑色の目と、まっ白いまえがみのせいかもしれない。白金とたがわぬ色合いの髪の毛はめずらしくもないが、ここまで白いのはなかなか見ない。


「私は、あなた方のかん役です」


 しかし、フェネシスはクースラたちのことなど気にもとどめず名乗ってから、ようやく立ち上がる。に座っていても立ち上がってもあまり頭の高さが変わらないのは、椅子に座ると足が着いていないからだ。

 子供。

 だが、その目はひどく理知的で、本物のにおいがする。

 どう出る?