マグダラで眠れ

第一幕 ⑥

 しかも、その文字を書くゆうさたるや見ていてきないほどのものだが、どうしてその鹿でかく丸っこい手で器用に文字を書けるのか不思議な感じさえする。

 クラジウス団グルベッティちよう隊隊長、アラン・ポースト。

 いくさばたらきをする連中のために、食い物や酒や、あるいは必要な物すべてを調達し、輸送するのが輜重隊の役目だし、多くの輜重隊は実際に戦場で働いている。

 だが、騎士団上層部のそれは一味ちがう。

 騎士団が行う神の代理こうのために、という大義名分をりかざし、商会にまじってあきないをする。資金力と情報もうせいの商会の比ではないから、もうけだって同様だ。なにせ、どこかで戦が起きればどっと商人たちが儲けを目指してやってくるのに対し、騎士団はそもそもその戦を自分たちで起こすかどうか決められるのだから。

 目の前にいるアラン・ポーストは、グルベッティ周辺を流れる金という血液のすべてを牛耳っているに等しい。儲けはばくだいで、儲けと同じくらい太らせた体を、自分の腹の形にくりいた机になんとか押し込めて、仕事をしていた。


「暗殺なんてまさか。私こそ、恋人を暗殺されたばかりですが」

「毒殺なんてめっそうもない。毒なんて使わないですよお」


 部屋の真ん中に立たされたクースラとウェランドはそれぞれそう答えて、視線もまたそれぞれであらぬほうに向けていた。


「いや、非難しているわけではない。評価しているんだ」


 たがいに、へえ、とすら言わなかった。

 ウェランドは欠伸あくびをしているし、クースラはつめの甘皮をいじっていた。


「そういういも悪くない。どうっている。第一印象は一回しか相手にあたえられないからな。上役に最初にめられたら後にひびく」

「……」


 クースラがウェランドにちらりと視線を向けると、ウェランドもまたクースラを見ていた。

 たがいにため息をつき、姿勢を正してきちんと前を向いた。


「そして、種が割れたと思ったところで従順なふり、か。きゆうだいてんだ」


 ポーストは羊皮紙をそばひかえていたしつわたし、顔の中でひどく小さく感じる目をしぱしぱとさせ、がしらんでいた。


「相手に花を持たせ油断させて、後々足元をすくう。いいね」

「そうやってあつかいづらい上役だとにんしきさせて、頭を押さえつける?」


 クースラがてんじようを見たまま言うと、ポーストはでかい体をすらせるように笑った。


「それくらいでないとな。団にはそういう人選をたのんだ」


 少しだけ、に聞こうかと思う。


「……というと?」

「自分の身は自分で守れ」

「毒殺と暗殺で?」


 ポーストはにっこり笑うが、目だけが笑っていない。


こうげきは最大のぼうぎよ。私が軍務で覚えたゆいいつのこと」


 クースラは今度こそ、演技ではなくウェランドと顔を見合わせる。

 なにか予想以上にめんどうそうだぞ、と。


「お前たちの前任者は、トーマス・ブランケットという男だった。四十に手が届くかどうかのゆうしゆうやつだったが、死んだ」


 それがまるで、花がれたかのような言い方だったので、クースラは口を開く。


「ポーストかつのおひざもとでのきようこう、だったとか」


 町を牛耳っていてなんたるざまだ、と遠回しに言ってやる。

 もちろん、その程度のちようはつおこるような人物なら、今そのに座ってはいないだろう。


「まったくそのとおりだ。犯人もいまつかまっていなくてね」

「へえ?」

「意外だろう? この町の裁判権をなんとか取り返したい教会の連中も、まなこになって探しているが見つからない。れんきんじゆつ師の死は、常にしんこう上の問題に直結する。たんしようでも見つかれば、私のしつきやくねらうにはいいきっかけになりそうだからな」


 騎士団はその頭上に神を頂くが、教会の長たる教皇を頂いてはいない。

 独立の軍と資金と、独自のしんこうすらを持つと言われる所以ゆえんだ。

 どこの町でも、かんかつ権をめぐって教会と団は対立している。


「だから、どこのだれが、なんの目的でトーマスを殺したのかまったくわかっていない。事故、ぱらい同士のけんごうとうつじりか、はたまた、れんきんじゆつ師に対するへんけんからきたある種のじより、あるいは、教会がわがトーマスの錬金術の結果を欲しがったか、がえりを強要したが断られたか、さもなくばすでに寝返っていたが用ずみになったので消したか……その他、もろもろ。敵がわからなければ、対策の立てようがない。城に閉じこもるわけにはいかんしな」

「我々の身を守るなら、ろうにつなぐという方法がありますよ」

「それは私よりも上位の人間がすることだ。それに、私は働かない人間がきらいでね」


 クースラはかたをすくめ、茶々を入れて失礼しました、とばかりに手で先をうながした。


「現状、町の鉄事情は最悪だ。グルベッティ以北のせんきようは悪くないが、かくにんされている北方の鉱山の多くが異教徒の手にある。南でせいれん、武具を製造しても、向こうは労賃が高いうえに、ちゆうで取られる関税が多すぎる。ほかにも運ばなければならん物はたくさんあるしな。小麦、ライ麦、大麦、どうしゆみようばんたいせい……へい連中の乗る馬がドカ食いするえんばくも輸入しなければまかないきれん」

「つまり?」


 ことじりひとつをとらえられて、永久にしつきやくをすることがあり得る立場の人間は、結論を口にするまでが長い。

 だが、れんきんじゆつ師の人生はそれを待っていられるほど長くない。

 クースラが口をはさむと、ポーストはいつしゆん口をつぐんでから、どことなく楽しそうに笑う。


「つまり、この町にはきん技術にひいでた錬金術師を置いて鉄の生産量を上げなければならんが、前任者の死が不可解である以上、後任の人間をほいほいと連れて来るわけにはいかない」

「要するに、私たちはごまというわけですね」

「戦場でもそういう連中は必要不可欠だ。大局で勝ちくには、必要なことだからな」


 よし、死んでこい。

 そういう命令を何度も出してきた人間だけが見せられるのだろう、不気味なほどの落ち着きがそこにはあった。

 ただ、クースラもウェランドも、こうべんしようとは思わない。

 それは、立場が弱いからではない。

 もっと単純に、錬金術師はそんなことを気にしないからだ。


「じゃあ、死なない限りは戦場にいられるわけですか」

「話が早い。しかも、死地より帰った戦士は必ずえいゆうになる。見返りが安いとは思わんよ」


 戦場近くのこうぼうには、無限ともいえる予算がつく。本来ならばクースラたちのような若くて素行不良の錬金術師が配置されるような場所ではない。

 もしもそこにいたいのなら、それ相応の危険を引き受けろ。

 ごく当たり前の話というわけだ。


「まあ、この町は私の管理下だ。そうそうばんこうを何度もり返させはしないし、かんきようはこちらで最大限整える。がんってくれたまえ」


 ポーストが目を細めて相手を見ると、それはまるで墓にめられる死体を見下ろす時のように見えた。自分以外はすべて自分のための道具、と考える権力者特有の目だ。

 好きではないが、行動原理がわかりやすくて、そういう意味ではある種のしんらいが置ける。

 クースラとウェランドは風の敬礼のごとをして、「かしこまりました、かつ」と言う。精いっぱい鹿にしたつもりだが、おうようにうなずかれてしまった。相手のほうが一枚うわらしい。


「ああ、そうだ」


 と、クースラとウェランドが部屋から出ようとした時に、ポーストが呼び止める。


「君たちには謝らないといけないことがある」

「?」

「最大限私も努力したんだがな、どうにもならないことがあった」

「なんです?」


 クースラの言葉に、ポーストは答えた。


こうぼうに行けばわかる。まあ、毒殺と暗殺が得意なら、どうにかなるだろ」


 二人は小さくかたをすくめた。


「……失礼します」


 ウェランドがとびらを開け、クースラがそう言ってから、外に出た。