しかも、その文字を書く優雅さたるや見ていて飽きないほどのものだが、どうしてその馬鹿でかく丸っこい手で器用に文字を書けるのか不思議な感じさえする。
クラジウス騎士団グルベッティ輜重隊隊長、アラン・ポースト。
戦働きをする連中のために、食い物や酒や、あるいは必要な物すべてを調達し、輸送するのが輜重隊の役目だし、多くの輜重隊は実際に戦場で働いている。
だが、騎士団上層部のそれは一味違う。
騎士団が行う神の代理行為のために、という大義名分を振りかざし、商会にまじって商いをする。資金力と情報網は市井の商会の比ではないから、儲けだって同様だ。なにせ、どこかで戦が起きればどっと商人たちが儲けを目指してやってくるのに対し、騎士団はそもそもその戦を自分たちで起こすかどうか決められるのだから。
目の前にいるアラン・ポーストは、グルベッティ周辺を流れる金という血液のすべてを牛耳っているに等しい。儲けは莫大で、儲けと同じくらい太らせた体を、自分の腹の形にくり抜いた机になんとか押し込めて、仕事をしていた。
「暗殺なんてまさか。私こそ、恋人を暗殺されたばかりですが」
「毒殺なんてめっそうもない。毒なんて使わないですよお」
部屋の真ん中に立たされたクースラとウェランドはそれぞれそう答えて、視線もまたそれぞれであらぬほうに向けていた。
「いや、非難しているわけではない。評価しているんだ」
互いに、へえ、とすら言わなかった。
ウェランドは欠伸をしているし、クースラは爪の甘皮をいじっていた。
「そういう振る舞いも悪くない。堂に入っている。第一印象は一回しか相手に与えられないからな。上役に最初に舐められたら後に響く」
「……」
クースラがウェランドにちらりと視線を向けると、ウェランドもまたクースラを見ていた。
互いにため息をつき、姿勢を正してきちんと前を向いた。
「そして、種が割れたと思ったところで従順なふり、か。及第点だ」
ポーストは羊皮紙を側に控えていた執事に渡し、顔の中でひどく小さく感じる目をしぱしぱとさせ、目頭を揉んでいた。
「相手に花を持たせ油断させて、後々足元をすくう。いいね」
「そうやって扱いづらい上役だと認識させて、頭を押さえつける?」
クースラが天井を見たまま言うと、ポーストはでかい体を揺すらせるように笑った。
「それくらいでないとな。騎士団にはそういう人選を頼んだ」
少しだけ、真面目に聞こうかと思う。
「……というと?」
「自分の身は自分で守れ」
「毒殺と暗殺で?」
ポーストはにっこり笑うが、目だけが笑っていない。
「攻撃は最大の防御。私が軍務で覚えた唯一のこと」
クースラは今度こそ、演技ではなくウェランドと顔を見合わせる。
なにか予想以上に面倒そうだぞ、と。
「お前たちの前任者は、トーマス・ブランケットという男だった。四十に手が届くかどうかの優秀な奴だったが、死んだ」
それがまるで、花が枯れたかのような言い方だったので、クースラは口を開く。
「ポースト閣下のお膝元での凶行、だったとか」
町を牛耳っていてなんたる様だ、と遠回しに言ってやる。
もちろん、その程度の挑発で怒るような人物なら、今その椅子に座ってはいないだろう。
「まったくそのとおりだ。犯人も未だ捕まっていなくてね」
「へえ?」
「意外だろう? この町の裁判権をなんとか取り返したい教会の連中も、血眼になって探しているが見つからない。錬金術師の死は、常に信仰上の問題に直結する。異端の証拠でも見つかれば、私の失脚を狙うにはいいきっかけになりそうだからな」
騎士団はその頭上に神を頂くが、教会の長たる教皇を頂いてはいない。
独立の軍と資金と、独自の信仰すらを持つと言われる所以だ。
どこの町でも、管轄権を巡って教会と騎士団は対立している。
「だから、どこの誰が、なんの目的でトーマスを殺したのかまったくわかっていない。事故、酔っ払い同士の喧嘩、強盗、辻斬りか、はたまた、錬金術師に対する偏見からきたある種の魔女狩り、あるいは、教会側がトーマスの錬金術の結果を欲しがったか、寝返りを強要したが断られたか、さもなくばすでに寝返っていたが用ずみになったので消したか……その他、諸々。敵がわからなければ、対策の立てようがない。城に閉じこもるわけにはいかんしな」
「我々の身を守るなら、牢につなぐという方法がありますよ」
「それは私よりも上位の人間がすることだ。それに、私は働かない人間が嫌いでね」
クースラは肩をすくめ、茶々を入れて失礼しました、とばかりに手で先を促した。
「現状、町の鉄事情は最悪だ。グルベッティ以北の戦況は悪くないが、確認されている北方の鉱山の多くが異教徒の手にある。南で精錬、武具を製造しても、向こうは労賃が高いうえに、途中で取られる関税が多すぎる。他にも運ばなければならん物はたくさんあるしな。小麦、ライ麦、大麦、葡萄酒、明礬、大青……騎兵連中の乗る馬がドカ食いする燕麦も輸入しなければ賄いきれん」
「つまり?」
言葉尻ひとつを捉えられて、永久に失脚をすることがあり得る立場の人間は、結論を口にするまでが長い。
だが、錬金術師の人生はそれを待っていられるほど長くない。
クースラが口を挟むと、ポーストは一瞬口をつぐんでから、どことなく楽しそうに笑う。
「つまり、この町には冶金技術に秀でた錬金術師を置いて鉄の生産量を上げなければならんが、前任者の死が不可解である以上、後任の人間をほいほいと連れて来るわけにはいかない」
「要するに、私たちは捨て駒というわけですね」
「戦場でもそういう連中は必要不可欠だ。大局で勝ち抜くには、必要なことだからな」
よし、死んでこい。
そういう命令を何度も出してきた人間だけが見せられるのだろう、不気味なほどの落ち着きがそこにはあった。
ただ、クースラもウェランドも、抗弁しようとは思わない。
それは、立場が弱いからではない。
もっと単純に、錬金術師はそんなことを気にしないからだ。
「じゃあ、死なない限りは戦場にいられるわけですか」
「話が早い。しかも、死地より帰った戦士は必ず英雄になる。見返りが安いとは思わんよ」
戦場近くの工房には、無限ともいえる予算がつく。本来ならばクースラたちのような若くて素行不良の錬金術師が配置されるような場所ではない。
もしもそこにいたいのなら、それ相応の危険を引き受けろ。
至極当たり前の話というわけだ。
「まあ、この町は私の管理下だ。そうそう蛮行を何度も繰り返させはしないし、環境はこちらで最大限整える。頑張ってくれたまえ」
ポーストが目を細めて相手を見ると、それはまるで墓に埋められる死体を見下ろす時のように見えた。自分以外はすべて自分のための道具、と考える権力者特有の目だ。
好きではないが、行動原理がわかりやすくて、そういう意味ではある種の信頼が置ける。
クースラとウェランドは騎士風の敬礼の真似事をして、「かしこまりました、閣下」と言う。精いっぱい馬鹿にしたつもりだが、鷹揚にうなずかれてしまった。相手のほうが一枚上手らしい。
「ああ、そうだ」
と、クースラとウェランドが部屋から出ようとした時に、ポーストが呼び止める。
「君たちには謝らないといけないことがある」
「?」
「最大限私も努力したんだがな、どうにもならないことがあった」
「なんです?」
クースラの言葉に、ポーストは答えた。
「工房に行けばわかる。まあ、毒殺と暗殺が得意なら、どうにかなるだろ」
二人は小さく肩をすくめた。
「……失礼します」
ウェランドが扉を開け、クースラがそう言ってから、外に出た。