ウェランドは歩き出し、つま先を見ながら肩をすくめている。
「そっちは?」
「俺? 毒殺してないからだよお」
「……つまり?」
「つまり、あのデブが散々飯を平らげた後、俺がふらりと食卓に姿を現して、目の前で笑顔で小瓶を振って見せたのさあ。そしたら、顔を青くして、死んでしまったというわけさ」
クースラが看守をからかった手口の、たちの悪い最たるもの。
もっとも、それで死ぬというからには、向こうにもなにか心当たりがあったのだろう。
「なんでそんなことをした?」
「俺の女に言い寄ってたんだよお」
それしかないだろ? というような目を向けられるが、クースラは聞かざるを得ない。
「女子修道院の院長だろ?」
「だから、修道女にね。女子修道院の院長が女とは限らないよお」
クースラが肩をすくめたのは、聖職者の退廃と共に、籠の鳥のはずの修道女と縁を結ぶウェランドが相変わらず見事だったから。
「あのデブは他にもろくでもないことをしてた。俺は人助けをしたんだよお。修道院の修道女が揃って助命の嘆願さ。だから、お咎めなし。修道院では俺は英雄扱いさ」
「お前は昔から上手だね」
「クースラがへたなんだよお」
密偵に言い寄られてころりと落ち、挙句それをあっさり殺されたクースラは肩をすくめて、通りすがりの鶏を蹴っ飛ばした。
「しかし、驚いたよねえ」
ウェランドは歩きながら、のんびり言った。
「まさかクースラが同じ工房に来るとは」
「こっちの台詞だよ」
「騎士団の懲罰牢では何度か会ったけどなあ?」
クースラも出たり入ったりだが、ウェランドのほうもそれに劣らずで、時折顔を合わせていた。
「だが、工房に一緒にいたのはいつだ?」
「ええーと……もう、あれが五年前とかかな? 懐かしいよお」
五年前、どっちも過去の自分を思い返せば、苦笑いしか出てこないような糞餓鬼だった。
互いに喧嘩ばかりして、知恵がつき始めたら工房から盗んできた毒を相手の飯に盛った。
けれど、師匠が自分たち糞餓鬼以上の屑で、卒業の暁にウェランドと二人で毒殺を企て、水銀を使った毒の飯を半分食わせたところで御用になった。
ばらばらにひっ立てられる最中、またな、と手を振ったら、笑顔で振り返されたのを今でも覚えている。
「クースラはあの時から、涙もろかったよなあ」
「お前いつも言うな。それは自分が涙ぐんでたからだろ?」
「へーえ?」
ウェランドは肩をすくめついでに、ひょいと飛び上がって踵を返した。
「それより、さっさと首吊り役人に挨拶して、工房に行こう。楽しみでよう」
首吊り役人とは、錬金術師が工房を構える町で、一切の采配を担う人間のこと。
日々の作業に使う物資の手配はもちろん、錬金術師たちが教会の一派に異端の烙印を押されて火刑台に連れて行かれるのを助けるところまでをも担う。逆に、騎士団にとって不都合だとなれば平気で教会に売り渡すところだし、時には暗殺だってする。
彼らは文字どおり、生殺与奪の権限を持つ。
だから、首吊り役人。
首切り役人ではないのは、錬金術師は首切りなどという平民向けの生ぬるい刑罰を受けられないからだ。火刑はすぐに死ねるから楽なほうで、基本的には犬と一緒に逆さまに吊るされて、苦しむ犬に噛みつかれ、引っ掻かれながら、三日とか四日をかけて死に至る。
クースラは、顔が勝手に歪まないように注意しないと、と自分に言い聞かせながら、ウェランドに聞き返した。
「あれ、まだ工房に行ってないのか?」
「行ってない。積み荷だけ先に運ばせておいたけどね。今日の朝、騎士団の輜重隊と一緒にここに着いたんだよう」
「ついさっきなわけか」
「そうだよお」
「一人で行けばよかったのに」
「そんなことできるかよおー」
殊更語尾を伸ばして、馬鹿にするように言った。
「相棒」
「ぞっとするね」
「ひどい奴だよおぉぉぉおおぉぉぉぉ……」
犬の遠吠えの真似をするのは、クースラが牢の見張りをからかったのと同様の、ウェランドの好きな振る舞いだ。戦場から近いために、傭兵や盗賊まがいの騎士といった荒くれ者を見慣れた町の人間でさえ、ぎょっとして足早に歩き去る。
錬金術師。
忌み嫌われる、外法の輩。
若さの抜けないうちは、そんな世間の評価に暗く笑って凄んでいたものだ。
今ではすっかり丸くなって、せいぜいが看守をからかう程度だった。ウェランドは見習いの時そのままに、平気で人を殺しているらしいが。
「だが、工房に行くのは賛成だ。鉄を溶かすように、体の凍えを溶かしたい」
「外から見た感じでは、いい具合だったよお。さすが戦の最前線」
クラジウス騎士団がその資金と軍事力を今最も傾けているのがこの北の地であり、拠点の一つがこの最北の港町グルベッティになる。もっとも、最北というのは騎士団にとって、という意味なのだが、騎士団すなわち世界であるという認識を笑うような勇気ある輩は、なかなか今の世の中にはいない。
そんな中、前線の近くに工房を構えたいと願うのは、欲深い錬金術師たちの多くの夢になる。なぜなら前線はたくさんの木炭をくべられた炉みたいなもので、戦に勝つためにあらゆる融通が利くからだ。
無尽蔵の資金。優先的な書籍の配分。地元の職人や鉱山への権力行使。他にも、秘匿された禁書の閲覧権限と、枚挙にいとまがない。
ウェランドと二人で、という条件がなければ、狂喜していたことだろう。
「しかし、グルベッティの工房に前までいた奴はどうしたんだ? こんないい工房を明け渡すなんて、馬鹿だな」
クースラが馬糞を避けながら言うと、ウェランドは昨日の天気のように言った。
「死んだらしいよお」
「へえ? 事故か」
軒先につながれた犬の口は血で真っ赤だ。朝方に猟に出たのかもしれない。もちろん、町をうろつく生き物が相手なのだろうが。
「いや、なんか町中で殺されたらしいんだよね」
クースラはしばらく馬糞の列を避け、返事をしなかった。
よくあることだとは思ったが、一つ、気になったことがあった。
今回の配置は、騎士団側に懲罰的な思惑がある。
「もしかして、二人ってのはそういうことか?」
「うーん……俺もそう思ったよお。品行方正じゃない俺たちがこんないい場所に送られるなんて、絶対裏があるからねえ」
ウェランドはがりがりと頭を掻きながら、つまらなそうに歩く。
道端の石ころですら、割ったり削ったり観察したりして楽しく遊べるウェランドだから、つまらなそうな顔をしている時は、すなわち不機嫌な時だった。
「一人じゃまた殺されるかもしれないから、二人なら心強いだろうって?」
二人はそれから沈黙し、クースラはぐるりと首を巡らし、ウェランドは小石を蹴った。
「錬金術師は舐められたらおしまいだ」
「はは。あの糞師匠の唯一の教えだなあ」
二人の向かう先は、首吊り役人の屋敷になる。
五年前を思い出して、少しだけ肩を怒らせた。
「びびんなよ?」
「こっちの台詞だよお」
誰かとそんな軽口を叩きながら歩くのはそのまま五年ぶり。
噛み潰そうとしても噛み潰しきれない懐かしさに顔が歪む。
道行く人たちは飛びのくように道を開けたのだった。
「聞いているよ。毒殺と暗殺が得意だって」
純金の文鎮で羊皮紙を押さえた男は、執務机でさらさらとペンを走らせながらそう言った。