マグダラで眠れ

第一幕 ④

 ただ、老騎士の言葉も多少はぼしだった。フリーチェはいい女だったし、みつていかもしれないとうすうすわかっていてもあのじやみはわいかった。久しぶりに、いつしよにいて楽しいと思える相手だった。

 それでも、ではそこまで悲しいのかというと、クースラは自分のことなのに自信がなかった。

 もともと、錬金術師はすべてがてんし、この世のすべては変化しうると思っている。人は死に、世は移り変わり、古いものは新しくなる。そうであればこそ、なまりだってきんに変わりうるし、鹿げた夢だって現実に変わりうるのではないか、と考える。

 万物はてんし、とどまらない。

 その変化を信じ、追いかけ、金属を錬り続けるゆえに、〝れんきん〟術師なのだから。

 そして、旅路もまたいつか終わる。しりの肉がり切れそうになったころ、ようやく馬車が止まり、ぎよしやが「着きましたよ」と旅程で初めて口を開いた。


「……っ」


 クースラは十日ぶりに馬車から降りて、とにかくびをした。

 人に見られることまかりならず、というわけで、十日間ずっと馬車の中だった。

 ただ、読むべき書物や書簡だけは山のようにあたえられたから、尻の痛さ以外に苦痛はなかった。なんとなれば、もうしばらくこのままでもいいと思っていた。

 外は寒いが晴れていて、空気は冬独特のんだにおいがする。

 朝市はとっくに終わっているような時間で、きんりんの村から来たのだろう農夫が、牛を連れてのんびりといているのが見えた。おだやかで、変化といえば季節の移り変わりだけで、家に帰れば家族の待つへいぼんな人生のしようちようだ。

 ある日言い寄ってきた女がみつていで、ようやく好きになれたと思ったその矢先、ほんのわずかに目をはなしたすきざんさつされるような人生では決してない。

 クースラは別にそのことを、うらやましいとか、悲しむべきことだとは思っていなかった。たぶん、人よりも感情がにぶいのだと思う。フリーチェのことはとても残念だし、生き返ってくれるのならそれにしたことはない。でも、クースラはフリーチェの死を目の前にして、取り乱しすらしなかった。思ったことは、この死をきんに生かすとしたら、どうすればいいだろう? ということだけだった。

 だから、フリーチェのことを思い出して胸がうずくのは、それが原因なのだろうと思う。きちんと悲しめなかった。取り乱しすらしなかった。そのこと自体が、ある意味でつらいのかもしれなかった。

 ないものねだりだな、とクースラは人知れずため息をつき、へきの検問をける。クースラ自身はもちろん、積み荷もあらためられないのは、団からの特権状があるからだ。グルベッティの町は、参事会員のほとんどが強引に騎士団に買収された町だ。市壁を構え、独立した都市であることをほこりにする古くからいる人間からすれば、おもしろくないはずだった。

 だからつういやな顔をされるものなのだが、さっさと通してくれたのはクースラが錬金術師だとすぐにわかるからだろう。良識ある町の人間からすれば、錬金術師とかかわるより、たんの人間と手をつないで歩いたほうがましなことなのだ。

 クースラは十日間座りっぱなしの体をほぐすために、馬車の横について歩いていく。

 分厚い市壁は、その中に守衛がまりするせつがすっぽり入るほど。たぶん市壁の中はろうになっていて、弓矢や投石機が山ほど積まれていることだろう。おかざりでなく、油がられ、あるいはまだ血のこびりつくものが。

 れんきんじゆつ師が呼ばれるのは、そこに解決すべき問題があるしようだ。

 特に、きん関連はろくなものがない。

 金銭的な問題か、さもなくばもっと直接的に、強化したおのたたき割りたいがいがあるからだ。

 ただ、クースラがへきけて軽く口笛をいたのは、町のかつきようがそれほどだったからで、まず規模からしてグルベッティはそれまでクースラがいた町とは比べ物にならない。

 港に注ぎ込む川は水量が豊富で、そこにかる橋は三つとも四つとも言われている。

 そして、市壁をくぐれば、そこはうわさたがわぬ盛況ぶりだった。荷馬車や荷物を積んだラバの数も多く、にわとりめたかごまんさいにした荷車もちょうど目の前を通って行った。自分の体よりもでかい荷物を背負っているのは、頭にきんを巻き、目元がひどく日焼けした連中だ。たぶん、雪が降りしきる山の上をえて来た行商人の一団だろう。背負っているのは森で取れる毛皮か、はくみつろうといったところだろうか。彼らはようやく足が取られる雪の中からい出したと思ったら、町の中に来てげんなりしたことだろう。道には馬やラバのふんが降り積もり、そこをさらに雪崩なだれのようにはないのぶたやどこかからげ出してきたのだろう鶏が歩き回っている。

 もちろん、うろつくのは動物だけではなくて、かべに寄りかかりながら通りを見回しているおんやからも多い。スリ、ごうとうたぐいから、商売女に、領主から命じられ、領地から逃げ出したとうぼう農民を追って来たもいるだろう。手の中でへいもてあそんでいるのはもぐりのりようがえしようだ。これは旅人が多くて、景気のいい場所にしかいない連中だから、ある種のえん物かもしれない。もぐりの両替商がふくろだたきにされていないのは、いちいち取りまらなくてもいいほど大量の人が両替商の存在を必要としていることを示している。

 クースラは、上品な人間ではない。

 どちらかといえば雑多なほうが好きで、にぎやかなふんは大好きだった。

 しかも、この町には港があり、中心部はそっちのはず。

 へきの入り口からこの賑やかさなら、港付近はもっとこんとんとしているはずだった。

 そして、クラジウス団はこの町を根底から支配している。

 そのもんようがあれば、だれもクースラのやることに文句をつけられない。


「いいね」


 クースラは胸の内のもやもやを入れえるようにほこりっぽいわいざつな空気を吸い込んで、にんまりと笑う。

 呼び込みのぞうも、商売女も、もぐりの両替商も声をかけてこないのは、クースラのいが一目でそれとわかるほど、周りから浮いているからだろう。


「で、どちらに?」


 口を開いたのは、ぎよしやだ。

 それにしたって、クースラの顔を見ない。


「さあ。むかえが来るはずなんだがね」


 ぎよしやはふんとも言わないが、づなにぎる左手は指が半分なく、ぼうひげかくれた横顔には、耳のななうしろにまで続く大きな切り傷のあとがある。団で長く戦役にき、引退した人間だろう。クースラの護衛というよりも、クースラがげ出した時に追いかけて殺すための人選に見えた。


「……っ」


 そして、そんな御者がふと顔を上げた。

 野のうさぎのように、このざつとうの中、自分たちに向けられる視線にすぐに気がつくのだ。

 手綱をり、馬を十字路の角に向ける。

 そこにはせぎすの男が一人立って、ニヤニヤ笑っていた。


「無事だったなあ」


 びしたしやべかたは、そいつのくせ。ぼさぼさの長いきんぱつをだらしなくくくり、しようひげるか伸ばすかはっきりしろと言いたくなる。それでも、クースラのことを見てみを向けてくるのは、世の中でこの男くらいのもの。クースラもまた、つい口元をゆがめてしまった。


「お前が言うのかよ。そっちこそなんで生きてるんだ?」

「神のかねえ」


 修道院長を毒殺など、まかりちがっても見のがしてもらえるはずがないのに、ウェランドはこうして生きている。あの老騎士が言うように、れんきんじゆつ師はほう使つかいだ。


「そっちはどうやってげたんだよお。聖人の骨をにくべたって聞いたよお」

「火はつく前だった。それに、お決まりの逃げこうじようだ。聖人の骨を炉にくべてもしんばつが下っていないのは、聖人様が寒がっていたからだって」