マグダラで眠れ

第一幕 ③

 そのほとんどが、余人から見ればくだらないこと。すなわち、おのれの夢。あるいは、おさえようのない好奇心が原因だった。

 そして、だれが言ったか、錬金術師が見ているその「先」の世界を、マグダラの地と呼んだ。

 錬金術師は、めればそのためだけに、人としての命と尊厳のすべてをけるのだ。


「お前のおかげで、この近辺の鉄の生産量がやく的に増えた。燃料代も数割から減った。騎士団が節約できたその金額たるや、けいに処されるお前を教皇派から救い出すに足るほどだ」


 老騎士は言葉を切ってクースラの反応を見るが、クースラは視線を机に落としたまま動かない。


「その才能をつぶすのはもったいない、と上はお考えだ」

「次はどこのこうぼうです?」


 老騎士の言葉にかぶせ気味にたずねた。

 錬金術師は職人とはまたちがう技能を持つとくしゆな職業だ。

 なかなか代えはかないし、しょっちゅう死ぬ。

 誰かに殺される以外にも、事故だってひんぱんにある。

 たきの周りをうろつく、きんでできたのようなものだ。


「ただ、今回の件は過去のどれよりも悪質だ。騎士団としても無罪放免というわけにはいかない」

「……かくしてますよ」

「グルベッティ」

「え?」


 クースラは思わず顔を上げた。その地名は、あまりにも意外だったからだ。


「前線の近く? いいんですか、そんな場所に行って」

「お前たちには、うってつけの案件だと思う」

「グルベッティ……グルベッティね……」


 クースラは口の中でもぐもぐとり返し、それからようやく、老の言葉が頭に降りてきた。


「たち?」

「ウェランドを知っているだろう」


 老騎士の顔は、苦々しい。

 しかし、そうでなければ、クースラはその質問に思い切りとぼけたかもしれない。その名前は、それくらいとつなものだったからだ。


「まさか?」

「そのまさかだ。グルベッティのこうぼうには、ウェランドとお前の二人で行けという話だ」

「へっ」


 それは鼻で笑ったわけでも、ましてや不満を示したわけでもない。

 おどろきのあまり、しゃっくりが出てしまったのだ。


「なに考えてんですか? だって、ウェランドってあれでしょう? どっかの修道院長を毒殺してつかまったって」

「聖アリル女子修道院だ。貴族のむすめばかり集まるしようしやな修道院だよ」

「へっ」


 それは明確に鼻で笑い、クースラはかたらした。


「教会はどうしてやつを生かしてるんです?」

「わからんよ。お前たちはれんきんじゆつ師だ。ちがうか?」


 不可能を可能にする。

 なまりきんに変える、が錬金術師のまくらことばだ。


「で、俺とウェランドを同じ工房に入れると」

「見習い時代、同じ工房だったそうだな。ごころは知れてるだろう」

「ごじようだんを。あいつは俺の飯に毒を七回盛りましたよ」

「お前は九回だったと聞いている。たがいに毒による暗殺を切りけられてきたのは、あの時の経験がきているんじゃないのか?」

「はっ。たぶん、きんぎゆうきゆうのおかげでしょう」


 わなを見破るさずけてくれるサファイアは、こうどうじゆうせいでおうし座になる。もちろん、サファイアの指輪をめている老騎士へのあてつけで、老騎士は思わずといった感じで左手の小指をかくしている。

 ただ、ウェランドの名を聞くのは本当に久しぶりで、クースラは頭の後ろの毛がちりちりしそうだった。


「目的は? 無罪放免じゃない、と言いましたよね。ちようばつ的な理由があるはずだ」

「私もくわしくは聞かされておらん。うわさばなしを組み上げた程度のことしか知らない。そして、ここでは口がわざわいのもとになる。私は上からの命令でお前を送り出す。お前はしゆくしゆくと従うことになる。うまくいけば団のれんきんじゆつ師としてはしを登る。失敗すれば、これまでの責を取らされる。もちろん」


 老騎士は、ためをはさむ。


なまりきんに変えられれば、万事解決だろうがね」

「やりますよ」


 クースラはそくとうする。断ったところで断れるわけがないのだが、それでも返事はばやく出た。


「ただ、上がなにをたくらんでるのかは気になりますが」


 老騎士はクースラの質問を無表情に受け止めて、にこりともしない。


「私にはわからんよ」

「……」

「戦場がなつかしい。あの時は、いつだって遠くの地平線まで見通せたものだ」


 ため息まじりのその台詞せりふは、あまりじようだんにも思えなかった。



 クラジウス騎士団。

 この世で知らぬ者はないと言われるほどの権勢をほこる、金と軍事力のかたまりのことだ。

 元は教会が主導した、東方の失地回復運動──失われた聖地を取り戻せ、という宗教的軍事行動の落とし子だった。

 聖典の書かれた約束の地、クルダロス。そこは永いこと異教徒にせんりようされ、じゆうりんされていた。

 教皇フランジヌス四世はその事実を見過ごせぬとばかりに立ち上がるや、当時のたいの神学者、アメリアの聖ジルベールの神学理論を用いて土地のだつかんを教理的に正当化した。言ってしまえば略奪に、神のおゆるしを得たのだ。

 その戦いは開始されて以来、二十二年つ今でもなお続いている。

 たくさんの人間が、教会のもんようの入ったよろいに身を固めたり、あるいは体に紋様を刻み込み、東方へと向かった。また、けんを持つ者だけでなく、聖典の書かれた約束の地で死にたいと願う、つえを持つ者たちもじゆんれいの旅に出た。

 クラジウス騎士団の前身であるクラジウス兄弟団は、そんな戦いにおもむく者や巡礼に赴く者たちをめ、いやす、聖地へと続く道のじようにある病院のようなものだった。

 だが、はるか遠方の地にあるそこでは、病やが原因でたおれる者が少なくなかった。

 彼らはその場でゆいごんを残し、すべての財産を兄弟団にたくして死んだ。

 クラジウス兄弟団はそれらの遺産でゆうふくになり、裕福になれば自分の財産を守るために独自の武力が必要になる。やがて、やさしき修道士がけいけんな信者の最後のほどこしを受け取るだけだったそこは、いつしかどんよくな騎士が積極的に富を追い求める組織になった。

 今では教会の総本山である教皇をもしのぐと言われる資金力と信徒を持ち、あつとう的な数のかかえるクラジウス騎士団を止められるものはこの世に存在しない。

 そのけんでんがいくらかはおおにしろ、少なくともクースラは四度の死罪を教会から言いわたされ、四度とも助かっている。損得かんじようけた騎士団から見て有用なうちは、教会といえどもクースラをけいに処すことは難しいということだ。

 こちらも、従うのが得であるうちは、騎士団所属のれんきんじゆつ師としてうでるう理由があるだけのこと。クースラは、どうしても「マグダラの地」に行きたかったのだ。

 そのためには錬金術師として研究を続けるしかなく、研究のためにはばくだいな資金と豊富な材料と、長い年月、それに、危険から守ってくれる権力がる。騎士団のもとでなければ、まず無理なことだろう。

 だから、本来ならば騎士団には従順な羊のように仕えるべきなのだ。聖人の骨をにくべて精錬の結果が変わるかどうかをためすのは、自殺こうに等しいし、おはらばこにされる可能性だって十分すぎるほどにあった。

 ただ、ろうから解放された後、この寒い季節に北の町グルベッティを目指すクースラは、馬車の中で老騎士とのやり取りを思い出していた。フリーチェの死と、そして、あの老騎士の顔。


「へっ」


 クースラは、苦笑する。

 くべそこなった。

 たぶん、いけたはずだ、と思う。聖人の骨を炉にほうり込み、良い鉄に仕上がるかどうかを試しても、助かったはずだ。フリーチェを殺されて、さくらんしていたから。しようしんで、訳がわからなくなっていたから。その言い訳とこれまでの自分の実績で、ぎりぎりのところを通せたはずだった。

 そうでもなければ、あんな危ない橋、わたるはずがない。


「……せんざいいちぐうだったんだがなあ」


 クースラは短く言って、小さく息を吸った。

 鉄の精錬の際、骨をくべると結果が変わるというのは本当にあることだ。骨の代わりに石灰を加えることもある。