だが、鉱石を効率よく鉱山から採掘する技術というのは、石を持ち上げる縄の強さなのか、掘るための道具の強靭さなのか、その道具の形状なのか、それとも岩をも溶かす酸の発明なのか、あるいは誰も思いついたことのない何かなのかと考えると、職人組合の問題が一気に噴出する。それに、職人たちは自分の職分を全うするので忙しいし、職分があるせいで新しいなにかをしようとすれば組合から睨まれてしまうのでそもそもそういうことが不可能だったりする。
だから、職人とは違い、製品をなにも生み出さず、「方法」だけを探る連中が必要なのに、彼らを管理したり育成したりする便利な機関や制度が存在しない。
しかも、新しいことというのはなんであれ、常に必ず信仰の問題がつきまとう。
流行に敏感な町娘が、それまでの常識では考えられないような髪型をするだけで異端かどうかが問われるのだから、当然懸念すべきことだ。
そして、異端と見なされれば、大変なことになる。
そんな危険を職人組合程度のところが負うはずもない。
だとすれば、新技術で他の王や領主を出し抜きたい権力者は、自分で資金を出し、自分で育成し、自分の権力で保護しなければならず、事実そういうことがあちこちで脈々と続いていた。特に、金属にまつわる研究を権力者は欲していたため、保護を与えられた者たちは、いつしか錬金術師と呼ばれるようになった。
だから、クースラを牢から連れ出した高級騎士は、情けからそうしたのではない。
この世で最も多く錬金術師を召し抱える巨大な権力機構、クラジウス騎士団の一部として、そうしたのだ。
「食いながら聞いてくれればいい」
程なくして、焼いた豚の塩漬け肉とチーズを挟んだパンに、温めた蜂蜜酒が用意された。牢では冷えた玉ねぎと黒パンしか食べていなかったクースラは、遠慮なくかぶりつき、酒で流し込む。温めた蜂蜜酒が胃に下りるのがよくわかる。胃の形が、本当に見たとおりに思い描ける瞬間だ。
「二週間もかかるとは思わなかったが……お前の裁判権は正式に我々が手に入れた」
「自分に、まだそれだけの価値があるとはね」
クースラは言って、それからおもむろにパンを置いて上の部分をはがすと、懐から小瓶を取り出して中身を振りかけた。
「おいっそれは──」
「塩ですよ、塩」
色を失う老騎士に、クースラは言う。
「なんだ、やはり冗談か……」
「いえ、砒素はこっち」
クースラがまた別の小瓶を取り出すと、老騎士は目を剥いてそれを見た。
「欲しければ差し上げますよ」
「……どうせ、そっちも塩だろう」
「そう信じていたほうが、お互いの身のためですね」
小瓶を懐にしまうクースラに、老騎士は勘弁してくれとばかりに椅子の背もたれに体を預けた。それから目頭を揉むと、遠くのものを見るようにクースラを見た。
「なぜそんな無頼を気取る? お前には他の連中と違い、珍しく常識と判断力がある。笑うな。私は本当にそう思っているし、それは美徳でもある。それどころか、他の連中がもう少し持つべきものでもある。なのに、なぜだ? 今回のことだって、教会の宝物庫から聖人の骨を盗み出して炉にくべるなど、正気の沙汰じゃない。死ぬ気なのか?」
「もう、他に試す方法がなかったんですよ」
「嘘をつくな! お前の実験報告を見て来ている。お前は誰より迷信にちなむ方法を忌避していたはずだろう!」
クースラは顎が机に付きそうなくらい猫背でパンを頬張りながら、老騎士を見上げている。
沈黙は深夜の闇に紛れ、老騎士は静かに言った。
「火がつく前でよかった。燃えていたら、今頃本当にお前も消し炭だぞ。なあ」
そして、疲れたように言う。
「なぜなんだ。なぜ、その才能を無駄にするようなことをする」
「なぜ?」
クースラはパンを口に含んだまま、唇の端をつり上げて聞く。
肩を揺らし、そうやって食べ物を飲み込む鳥かなにかのように、パンを飲み下した。
「自分ではわかりませんが、腕のいい錬金術師が頭蓋を開いてみたらわかるかもしれませんね」
「……ふう」
老騎士はため息をついて、盗人のようにパンを隠しながら頬張るクースラを見た。
「フリーチェのことか?」
その一言が、クースラの手を止めた。
「やはり……。だが、フリーチェのことは──」
「気にしてませんよ。教皇派の密偵だった。俺の冶金技術を盗むための。そうでしょう?」
「……そうだ。証拠がある。山ほどな」
「だったら、殺せばいいさ。俺が酒を取りに行ったその隙にね。笑うとくぼみを作る鎖骨をぶった切って、痩せている割に目立たない肋骨を割って、突つくとかすかに震える腹から綺麗な肝臓がぽろりとこぼれるほどばっさりと。それでその後、腸を存分に漁ればいいさ。お目当てのなにかが見つかったのならそれでいいですよ。腹に一物隠し持っているってのは……冗談じゃない」
熱いくらいに温められた蜂蜜酒を、一気に飲み下す。
あの時も飲んでいたのは蜂蜜酒だ。
当てつけなのだろう。
クースラは、暗い目で老騎士を見た。
「鉄の精錬に聖人の骨を使おうとしたのは、本当に前々からやってみたかったからですよ」
教会の人間が聞いていたら卒倒するような話だったが、老騎士はさすがに動じなかった。
「フリーチェのことは……私にもどうすることもできなかった。気の毒なことだと思う。だが、事前に話せばお前から漏れることだってあった……。惚れていたんだろう?」
事前の調査はお手の物のはず。
クースラは、答えることすら嫌だった。
「だが、もしも事前に話を漏らすようなことがあったら、お前は確実に一緒に殺されていた」
「はっ」
クースラが吐き捨てると、老騎士はゆっくりと息を吸って、吐いた。
「錬金術師を辞めるか?」
それは、慈父のような言葉だった。
外道と罵られ、異端と蔑まれ、大権力者の庇護があっても常にその命と頭脳を狙われ、時折心を許す相手は敵の密偵だったりする。
そんな茨の道が続く人生を変えてみるか。
「私が推薦しよう。我々クラジウス騎士団から抜け出ることは難しいだろうが……もっと真っ当な職に就くことはできるだろう。幸い、我々は巨大だからな」
クースラは老騎士を見る。深く青い目が、いたわるような光をたたえている。いい人なのだろう、とクースラは思った。高貴な生まれの、騎士としての誇りを胸に抱いたまま、この歳まで生き続けてきた幸運な男。
たぶん、言葉に嘘はないはずだ、とわかるくらいの付き合いがある。
それでも、クースラは酔い潰れる寸前の酔っ払いのように、テーブルに肘を突いた手で頭を支える。そして、支えきれずにずるずると額をテーブルに落としていった。
だが、クースラはそこまで堕ちてもなお、目を閉じることができないのだ。
「続けますよ。俺には、それしかない」
こんな目に遭っても、なお。
老騎士はクースラから視線を外し、哀れな身の上の者にそうするように、大きなため息をついた。
「どんな目に遭っても好奇心を止められない。お前たちはそういう病みたいなものだ」
「しかも、くそくだらない目的のためにね」
「マグダラ、か」
老騎士が咳払いを小さく挟んだのは、その一言に対する感想を言いたくなかったからだろう。
錬金術師はこの世の秩序機能の、隙間を埋めるような存在だ。真っ当な機能の一部ではないから、身分は不安定だし、いつも白い目で見られている。それでも錬金術師が錬金術師になるのには、理由があった。多くが職人として腕を振るうこともできるのに、あえて灼熱の道を行くのには理由があった。