錬金術師と呼ばれる連中がいる。
世間からは、魔女や悪魔憑きと同等に見なされる連中のことだ。
クースラは、草木も眠る真冬の深夜、両脇を鉄仮面で覆った騎士に支えられるようにして塔牢獄から下ろされていた。そんな自分の様に、なるほど世間の連中の評価もあまり間違ってはいないかもしれない、と思う。
石造りの塔には明かり取りの窓が開けられていて、夜空にはふっと息で吹いて落とせそうなほどたくさんの星が瞬いている。
「牢の中で星は見なかったのか?」
クースラの足が滞りがちなことに気がついて、先頭を歩く老騎士が振り向いた。右手には蝋燭の載った燭台を持ち、左手は不測の事態に備えているのか、剣の柄に添えられている。
クースラはしかし、その左手の小指に嵌まっている指輪に気がつき、口元がにやりと笑いかけるのを堪えていた。
「見ましたが、これが自由の星かと思うとまた格別でしてね」
「……」
老騎士は呆れるように片眉をつり上げ、再び歩き出す。クースラもまた両脇の騎士にせっつかれるようにして歩き出したが、老騎士の指に嵌められている指輪に、小さく笑ってしまう。
そこに嵌まる宝石は美しい蒼が特徴のサファイアであり、その石は身に着ける者に知恵と安らぎをもたらし、罠を見破るという伝説がある。純銀が悪を討つ神の金属なら、サファイアは聖なる盾か杖かといったところだろうか。
クースラの口車に乗らないようにと、さもなくば、もっと想像もつかないようななにかから身を守るためにと、わざわざ嵌めて来たのだろう。
クースラはそんな老騎士の胸中を思い、そして、もう一度窓の前を通り過ぎ、綺麗な星空を見て、へっと鼻を鳴らす。
堅物の老騎士でも、それを前にする時は迷信にすがりつく。
それこそが、錬金術師というものだった。
彼らは日がな一日薄暗い部屋にこもり、鉛を金に変えようとしたり、若返りの薬を作ったり、死体をつなぎ合わせて新しい生物を作ろうとしたりすると言われている。
ただ、クースラの知る限り、そういう輩も確かにいないことはないが、大部分はそんなことはしていない。ではなにをしているのかというと、一言で言い表すのも難しい。
実のところ、錬金術師というのは「なにをやっているのかわからない連中」を呼ぶための仮の呼称みたいなものだったりする。
これは、やっていることが本当によくわからないからというよりも、権力者が都市を統治したり、教会が信徒を統率したり、組合が職人を統率したりするというように、誰かが秩序を作ろうとする時に枠組みに入りにくいことをしているから、という意味で、そうなのだ。
たとえば、王が都市を掌握する際には、都市機能を大きく四つに分ける。すなわち、土地を多く所有する貴族、信仰の権威を持つ聖職者、富を取り扱う商人たちに、町の生活を支える職人たち、といった枠組みだ。すると、王は彼らの代表の名前だけを覚えておけばいい。
だが、王から命令を受けた各集団の長たちは、当然その集団の中の下々の者を統率しなければならない。つまり、職人たちであれば各職業組合を作って成員を統率する必要がある。パン屋組合、肉屋組合、鍛冶屋組合などが重要どころだ。
クースラを連れて歩く騎士たちでさえ、その分割統治から逃れることはできない。
着ている服、身に着けている鎧、手にしている燭台の上で燃える蝋燭、彼らに支払われる給金と、彼らがクースラを牢から出すための権利まで、すべては誰かが必ず管理しているものだ。
しかし、それらの管理の網は、決して誰かの権力欲に従ってそうなっているのではない。大きな町を取りまとめるためにはとても必要なことだから、そうしているのだ。
町の法というものは、根本では町の名士や貴族や有力者からなる参事会が取り仕切る。そこが、町に暮らす連中がなにをしてよく、なにをしてはならないかを決めるのだ。
これがなければ、大きな町など一ヶ月と保てないだろう。
特に、縄張り争いの激しい職人同士なら、まず間違いなく血を見ることになるはずだ。
だから、各組合は各職人がどんな仕事をどれだけやってよいかを統制することで、揉め事や混乱を極力少なくしようと努めている。たとえば、刀剣鍛冶は刀剣だけを作り、ナイフ職人はナイフだけを作るといったふうなことで、刀剣とナイフの区別も厳密に決められている。もしもこれが曖昧だと、これまで刀剣を作っていた奴が気まぐれでナイフを作って、それまでナイフを作っていた職人の稼ぎを奪うかもしれない。それは揉め事の大きな種になる。パン屋が肉屋もやり出し、肉屋が肉屋だからといって夜中に肉を店先で食べさせていたら、宿や居酒屋の連中だって対抗しないと商売あがったりになる。その先にあるのは、混乱と退廃だ。
この世の中、神が舞い降りて仲裁してくれるわけではないので、揉め事をどう解決するかよりも、どうやって揉め事を起こさないようにするかのほうがとても重要になる。
そんなわけで、鍛冶屋組合を例に取れば、その職分は眩暈がするほど細かく決められている。
刀剣鍛冶、刀剣研ぎ師、ナイフ職人、胸甲職人、頸甲職人、脛当て職人、兜職人、甲冑組立職人、矢じり職人、やすり職人、やすり目立て職人、錐職人、鎌職人、槌職人、釜職人、鍋職人、水盤職人、釘職人、針職人、蹄鉄鍛冶、釣鐘職人、鎖職人、鉛管製造職人、香炉職人、鉄細工師、銅細工師、銀細工師、金細工師、真鍮職人、錫器職人、等々。
およそ考えうる限りの品目の職人が決められていて、彼らは自分に割り当てられた仕事だけをこなすことを求められ、もしも業務を拡大したいのであれば、その仕事をする権利を買い取らなければならない。
これが、秩序というものだ。
では、ここに一人の鉛を金に変えようとたくらんでいる男がいるとする。
こいつは数ある職業のどこに入れればいいのだろう?
鉛管製造職人? 金細工師?
それとも、鉱山から鉱石を掘り出して、それを純粋な金属に変える地金製造と似ているから、冶金を取り扱う連中と一緒にするべきだろうか。だが、「鉛を金に変える仕事」はそんな方法があるとすれば当然あり得るだろうが、「鉛を金に変えることを考える仕事」というのはあり得るのだろうか? あったとしたら、それはどこの組合が取り扱うべきなのだ? いやむしろ、鉛を金に変えるというのは神の定めた世の秩序に反するかもしれないから、教会が管轄すべきことなのかもしれないという考えだって出てくる。
鉛を金に変える、という一つでこれなのだ。では、鉛を銀に変えるのは? 銀を金に変えるのは? 死体をつなぎ合わせて新しい生物を作るのは? 若返りの秘薬を作るのは? まだ誰も考えついたことのないなにかをやろうとすることについてはどうなのだ?
こんなことを考えていたら、都市はとてもではないが回らなくなってしまう。
だが、問題なのは、そういうややこしい問題を引き起こす事業に金を出す連中がいて、その必要性もまた大いにあるということなのだ。
それはべつに、王や領主が永遠の命のためにその研究をさせるとか、大商人が在庫の鉛を金にしたくてその方法を研究させるとかといった突飛なことばかりではない。もっと現実的なものだっていくらでもある。
鉱山から効率よく鉱石を取り出す方法を考える仕事や、金属を効率よく精錬する方法を考える仕事には、大金を注ぎ込む価値がある。莫大な見返りが期待できるし、たとえば生産できる鉄の量は、そのまま自分たちの戦力をどれだけ武装させられるかにもつながってくる。