アリソン

第一章 「アリソンとヴィル」 ③

 真っ直ぐに見つめる生徒達に、教師が言う。


「なぜかというと、お互いが、自分達こそがヒトとしてのせんだと思っているからなんだ。古代ていこくでは、ヒトは神様によって造られたと両方とも信じていた。そして戦争中は、自分達こそが先に造られた〝ヒト〟だ、この世界のヒトの〝親〟だって考えが当たり前だった。だから対等の立場で仲良くなんてできなかった。中世まで、その考え方はずっと続いた」


 教師はひといき入れた。


「そして最近になって、ヒトはとんでもない昔に、猿から進化したものだってことが研究で分かってきた。みんなも、ちっちゃな猿が、横に歩いていくとヒトになっていく絵を見たことあるだろう?」


 生徒達がうなずく。


「そうすると、神様が造ったわけではなかったけれど、果たしてどちらの土地に、最初にヒトが誕生したのか? どちらの方により歴史があるのか? どっちが〝親〟なのか? みんなそのことを考えるようになった。そして両方とも、〝やっぱり自分達がそうだ〟、と思っているんだよ。このへんの勉強は、三年生になったらたくさんやることになる」

「先生は、どっちだと思いますか?」

「ん?」

「ロクシェと、スー・ベー・イルと。どっちが人間の〝親〟だと思いますか?」


 教師は、五秒間だまった。そして、よどみなく答える。


「それはもちろん、ロクシェだよ。私達の方が、いろいろな面でずっとせいじゆくしているのは間違いない。より多くの人口を抱えているし、貧しい国や地域もかわこうに比べるとずっと少ない。それだけ多くの人が幸せに生きているってことだ。歴史的に見ても、優れた芸術や発明は、ほとんどがロクシェで生み出された。私や君達は、ロクシェの市民だってことを、胸を張って誇るべきだと思う。私達や私達のごせんさまが、自分達がかくうえだと思いこんでいる河向こうの連中より、ずっと優れているってことも。君達はそれを学ぶために学校にきているんだし、先生達はそれを教えるためにここにいる──」


 流れてくる教師の声を聞きながら、ヴィルは本を読み進めていた。一度だけ、動いたかげに合わせて座る位置を変えた。

 少し風が吹き始めて、かみを揺らす。同時に、ヴィルの左耳に、虫が羽ばたく低い音が聞こえた。ヴィルは、左耳の辺りを手で払った。


「?」


 それでもまない音に、ヴィルはしおりを挟んで立ち上がった。木の下から出て、空を仰ぐ。


「先生あれ!」


 音の正体に気づいた一年生が、それを指さした。みんないつせいに、空を見る。

 それは、二機の小型飛行機だった。しゆで回るプロペラと、どうたいの上と下についた二枚のつばさが分かる。下の翼には、がっしりとした着陸きやくが突き出している。

 二機は、かなり低いところを並んで飛び、校舎じようくうをかすめるような進路できていた。あおい空を背景に、一定のエンジン音を鳴らしながらゆうゆうと。


すごい。本物だ」


 一年生達がはしゃぎ出した。大都市間で郵便や旅客飛行が始まったとはいえ、実際に本物の飛行機を見たことがある人間は、まだ少ない。青空授業は中断になり、教師ともども木々の下から抜け出て、近づいてくる飛行機を見上げた。


「みんな、どうたいを見てごらん。〝セロンのやり〟が描かれている。あれはロクシェ空軍の飛行機だ」


 少しこうふんした教師が言ったとおり、機体ひだりそくめんには、一本の槍が描かれていた。

 槍の色は黒。とがった先端には、じりのような返りがあった。上の方には、握りのような太い部分があって、まつたん左右にはばねのような赤い山切りもんようがある。

〝セロンの槍〟──そう呼ばれる、ロクシアーヌク連邦の制式もんしよう

 おお昔から土器に刻まれていた模様で、古代帝国では〝魔を払う槍〟として、歴代こうていの紋章として使われた記録が残る。帝国ほうかいも生き残り、王やが持つたての中央に刻まれたり、ぐんに描かれたりを延々繰り返してきた。ロクシェ成立後は、統合のシンボルとして国旗の左はしうえに描かれている。


「空軍か……」


 ヴィルが小さくつぶやいた。

 二機は、並んだ二本の槍を生徒達に見せびらかすように、ゆっくりと飛ぶ。胴体には席がそれぞれ二つあり、開放式のそうじゆうせきに、飛行ぼうをかぶった飛行士の頭が見える。

 一年生達は、飛行機に向けて大きく手を振った。やがて一機が、こたえるようにつばさを上下に揺らした。次いでもう一機も。歓声が沸く。校舎では珍しいものを見ようと、いくつかの教室の窓に生徒達がへばりついていた。

 やがて、エンジン音は小さくなる。二機は垂直よく左側を見せながら、陸上競技場の上を飛び、名残なごり惜しそうに見る生徒達のかいから──消えなかった。

 最初に翼を振った一機が、大きく左に機体を傾けた。胴体上面を見せながらせんかい。やがてぴたりと、生徒達にしゆを向ける。そのまま、高度を落としながら、速度は上げながら、突っ込んできた。

 飛行機はヴィル達とあかれん校舎の間を、直前で機体を九十度左に傾け、まるで校舎の壁に着陸するかのようにちよう低空を飛び抜けていく。爆音に、数人の女子が悲鳴を上げ、校舎の窓から身を乗り出していた生徒達は、跳ねられるのを恐れて逃げる。

 操縦席にいる飛行士達が、ヴィル達の位置からもはっきりと見えた。茶色の飛行帽にゴーグル。顔をマフラーでおおっている。

 一年生達が、驚きとこうふんの声を上げた。


ついらくするかと思った……。すごきよくげい飛行だな……」


 教師がつぶやいた。

 くだんの機体は、先ほどと同じように、大きく左せんかいをしていた。再び陸上競技場の端で、しゆをこちらに向ける。

 今度は、ゆっくりと高度も速度も落としていった。そして、つちぼこりを舞い上げながら競技場の真ん中に着陸、そのまま滑走する。


「おりた! おりたよ!」「行ってみよう!」「すげー!」「行こ!」


 きようして、一年生達が叫ぶ。教師があわてて、


だみんな! プロペラに跳ねられたら死んでしまうぞ!」


 叫びながら、走り出していた生徒達をいましめた。そして、


「だから、先生より前には行くな! 絶対だぞ!」


 そう言いながら、飛行機へと早足で向かう。

 ヴィルは少し悩んだ後、飛行機に向けて普通に歩き出した。振り返ると、十人ほどの男子生徒が校舎から飛び出してくるのが見えた。その内の一人に、すぐに追いつかれて背中をたたかれた。残念ながら成績が悪く補習中の、同学年の友人だった。


「見たかよヴィル! 本物の飛行機だぜ! それも空軍のだ! 校庭におりたんだぜ!」

「うん、凄いね。……ところで、補習は?」

「やってられるかよ! ほら急げ! 走れ!」


 言いながら、ヴィルの背中を押す。仕方なくヴィルも走った。

 飛行機は完全に止まり、エンジンも切っていた。

 体格のいい三十歳ほどの飛行士が、一年生達にこれ以上は近づかないように両手のひらを見せていた。彼は灰色のつなぎに、足には軍用のブーツ。っている革製ジャケットの左腕に、ロクシェの軍人ぶんを示すセロンのやりしゆうされたしようがつく。りようえりにはかいきゆうしよう

 彼は飛行機ともども格好いいと口々にめられ、苦笑いを浮かべていた。上空では、別の一機がのんびりと旋回を続けていた。

 ヴィル達が到着したとき、教師は飛行士に質問を浴びせていた。

 ちやくですか? いや違う。訓練ですか? 違うよ。ごく訓練ですか? もちろん違う。