真っ直ぐに見つめる生徒達に、教師が言う。
「なぜかというと、お互いが、自分達こそがヒトとしての先祖だと思っているからなんだ。古代帝国では、ヒトは神様によって造られたと両方とも信じていた。そして戦争中は、自分達こそが先に造られた〝ヒト〟だ、この世界のヒトの〝親〟だって考えが当たり前だった。だから対等の立場で仲良くなんてできなかった。中世まで、その考え方はずっと続いた」
教師は一息入れた。
「そして最近になって、ヒトはとんでもない昔に、猿から進化したものだってことが研究で分かってきた。みんなも、ちっちゃな猿が、横に歩いていくとヒトになっていく絵を見たことあるだろう?」
生徒達が頷く。
「そうすると、神様が造ったわけではなかったけれど、果たしてどちらの土地に、最初にヒトが誕生したのか? どちらの方により歴史があるのか? どっちが〝親〟なのか? みんなそのことを考えるようになった。そして両方とも、〝やっぱり自分達がそうだ〟、と思っているんだよ。このへんの勉強は、三年生になったらたくさんやることになる」
「先生は、どっちだと思いますか?」
「ん?」
「ロクシェと、スー・ベー・イルと。どっちが人間の〝親〟だと思いますか?」
教師は、五秒間黙った。そして、よどみなく答える。
「それはもちろん、ロクシェだよ。私達の方が、いろいろな面でずっと成熟しているのは間違いない。より多くの人口を抱えているし、貧しい国や地域も河向こうに比べるとずっと少ない。それだけ多くの人が幸せに生きているってことだ。歴史的に見ても、優れた芸術や発明は、ほとんどがロクシェで生み出された。私や君達は、ロクシェの市民だってことを、胸を張って誇るべきだと思う。私達や私達のご先祖様が、自分達が格上だと思いこんでいる河向こうの連中より、ずっと優れているってことも。君達はそれを学ぶために学校にきているんだし、先生達はそれを教えるためにここにいる──」
流れてくる教師の声を聞きながら、ヴィルは本を読み進めていた。一度だけ、動いた影に合わせて座る位置を変えた。
少し風が吹き始めて、髪を揺らす。同時に、ヴィルの左耳に、虫が羽ばたく低い音が聞こえた。ヴィルは、左耳の辺りを手で払った。
「?」
それでも止まない音に、ヴィルは栞を挟んで立ち上がった。木の下から出て、空を仰ぐ。
「先生あれ!」
音の正体に気づいた一年生が、それを指さした。みんな一斉に、空を見る。
それは、二機の小型飛行機だった。機首で回るプロペラと、胴体の上と下についた二枚の翼が分かる。下の翼には、がっしりとした着陸脚が突き出している。
二機は、かなり低いところを並んで飛び、校舎上空をかすめるような進路できていた。蒼い空を背景に、一定のエンジン音を鳴らしながら悠々と。
「凄い。本物だ」
一年生達がはしゃぎ出した。大都市間で郵便や旅客飛行が始まったとはいえ、実際に本物の飛行機を見たことがある人間は、まだ少ない。青空授業は中断になり、教師共々木々の下から抜け出て、近づいてくる飛行機を見上げた。
「みんな、胴体を見てごらん。〝セロンの槍〟が描かれている。あれはロクシェ空軍の飛行機だ」
少し興奮した教師が言ったとおり、機体左側面には、一本の槍が描かれていた。
槍の色は黒。尖った先端には、矢尻のような返りがあった。上の方には、握りのような太い部分があって、末端左右には矢羽のような赤い山切り紋様がある。
〝セロンの槍〟──そう呼ばれる、ロクシアーヌク連邦の制式紋章。
大昔から土器に刻まれていた模様で、古代帝国では〝魔を払う槍〟として、歴代皇帝の紋章として使われた記録が残る。帝国崩壊後も生き残り、王や騎士が持つ盾の中央に刻まれたり、軍旗に描かれたりを延々繰り返してきた。ロクシェ成立後は、統合のシンボルとして国旗の左端上に描かれている。
「空軍か……」
ヴィルが小さくつぶやいた。
二機は、並んだ二本の槍を生徒達に見せびらかすように、ゆっくりと飛ぶ。胴体には席がそれぞれ二つあり、開放式の操縦席に、飛行帽をかぶった飛行士の頭が見える。
一年生達は、飛行機に向けて大きく手を振った。やがて一機が、応えるように翼を上下に揺らした。次いでもう一機も。歓声が沸く。校舎では珍しいものを見ようと、いくつかの教室の窓に生徒達がへばりついていた。
やがて、エンジン音は小さくなる。二機は垂直尾翼左側を見せながら、陸上競技場の上を飛び、名残惜しそうに見る生徒達の視界から──消えなかった。
最初に翼を振った一機が、大きく左に機体を傾けた。胴体上面を見せながら旋回。やがてぴたりと、生徒達に機首を向ける。そのまま、高度を落としながら、速度は上げながら、突っ込んできた。
飛行機はヴィル達と赤煉瓦校舎の間を、直前で機体を九十度左に傾け、まるで校舎の壁に着陸するかのように超低空を飛び抜けていく。爆音に、数人の女子が悲鳴を上げ、校舎の窓から身を乗り出していた生徒達は、跳ねられるのを恐れて逃げる。
操縦席にいる飛行士達が、ヴィル達の位置からもはっきりと見えた。茶色の飛行帽にゴーグル。顔をマフラーで覆っている。
一年生達が、驚きと興奮の声を上げた。
「墜落するかと思った……。凄い曲芸飛行だな……」
教師がつぶやいた。
件の機体は、先ほどと同じように、大きく左旋回をしていた。再び陸上競技場の端で、機首をこちらに向ける。
今度は、ゆっくりと高度も速度も落としていった。そして、土埃を舞い上げながら競技場の真ん中に着陸、そのまま滑走する。
「おりた! おりたよ!」「行ってみよう!」「すげー!」「行こ!」
驚喜して、一年生達が叫ぶ。教師が慌てて、
「駄目だみんな! プロペラに跳ねられたら死んでしまうぞ!」
叫びながら、走り出していた生徒達を戒めた。そして、
「だから、先生より前には行くな! 絶対だぞ!」
そう言いながら、飛行機へと早足で向かう。
ヴィルは少し悩んだ後、飛行機に向けて普通に歩き出した。振り返ると、十人ほどの男子生徒が校舎から飛び出してくるのが見えた。その内の一人に、すぐに追いつかれて背中を叩かれた。残念ながら成績が悪く補習中の、同学年の友人だった。
「見たかよヴィル! 本物の飛行機だぜ! それも空軍のだ! 校庭におりたんだぜ!」
「うん、凄いね。……ところで、補習は?」
「やってられるかよ! ほら急げ! 走れ!」
言いながら、ヴィルの背中を押す。仕方なくヴィルも走った。
飛行機は完全に止まり、エンジンも切っていた。
体格のいい三十歳ほどの飛行士が、一年生達にこれ以上は近づかないように両手のひらを見せていた。彼は灰色のつなぎに、足には軍用のブーツ。羽織っている革製ジャケットの左腕に、ロクシェの軍人身分を示すセロンの槍が刺繍された徽章がつく。両襟には階級章。
彼は飛行機共々格好いいと口々に誉められ、苦笑いを浮かべていた。上空では、別の一機がのんびりと旋回を続けていた。
ヴィル達が到着したとき、教師は飛行士に質問を浴びせていた。
不時着ですか? いや違う。訓練ですか? 違うよ。極秘訓練ですか? もちろん違う。