アリソン

第一章 「アリソンとヴィル」 ②

 さいの文明が生まれた、世界れきひとけたねんの古代。巨大な山脈と河にへだたれ、東西はまったく交流のない〝別の世界〟だったとされている。

 やがて、文明が生まれ、国が生まれ、いくつもの戦争を経て、東西はそれぞれが一つの巨大帝国としてまとまった。そして、今度は帝国どうしの戦争になる。こうした東西帝国のだい戦争は、数十回にもわたったと、太古の歴史書に残る。

 河向こうを攻め滅ぼすことは、やがて東西こうていの野望になっていた。そして地形的な要因から、そのすべてが失敗に終わる。一時的にルトニ河を越え、こぶのように領土を広げたこともあっても、すぐに河まで押し戻された。

 そして千年近い時間が流れる。かつてのだい帝国はバラバラになり、小さな国がいくつも生まれた。それらは数百年間、東西の中で、しようめつや拡大を繰り返す。

 中世に入り、王と達の時代がやってきた。四百年ほど前のある時、西側の王国が連合を組んだ。かつての皇帝達がなしえなかった夢を果たそうと、東側が戦乱に明け暮れているすきに攻め込んだ。

 東側は自分達の争いを一時たなげにして、憎き河向こうを迎えった。ルトニ河を挟んで、だらだらとした攻防が百年以上続く。やがて世界中にきようあくな伝染病がまんえんし、うやむやの内にこの戦争も終わった。その国境線が、ルトニ河や中央山脈を越えて書き変わることはなかった。

 銃砲が使用される近代へと入り、東西それぞれの中で、諸国は領土そうだつせんを繰り返した。しかしその中で、そうほうとも一つの事実に気づく。

 〝もし河向こうが団結して、こちらに攻め込んできたらどうなるだろうか──?〟

 やがて西と東は、時期と理由を同じくして、それぞれが一つにまとまるという合理的な選択をした。古代の東西の帝国は、連邦と連合という形で再現された。

 そして、今度は東西のにらみ合いが始まる。


「百三十年続いた睨み合いは、結局なぐり合いになった。ロクシェとスー・ベー・イルとの間で戦争が起こったんだな。これが〝大戦争〟だ。ぼつぱつが何年だか分かる人はいるかい?」

「三二五二年。ちょうど三十五年前です」

「そう。この戦争は、近代以降初めて両国が本格的に戦った、そして最大のものだったんだ。主に戦場となったのは、」


 教師は、黒板のジャガイモ、ルトニ河の河口近くに×印をいくつも描く。


「北の地方。ロル国とかニャシャム共和国とかがある地域だ。河が太くて一本になっている辺りだった。河近くの土地を取ったり取られたりして、たくさんのせい者が出たし、住む村を失った人も多かった。でも、五六年にスー・ベー・イルの軍隊はひようをついて、もっと南で攻め入ってきた。どこだか分かるかい?」


 生徒達がちんもくして、教師は山脈と河の合流地点、その東側に円を描いた。


「ラプトア共和国の、ネイト地域。つまり、ここなんだよ」


 教師は地面を指さして答える。


「今みんながいるここ。学校があるこの地方こそが、あの戦争で最も重要な場所だったんだ。敵の将軍に、一人ずば抜けて頭のいい人がいた。彼はロクシェで一番守りが薄いのは、山脈が終わって、いくつもの川が複雑に流れているこの地方だって気づいた。だから、北に行く振りをしてこっちにきた。河を越えて一気に攻め込んで、突破口にしようとした」


 生徒達は黙ったまま、教師の話を聞く。話を知っている男子は、目を輝かせていた。


「ロクシェでは、そりゃもうみんなが驚いてあわてた。その時、この辺りに大軍を迎えてるだけの兵隊はいなかった。みんな北に行っていたからね。このままだと河を越えられて、ラプトアも、となりの国ケレナも占領されてしまう。そうしたら北で戦っているロクシェ軍は南からも攻撃されてしまう。将軍の軍勢をどうやって止めるか、みんな必死に考えた。でも、どうしても軍隊は足りないし、救援も間に合わない。そんなとき、一人の軍人さんがせきを起こしたんだ」


 教師の話は続く。


「その軍人さんは、ワルター・マクミランちゆうって人だった。中佐は自分達の部下、たった十人ちょっとを引き連れて、夜にこっそりと敵の本部に近づいた。そして、毒ガスこうげきをしたんだ。そのガスをちょっとでも浴びると人間は死んでしまう。敵の将軍もその部下も、ほとんどみんな死んでしまい、仕方なく敵は引き上げた。それから何年も、ロクシェ側が毒ガスを使ったのが人道的だってさんざん非難された。でも、もしあそこであの作戦が成功してなかったら、味方も敵も、もっとたくさん死んでいた。ロクシェは戦争に負けていたかもしれない。先生はその時、今のみんなより若かったけれど、あのときのことはよく覚えているよ。『ああ、これでロクシェは負けなくてすんだんだ』って」

「そのかっこいい人はどうなったんですか?」


 男子が聞いた。


「マクミラン中佐は、もちろんとんでもない英雄になったよ。でも、部下はみんな戦死してしまって、無事に戻ってこられたのは彼だけだった。その後すぐに、くんしようも昇進も断って退たいえきして、故郷でひっそりと暮らしたらしい。もう、生きているのかも分からない」

「なんだ」「へー」「かっこいい」

「三二五七年に、だい戦争の休戦条約が結ばれた。休戦っていうのは、終戦とは違う。正確には、ロクシェとスー・ベー・イルの戦争はまだ終わっていないんだ。十五年前、三二七二年にはほつかいせんとうがあって、これはすぐに終わった。でも、ちょうど十年前に起こったレストキ島ふんそうは一年間続いた。みんなはまだ二歳だから覚えてないだろうね」


 教師は、北にあるルトニ河の一部を拡大して描き、その中央に細長い島を描いた。


「このレストキ島が、どちらの領土かってことで、また戦いが始まった。このときは、この島とその周りだけが戦場になった。一年続いたんだけれど、結局どっちが勝ったということはなくて、最後は話し合いでどちらも島を所有しないことで終わった。これはとてもかつ的なことなんだ。それまではルトニ河の中央が国境線だったのに、この紛争の後は、河とその左右三十キロメートルは、お互いが軍隊を置いてはいけない地帯になった。これはかんしよう地帯って言う。両方がぶつからないためのクッションみたいなものだ。もちろん今もそうだよ。ルトニ河に近づいていいのは、許可を受けた漁民だけなんだ。おかげで、何か突発的な事故で戦闘が始まってしまうことを防ぐことができる」


 教師は、かいちゆう時計を取り出して見た。そして続ける。


「もう一つ、レストキ島紛争中に起こった、歴史に残ることがある。これはもっと上の学年で習うけれどね、ついでだから言っておく。飛行機が、初めて戦争に使われたんだ。人類が初めて飛行機で飛んだのは、それより二十年前、大戦争が終わってすぐの時だったけれど、そのころはだれもこんなものが戦争に使えるなんて思ってなかった。でもそれからどんどん進化して、紛争中に飛行機は活躍した。ていさつ機とか、ばくげき機とか、それをち落とす戦闘機とか。今度からは、飛行機が戦争で重要になって、たいほうよりその数が勝ち負けを決めるのかもしれない。戦争のやり方は、がらっと変わるかもしれないな」


 ヴィルが顔を上げた。教師を見て、また本へ顔を戻す。


「この十年間は、戦争は起きていない。少しずつだけれど、ロクシェとスー・ベー・イルの間の貿易も増えている。だから、平和な時代だって言ってもいいな。でも、将来はどうなるかは分からない。ロクシェとスー・ベー・イルは、絶対に仲良くなれない二人みたいなものだから、いつけんになってもおかしくないんだ。そのことは、忘れないようにしないと。向こうが戦争を仕掛けてきても、自分達の国を守るために、しっかりと立ち向かえるようにしておかなくちゃいけないんだ。十八歳になったら全員が軍隊に入るのは、そのためなんだよ」

「どうして仲が悪いんですか? クラスメイトみたいにみんな仲良くすればいいのに」


 女子の一人が聞いた。


「いい質問だね。みんなはそうしなくちゃだめだよ。人を嫌ったり、憎んだりしてはいけない。でも、ロクシェとかわこうは絶対に仲良くならない」