アリソン

第二章 「誘拐と放火と窃盗」 ②

 視界が回復して、首を起こして、むなもとを見て、


「…………」


 そこにあった自分のかばんを、ぜんとした顔で払いのけた。


「ヴィル?」


 跳ね起きて、アリソンはヴィルを呼んだ。首を振る。どこにもヴィルの姿はなかった。


「ヴィル!」

「ここだよ……。こっち……」


 か細いヴィルの声が返ってきた。アリソンが声のする方へ歩くと、ヴィルは小川の中に落ちて、そこにしりもちをついて座っていた。腰から下はずぶれだった。


「大丈夫? ヴィル。けがは?」


 ヴィルがアリソンを見上げる。


「足をちょっとぶつけたけれど、けがはしてないと思う……。アリソンは?」

「大丈夫。ありがと」

「よかった……。車から出た銃、見た?」


 アリソンは首を振った。


「そっか……」

つかまって」


 アリソンが手をさしのべて、ヴィルは水をしたたらせながら起きあがった。小川のほとりに座り込んだ。


「車、は?」


 ヴィルが聞いた。

 アリソンはかたを駆けあがり、道の先を見た。車は見えなかった。それから、


「ちくしょー!」


 叫んだ。


    *  *  *


 ロウ・スネイアム記念上級学校の学生寮は、マッカニウでもひときわ目立つ。

 細い通りと木造の小さな家しかない町のふちに、まるで首都にあるような鉄筋コンクリート造りの、三階建てで細長く大きな建物がある。それがたて二列によんとう並び、中央には大きな食堂、管理棟や外来者の宿泊せつなども設置されていた。

 学期中には、千人以上の学生がここで生活して、けんそうが絶えることはない。しかし休暇中の今は、一棟だけが使われていた。


 夜。ヴィルの部屋は暗かった。ドアのりガラス越しに入る廊下からのうすかりだけが、室内を照らしていた。

 夏学期だけ住むために、ヴィルは別棟からここへ引っ越してきた。本来二人で使うための部屋は、それなりに広い。机やほんだな、洋服タンスが二つずつ。一つのタンスの中に、かわせいのヴィルのかばんが置いてある。大きな旅行鞄で、ヴィルの持ち物は、すべてこの中に入ってしまう。

 部屋のすみには、今は使われていないが、壁に沿ってぜんじつ暖房用の温水管が走っている。ベッドも二つ。一つはマットレスを外されて、鉄パイプのフレームにバネが見えている。もう一つには、パジャマ姿のヴィルが、あおけに横になっていた。

 ヴィルは寝ていなかった。


「…………」


 うすくらやみの中、目を開けて考え事をしていた。


 昼間。車に逃げられた後──。

 ヴィルはアリソンの持っていたタオルを借りて、体をいてれた服をしぼった。

 サイドカーはハンドルが少し曲がり、そくしやがわには大きなへこみができていたが、走れないことはなかった。

 アリソンの運転で町に行き、すぐに警察署に行った。署といっても、建物は一軒家で、特に何かがなければ町に警官は三人しかいない。一人は休暇、一人はけいちゆうで不在だった。対応した中年の警官は、アリソンの「老人がにせの役人にさらわれた」との言葉に一瞬おどろいた。宝のことは伏せてゆうかいを説明した。

 しかし警官は、誘拐や偽役人や拳銃など、すべしんぴようせいが薄いとして鈍い反応しかしなかった。

 れているため外で待っていたヴィルに、


「まったく役立たず!」


 アリソンがふんがいしながら戻ってきた。けつきよく警官はアリソンの名前と今夜の宿を聞いて、役場に事実確認の電話を入れることと、お手伝いさんに話を聞くことを明日あしたすると、実にのんびりしたことしか言わなかった。

 二人はその後もう一度老人の家に向かい、お手伝いさんあてのメモを残してきた。何を書けばいいのか分からず、『役場の人と出かけた』としか書かなかった。

 長い距離を走ってりように戻ってきたのは、長い夏の日も沈み、もんげんである夕食時間をだいぶ過ぎてからだった。服はすっかり乾いていた。

 学生達から恐れられているきびしいりように、ヴィルはもんげん破りとサイドカーそんの理由説明を求められた。本当のことは言えず、仕方なく、遠くへ行きすぎて、帰り道動物の飛び出しを避けてそんしたと言った。ヴィルはあんたらしくないねと驚かれて、その後おこられた。そして、学生生活はつの反省文の提出をなくされた。

 アリソンはお客として、涼しい顔で外来用の宿泊部屋をあてがってもらい、安い料金を払った。しかし夕食は、すみっこだけに明かりがついた食堂で、二人ともパンとジャムと牛乳だけになった。ヴィルはもそもそと、アリソンは、


「ま、これはこれで」


 訓練中はもっとひんそうなことがあるからと言いながら食べた。

 寮内で、男女が夕食後に会うことは禁止されている。食堂から別れさせられて、アリソンとヴィルは、それぞれ自分の部屋に戻った。


「いた見つけたやっと帰ってきたヴィルおまえあの女の子はと言うかくうぐん飛行士はだれで関係はどうで今まで何をどこでナニしていたか教えてくれるよな当然そりゃ友達だからな」


 例の友人の追及を、反省文を書かないといけないからという理由でかわして、ヴィルは部屋に戻った。そして、本当に反省文を書き始めた。

 複雑な後ろめたさを感じながら、でっち上げた理由で慣れない文章を書き上げたときには、夜中近くになっていた。


「…………」


 ヴィルはてんじようを見ていた。


「宝、か……」


 つぶやいた。すこし風が出て、カタカタと窓が揺れる。二度三度。


「…………。……ん?」


 六回ほどまどわくがうるさく揺れて、ヴィルはベッドから起きあがった。小さな明かりをつける。

 窓を見て、薄く開いていないか調べようとして、


「っ!」


 ガラスに映った自分のかおしに、アリソンの笑顔が現れてぜつした。

 アリソンは指でかぎを開けるように指示する。ヴィルが窓を上へと開けるやいなや、すっと身を入れて、音もなく部屋の中へと入った。アリソンは昼と同じジャケット姿で、腰にベルトを巻いて、その後ろにはカンバス地の小型バッグがついていた。


「あ、アリソン……?」

「こんばんは。起きてた? ちょっと話があってね」


 アリソンは人差し指を口の前に当てて、小声で言った。

 ヴィルも小声で、


「ここ、三階だよ……」

「飛行機乗りが、高いところ怖がってどうするの?」

「答えになってない……」

「雨どい。鉄筋コンクリートなら埋め込まれてじように作ってあるから。つかまって登ってきた」

「…………」

「ここでお話して大丈夫?」

「……えっと、廊下にアリソンの声が聞こえると、あんまりよくない」

「そう……。屋上あった? もう少し高いところへ行きましょう」


 小さくうなずいたヴィルは、あることに気がついて言う。


「雨どいはやだよ……」

「じゃあ、階段から。こっそりね。まず着替えて」


 寮の屋上はへいたんで、大量のシーツを干すための物干し台が、くらやみの中ち並んでいる。

 ヴィルとアリソンは、自分達と同じくらい高い手すりの前にいた。ヴィルは着替えて、だんの長ズボンとシャツを着ていた。手には薄い上着を持っている。

 二人の目の前には、使っていない棟が、黒い固まりとして横たわっていた。斜め下には、管理棟と外来者の宿泊せつがある。


「あれがわたし」


 アリソンが指さした部屋では、カーテンが開き、机の明かりが一つついていた。ベッドには、人が寝ているようなふくらみが見える。


「…………。毛布?」

「そっ。きちんと丸めるのだけじゃなくて、足と腰を細くして、かみの色に似た布でまくらを半分おおうのがコツ。暗ければしっかり人に見えるわ」

「どこで習ったの……?」

くうぐん飛行学校で。消灯後にとつくんとか……、まあほとんどは騒ぎ出したりする時のために。これができないと卒業は無理ね」

「…………」