学園キノ

キノの旅第四部・学園編第一話 「キノ颯爽登場!」─Here Comes KINO─ ⑩

 エルメスがそう言ったしゆんかん、エルメスが、つまりみどりいろの革といろい金属でできた小さなストラップが空中へ飛びだして光に包まれます。革の部分が丸く黒いタイヤへと、金属の部分が、ハンドルやらねんりようタンクやらフレームやらエンジンやらへと──滑らかな変形を遂げました。


「何……?」


 まぶしくて目を閉じたキノが次に見たのは、


「さあ乗って! 屋上まで駆け登るんだ!」


 そうしやべる一台のバイクでした。サスペンションが長いオフロードバイクで、赤いボディに紫の燃料タンクがあざややかにかがやきます。本気出したエルメスの変形後の姿です。


「朝それやってくれれば、遅刻しなくてすんだのに……」

「いいから早く!」


 キノはエルメスにまたがると、右足でキックスターターをり下げます。ぱいーん! と二ストローク特有の乾いたエンジン音がして、一発で始動しました。なお、公道を走行するときはヘルメットをかぶりましょう。校舎の中を走るときは特に必要ないですが、校長の許可を取りましょう。

 キノはアクセルをあおって、


「行くよ、エルメス!」

「行こう! 今始まる二人の愛のライド!」


 いつの間にか二人乗りしていたサモエド仮面がキノにしっかりと抱きついてそう言って、キノは発進と同時に左手うらけんを彼の顔面にたたき込んで振り落としました。


「あう」


 落ちた男にこうじんを浴びせかけ、キノとエルメスは校舎に突っ込みます。細かいれきだらけの廊下もなんのその。階段にたどり着くと、


「えい!」


 キノは一気にアクセルをあけて体を後ろに。そのままドカドカと駆け上がります。踊り場ではこうりんを滑らしてターン。二階から三階へ。三階から四階へ。四階からてつを頭下げながら通り抜けて屋上へ。

 化け物は、まだ手すりの向こうにいました。


「早まらないで!」


 キノがエルメスを止めるやいなや飛び降りてそう叫びました。エルメスは、


「うわー」


 がちゃん! と左側に倒れます。


非道ひどい」


 キノは化け物に向かい一歩近づきましたが、すぐにでも飛び降りそうな化け物を見て足が止まります。


「ど……う……せ……」


 化け物が、言葉を発しました。半地下の踊り場で泣いていた、か細い女の子の声でした。


「どうせ……私……なんか……。せんぱいに……じや……だと……思われて……いるだけ……」


 身の丈三メートルの化け物は恐る恐る金網にしがみついて、そう言って大きな目から涙を流すのでした。


「そんなことはない!」


 キノが叫びました。


「そんなことはない! あの先輩は、別にあなたのことを邪魔者だなんて思ってないわよ!」

「ほ……ん……と……?」


 キノは両手を広げて、力を込めて言います。


「そうよ! たまたま断り方が下手へただっただけ──よたぶん。見てたわけじゃないからね。だから、そんなにあばれなくてもいいの!」

「で……も……、すぐに……その後、一年の……髪が短い子と……キスしてた……」


 へ? とキノがあごを落として、振り返ってエルメスに、


「したっけ?」

「たぶん偽の映像を見せられたんだ。それより起こして」


 キノはエルメスを起こさずに、再び化け物へと振り向きます。


「そんなことはない! きっと何かの誤解! あの先輩は、だれとも付き合う気持ちはないって! あの後聞いた──じゃなくて、そうみんなに言っているって!」

「じゃあ……、私はなんで暴れているの……?」


 化け物のしんな問いに、


「誰だって、ふられたらちょっと荒れるからじゃない? 部屋でまくら投げたりして。それが、たまたま校舎のはんかいだっただけよ!」


 キノもまた、ぐに相手の目を見つめて答えました。ちなみに被害そうがくは建物のしゆうぜんだけで億単位です。鹿こわしたたいいくかんは除きます。


「そう……。私……。いや……、戻りたい……。誰かを憎むのは嫌……自分を憎むのも……世界を憎むのも……壊すのも……」


 化け物が、ゆっくりと手すりを乗り越えて、屋上のコンクリートの上へ。その際手すりはグニャグニャにゆがみました。しゆうぜん十万円ほどプラス。


「じゃあ、戻りましょう!」

「どうやったら……、戻れるの……?」


 ゆっくりとキノへと足を進める化け物へ、キノは右手で抜いたビッグカノンを向けました。


「そのままでいいの。わたしがあなたを助ける。だから目を閉じて……。どうしたいのか、心の底からねがって」

「私……。戻りたい……。せんぱいが好きだった私に……。だれかを好きになれる私に……。そして、そんな私が誰より大好きだった私に……」


 化け物が静かに歩みを止めて、大きな体であおい空を仰ぎます。今、まぶたが閉じられました。大きな大きな目から、涙があふれました。


「戻りたい……」


 エルメスが、


「今だ、キノ」

「うん」


 キノがビッグカノンのハンマーを親指で上げます。カチリ、と音がして、相手の胸へとピタリねらいがついたしゆんかん──。


「危ない! なぞの美少女ガンファイターライダー・キノ!」


 サモエド仮面が汗ダクダクでてつから飛びだしてきてすべてはぶちこわしです。

 化け物は先ほどまで自分の命をマジで狙っていた相手に瞬時に反応すると、そいつへと猛ダッシュをかけました。


「来たな我が愛刀のサビにしてくれる!」


 抜刀したサモエド仮面めがけて飛びかかる化け物へ、キノの狙いが動きます。


「外せない……。一発キリ……」


 やがてサモエド仮面と化け物がいつちよくせんに並んだとき、キノの体にくっ、と力が入りました。


「今だ! ──できれば一発で二人いっぺんに!」


 キノはちました。えんりよなく。

 た──────────────────────────────────んっ!

 学園の屋上に、長く重い銃声がひびきました。

 そして、学園に静寂が戻ります。



 けいさつや消防が駆けつけたとき、屋上には一人の女子生徒が制服姿で倒れていました。

 髪の長い生徒でした。どこにもけがはなく、気を失っていただけでした。担架で運ばれていくとき、


「戻れる……。きっと……」


 小さくつぶやいて涙を流しましたが、救急隊員にその真意は伝わらなかったことでしょう。


 安全がかくにんされて学生達が教室に戻ってきたとき、机の上で一人の女子生徒がぶーたれていました。

 髪の短い生徒でした。どこにもけがはなく、机の上にあごを載せて、


「ちっくしょー、やっぱいつしよには仕留められなかったか……。あの変態。大体どこのだれよ?」


 小さくつぶやいてため息をつきましたが、クラスメイトにその真意は伝わらなかったことでしょう。


 最上級学生担当の教師が教室に戻ってきたとき、日本刀を腰に差した一人の男子生徒が、頭からダラダラ血を流しながらすました顔で立っていました。


「先生もご無事で何よりです」


 さわやかによく通る声で言いましたが、教師にとってはその真意なんてどうでもよく、なんでこいつは頭にリンゴを載せているのか聞きたくて聞きたくてしょうがないのを、


じゆけんノイローゼだろうな。秀才にはよくある……)


 あえて無視しました。



 学園に風が吹きました。

 屋上に落ちていたささの葉と短冊が描かれた小さなシールが、その風にい上げられてあおい空に消えていきます。

 今──とエルメス、そしてしずの、新たなる戦いが始まろうとしています。

 彼らはこれから何を見て、何を得て、何を食べて、何を失うのでしょうか?

 彼らの学園生活は始まったばかりです。


 ところで静。保健室行った方がいいぞ。