神様のメモ帳

2 ③

「ほう。気になるのかい。意外だな。きみは他人のことになんてなんの興味もないものかと思っていたよ」


 アリスは少し意地悪そうに笑う。


「べつに、気になるわけじゃ」と僕はつい言い返してしまう。


「そうかい。ではあえて教える必要もないわけだね」


 僕は下くちびるむ。いらついている自分に気づいた。もちろん気になるのだ。彩夏が僕をどう思っているのか。アリスはそれを見かしたように目を細めると、やがて口を開いた。


「……トシに似ていると言っていたな、きみのこと」

「トシ? だれ?」

「彩夏の兄だよ。中退生でね、よくテツたちとつるんでいたのだけど、最近見ない。そうだな、情けないところとかむっつり黙るところとか独り言が多いところとかあやめいわくをかけまくっているところとかは似てるかもしれないね」


 ひどい言われようだった。僕はおにいさんのことを話していた彩夏を思い出して、複雑な気持ちになる。じゃあ彩夏は、僕がお兄さんに似てて心配だったから、あの日屋上で僕を園芸部に誘ったんだろうか。なんか自分がものすごく馬鹿馬鹿しいことを考えている気がした。


「気にしなくていい。そこまで似ていないよ。きみはまだニートではないしね」とアリスは黙り込んでしまった僕に声をかける。「トシはきみほどかたくなじゃなかったし、だいいち──」


 とうとつにアリスの言葉がれる。彼女の目は、ベッドわきの監視モニタにじっと注がれている。


「……どしたの?」

うわさをすれば影だ。トシが来てる」

「え」

「なんで裏から来てるんだ、あいつは」


 アリスにつられて、僕もモニタをのぞき込む。そのそうしんの人影が映っているのは、右から三番目の箱。画面の左下にはドラムかんの上面が見える。たまり場の勝手口前を上の方から撮っている画像だ。フードつきのこん色のトレーナーを着たその人影は、ビルの間のずっと奥の方に立っていて、動かない。


「ナルミ、つかまえてきてくれ。このまま帰りそうだ、あいつ」

「なんで……」

「彩夏が心配してるんだ。いいから早く行け」


    


 僕が非常階段を下りきったとき、その人影はこちらに背を向けてビルの谷間の奥へと歩き去ろうとしているところだった。僕はゴミ袋の山をかき分けてその人にけ寄った。


「あの」


 トレーナーの背中がびくっと震え、振り向く。青白いほそおもて眼鏡めがねの奥で神経質そうな目が泳ぐ。一目で彩夏のお兄さんだとわかった。目元とかそっくりだ。あんまりたじろいでいるので、声をかけたこっちも、なんと言葉をつなげばいいのかわからなくなってしまった。


「お兄ちゃんっ?」


 彩夏の声が響く。振り向くと、勝手口から半分身体からだを乗り出した彩夏のエプロン姿。

 彩夏のお兄さん──トシさんの、観念したようなため息が聞こえた。


「電話してくれればよかったのに、お兄ちゃん」

「携帯止められてんだよ、今。料金払ってないから」


 彩夏はトシさんをビルの谷間のずっと奥まで引っぱっていくと、こっそりとさいからさつを何枚か取りだして手渡した。うわあ。それはどうなんだ兄として。僕は見なかった振りをする。

 戻ってきたトシさんは、階段にこしを下ろすと、ちゆうぼうに向かって「ミンさん、なんかアイス食べさしてよ。のどが乾いた」と言った。出てきたミンさんはまゆをひそめてトシさんをじろじろ見ると、「おまえ、またなんか変なもん食ってるだろ。冷たいもの食べたらまたくぞ」と言って、中に引っ込んでしまう。


「待ってておにいちゃん、なんか温かいもの作るから」と、あやも厨房に戻る。

 トシさんは舌打ちして、ポケットから小さなビニル袋を取りだした。中の小さなじようざいを半分にくだいて、口に放り込んで水もなしにみ込む。それから、じろっと僕を見た。


「彩夏から前に聞いたんだけど、同じ部活の?」


 ようやくトシさんは僕に話しかけてくれた。僕は少し緊張しながらうなずく。


「そっか。おまえがナルミか」


 彩夏はどんなことを話したんだろう、と思う。


「あいつ馬鹿だから大変だろ、一緒にいると」


 僕はぶんぶん首を振る。トシさんは曇った冬空を見上げて乾いた声で笑った。冷たい金属の棒で背中を引っくような笑い声。

 そこで僕らの会話(?)はれた。トシさんは背中を丸めてトレーナーのポケットに両手を突っ込み、きょろきょろと落ち着きなく視線をさまよわせながらときおり貧乏揺すりをしている。僕はその横顔をこっそりと観察した。

 僕に似ている、だろうか。

 わからなかった。似ているかもしれない。ねんれいは僕の一つか二つ上だろう。でもはだはがさがさに荒れていて、血の気がなかった。彩夏が心配するのもわかる。


「お? 珍しいのが来てる」


 いきなり後ろから声がした。振り向くと、相変わらず半そでTシャツのテツせんぱいと、かわジャンのヒロさんと、シベリアちゆうとんへいみたいな服装のしようがビルの合間に入ってくるところだった。


「トシ、おまえなにやってたんだよ今まで」

「え、いや、まあ、色々と」


 テツ先輩の質問を、トシさんは目をそらして言葉をにごしはぐらかす。


「ナルミもまた来たのか。こう、中退生が三人そろうと、やっぱ中卒こそニートの王道って感じだよな」テツ先輩は僕とトシさんを順番に見る。


「あの、僕まだ中退してませんから一緒にしないでください」


 僕の抗議はさっくりスルーされる。


「テツさんまでそういうことを言うから量産型が増えるんですよ。いつやめるかではありません、いかにしてやめるかです」「うるせー高卒。勝負すっか」少佐とテツ先輩はわけのわからない言い合いを始める。


「トシもいるし、久しぶりにゲーセン行こうよ」とヒロさんが言い出した。「おれ新しいコンボおぼえたし超必殺出せるようになったし、今ならトシに勝てる気がする」

「え、いや、あの」


 トシさんはしぶったけど、テツせんぱいうでを引っぱられていやおうなく席を立った。


「ナルミも行くだろ?」

「どこ行くの?」と、あやがあわてた様子でちゆうぼうから飛び出してくる。


「ちょっとゲーセン」ヒロさんがにこやかに答える。


「おにいちゃんも?」

「早く行こうヒロさん」


 トシさんは彩夏をわずらわしそうにいちべつすると、さっさと表に出ていってしまった。


    


 連れて行かれたのは、駅のショッピングモール内のゲーセンだった。ワンフロアはすべてUFOキャッチャーとプリクラにせんきよされ、二階も半分くらいは大型きようたいの音ゲーや通信ゲームやカーレースのスペース。昔ながらのゲームはすみっこに押しやられていた。

 トシさんの格闘ゲームの腕前は、おにのようだった。テツ先輩とヒロさんは、かわりばんこに乱入しまくって何度も何度も挑戦したのだけど、ついに一本も取れなかったのだ。

 しようはトシさんをガンダムの対戦ゲームに引っぱっていって、自信満々で挑戦。でも同じようにボコボコにされた。ザク2を操るトシさんはほんとにニュータイプみたいで、後ろに目がついてるんですか? という感じ。最初はいやいや対戦していたのに、勝ちまくっているうちに目つきが危なくなって変な声を発するようになった。少佐に六連勝したところでけたけた笑い出したかと思うと、次の瞬間さおになって、「ちょっとトイレ」と言って続行中のゲームを放り出して走って行ってしまう。


「……またあいつ、なんかやってんな」テツ先輩が心配そうに言う。


「なんかって」

「昔からネットで合法ドラッグ買ってやってたんだよ、あいつ」



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