「ほう。気になるのかい。意外だな。きみは他人のことになんてなんの興味もないものかと思っていたよ」
アリスは少し意地悪そうに笑う。
「べつに、気になるわけじゃ」と僕はつい言い返してしまう。
「そうかい。ではあえて教える必要もないわけだね」
僕は下唇を嚙む。いらついている自分に気づいた。もちろん気になるのだ。彩夏が僕をどう思っているのか。アリスはそれを見透かしたように目を細めると、やがて口を開いた。
「……トシに似ていると言っていたな、きみのこと」
「トシ? だれ?」
「彩夏の兄だよ。中退生でね、よくテツたちとつるんでいたのだけど、最近見ない。そうだな、情けないところとかむっつり黙るところとか独り言が多いところとか彩夏に迷惑をかけまくっているところとかは似てるかもしれないね」
ひどい言われようだった。僕はお兄さんのことを話していた彩夏を思い出して、複雑な気持ちになる。じゃあ彩夏は、僕がお兄さんに似てて心配だったから、あの日屋上で僕を園芸部に誘ったんだろうか。なんか自分がものすごく馬鹿馬鹿しいことを考えている気がした。
「気にしなくていい。そこまで似ていないよ。きみはまだニートではないしね」とアリスは黙り込んでしまった僕に声をかける。「トシはきみほど頑なじゃなかったし、だいいち──」
唐突にアリスの言葉が途切れる。彼女の目は、ベッド脇の監視モニタにじっと注がれている。
「……どしたの?」
「噂をすれば影だ。トシが来てる」
「え」
「なんで裏から来てるんだ、あいつは」
アリスにつられて、僕もモニタをのぞき込む。その瘦身の人影が映っているのは、右から三番目の箱。画面の左下にはドラム缶の上面が見える。たまり場の勝手口前を上の方から撮っている画像だ。フードつきの濃い紺色のトレーナーを着たその人影は、ビルの間のずっと奥の方に立っていて、動かない。
「ナルミ、捕まえてきてくれ。このまま帰りそうだ、あいつ」
「なんで……」
「彩夏が心配してるんだ。いいから早く行け」
僕が非常階段を下りきったとき、その人影はこちらに背を向けてビルの谷間の奥へと歩き去ろうとしているところだった。僕はゴミ袋の山をかき分けてその人に駆け寄った。
「あの」
トレーナーの背中がびくっと震え、振り向く。青白い細面、眼鏡の奥で神経質そうな目が泳ぐ。一目で彩夏のお兄さんだとわかった。目元とかそっくりだ。あんまりたじろいでいるので、声をかけたこっちも、なんと言葉をつなげばいいのかわからなくなってしまった。
「お兄ちゃんっ?」
彩夏の声が響く。振り向くと、勝手口から半分身体を乗り出した彩夏のエプロン姿。
彩夏のお兄さん──トシさんの、観念したようなため息が聞こえた。
「電話してくれればよかったのに、お兄ちゃん」
「携帯止められてんだよ、今。料金払ってないから」
彩夏はトシさんをビルの谷間のずっと奥まで引っぱっていくと、こっそりと財布から札を何枚か取りだして手渡した。うわあ。それはどうなんだ兄として。僕は見なかった振りをする。
戻ってきたトシさんは、階段に腰を下ろすと、厨房に向かって「ミンさん、なんかアイス食べさしてよ。喉が乾いた」と言った。出てきたミンさんは眉をひそめてトシさんをじろじろ見ると、「おまえ、またなんか変なもん食ってるだろ。冷たいもの食べたらまた吐くぞ」と言って、中に引っ込んでしまう。
「待っててお兄ちゃん、なんか温かいもの作るから」と、彩夏も厨房に戻る。
トシさんは舌打ちして、ポケットから小さなビニル袋を取りだした。中の小さな錠剤を半分に砕いて、口に放り込んで水もなしに吞み込む。それから、じろっと僕を見た。
「彩夏から前に聞いたんだけど、同じ部活の?」
ようやくトシさんは僕に話しかけてくれた。僕は少し緊張しながらうなずく。
「そっか。おまえがナルミか」
彩夏はどんなことを話したんだろう、と思う。
「あいつ馬鹿だから大変だろ、一緒にいると」
僕はぶんぶん首を振る。トシさんは曇った冬空を見上げて乾いた声で笑った。冷たい金属の棒で背中を引っ搔くような笑い声。
そこで僕らの会話(?)は途切れた。トシさんは背中を丸めてトレーナーのポケットに両手を突っ込み、きょろきょろと落ち着きなく視線をさまよわせながらときおり貧乏揺すりをしている。僕はその横顔をこっそりと観察した。
僕に似ている、だろうか。
わからなかった。似ているかもしれない。年齢は僕の一つか二つ上だろう。でも肌はがさがさに荒れていて、血の気がなかった。彩夏が心配するのもわかる。
「お? 珍しいのが来てる」
いきなり後ろから声がした。振り向くと、相変わらず半袖Tシャツのテツ先輩と、革ジャンのヒロさんと、シベリア駐屯兵みたいな服装の少佐がビルの合間に入ってくるところだった。
「トシ、おまえなにやってたんだよ今まで」
「え、いや、まあ、色々と」
テツ先輩の質問を、トシさんは目をそらして言葉を濁しはぐらかす。
「ナルミもまた来たのか。こう、中退生が三人そろうと、やっぱ中卒こそニートの王道って感じだよな」テツ先輩は僕とトシさんを順番に見る。
「あの、僕まだ中退してませんから一緒にしないでください」
僕の抗議はさっくりスルーされる。
「テツさんまでそういうことを言うから量産型が増えるんですよ。いつやめるかではありません、いかにしてやめるかです」「うるせー高卒。勝負すっか」少佐とテツ先輩はわけのわからない言い合いを始める。
「トシもいるし、久しぶりにゲーセン行こうよ」とヒロさんが言い出した。「おれ新しいコンボ憶えたし超必殺出せるようになったし、今ならトシに勝てる気がする」
「え、いや、あの」
トシさんは渋ったけど、テツ先輩に腕を引っぱられて否応なく席を立った。
「ナルミも行くだろ?」
「どこ行くの?」と、彩夏があわてた様子で厨房から飛び出してくる。
「ちょっとゲーセン」ヒロさんがにこやかに答える。
「お兄ちゃんも?」
「早く行こうヒロさん」
トシさんは彩夏を煩わしそうに一瞥すると、さっさと表に出ていってしまった。
連れて行かれたのは、駅のショッピングモール内のゲーセンだった。ワンフロアはすべてUFOキャッチャーとプリクラに占拠され、二階も半分くらいは大型筐体の音ゲーや通信ゲームやカーレースのスペース。昔ながらのゲームは隅っこに押しやられていた。
トシさんの格闘ゲームの腕前は、鬼のようだった。テツ先輩とヒロさんは、かわりばんこに乱入しまくって何度も何度も挑戦したのだけど、ついに一本も取れなかったのだ。
少佐はトシさんをガンダムの対戦ゲームに引っぱっていって、自信満々で挑戦。でも同じようにボコボコにされた。ザク2を操るトシさんはほんとにニュータイプみたいで、後ろに目がついてるんですか? という感じ。最初はいやいや対戦していたのに、勝ちまくっているうちに目つきが危なくなって変な声を発するようになった。少佐に六連勝したところでけたけた笑い出したかと思うと、次の瞬間真っ青になって、「ちょっとトイレ」と言って続行中のゲームを放り出して走って行ってしまう。
「……またあいつ、なんかやってんな」テツ先輩が心配そうに言う。
「なんかって」
「昔からネットで合法ドラッグ買ってやってたんだよ、あいつ」