天嬢天華生徒会プリフェイズ

1 その①

 天祿院てんろくいん凰華おうかのことを思い出そうとするとき、きまって最初に浮かんでくるのは、彼女の首輪だった。

 花も星も恥じ入るような美貌を生まれ持ち、自分でデザインした可憐な制服を見事に着こなしていた彼女だけれど、その喉元にはいつも革製の首輪を締めていた。金具もベルトも飾り気のない無骨なもので、彼女の完璧な造形美に穿たれた一点の穴だった。視線も記憶もどうしてもその一点に吸い寄せられる。

 凰華と出逢ってからいくらか経った頃、なぜ首輪をしているのか訊いてみたことがある。


「先生は首輪はおきらいですか……?」


 泣きそうな顔で言われたのでぼくはあわてて答えた。


「いやべつにそういうわけじゃ――」


 待て。これでは首輪が好きということになってしまう。案の定、凰華はぱあっと顔を明るくして「よかったです! リードもあるんです、先生どうですか」と他人に決して見せられないような行為を薦めてくるので閉口する。


「これはわたしの王冠なんです」


 首に手をやって凰華は誇らしげに言った。


「王たる者、民の飼い犬でなくてはいけない。その誓いの証です」

「はあ。ええと」


 ぼくは困惑して言葉に詰まった。

 絶大な権力を握る生徒会長である彼女が、この学園の王であるというのは比喩でも誇張でもなくその通りだろう。しかし、王が飼い犬でなくてはいけない、とは?


「王は、自身ではなんの価値も創り出すことができません。民が建てた城に住み、民が織ってくれた服を着て、民が育てたものを食べて生きています。その代わりに、民に先立って導き、ときには民を守るために戦う。これはまさしく飼い犬の生き方です」


 そういう言い方をされると、そうかもしれないけれど。


「飼い犬っていうと威厳がなくなるような……王様って人の上に立つわけだし……」

「人の上に君臨するからこそ犬なんです。王者たるこのわたしはナンバーワンにしてオンリーワン、略してワンワン」

「そこ略すのかよ」

「王の中の王。略して王王ワンワン

「中国語っ?」

「歴史上、数え切れないほどの王が民に殺されてきたのは、飼い犬であるという本分を忘れたからです。王こそが民に奉仕するべきなのです」

「ああ、うん、そういう心がけならわかるかも」

「わかってくださいましたか!」


 凰華は目を輝かせて身を寄せてくる。


「では先生、わかってくださった証に凰華を犬らしくなでなでしてください」


 ぼくは後ずさるが、凰華は身を低くして頭をこちらに差し出し、距離を詰めてきた。

 しかたなく、広い生徒会室に他に人がいないことを再三確認すると、凰華の頭にそっと手のひらをのせた。柔らかい髪の感触とかすかな体温に、動悸がしてくる。


「ありがとうございます。だれよりもまず先生に、誠心誠意、ご奉仕いたしますね」


 ぼくの手の中で凰華はそう言ってくすぐったそうにほほえんだ。



 これは、天祿院凰華の奉仕録であり、その帝王学の実践録である。

 彼女は言葉通り、在学中の全期間にわたって、全身全霊をもって自国民――つまり天涯てんがい学園がくえんの生徒たち――に奉仕し続けた。ぼくは大統一生徒会の執行部の顧問教員として、玉座にある凰華を最後まで間近で見守った。

 本来ならとっくに終わっていたはずのぼくの人生にとって、ほんとうにかけがえのない宝物の数年間だった。凰華に寄り添えた月日を、ぼくは誇りに思う。それでも、ろくでもない残りの人生の中で、記憶は確実に薄らぎ、ぼくはあの生徒会室から遠ざかっていく。

 だから、あの宝石の日々を文章にして残しておこうと思う。

 暗夜の中を往くための灯りとして――。

 物語は、ぼくが天涯学園に教員として着任したその日に始まる。

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