天嬢天華生徒会プリフェイズ
2 その②
「これで先生はわたしのものですね」
凰華は契約書を愛おしそうに胸に押し当てて抱きしめた。そんな契約は書いてません。
「ではではっ、二人きりですし、さっそく個人授業をお願いします」
そんなことを言ってぼくにのしかかるように顔を近づけてくるので、ぼくは泡を食って後ずさる。凰華のブレザーの胸のあたりがぼくの二の腕に押しつけられる。
そのとき、ドアが開いた。
ぼくはソファから転げ落ちるようにして凰華から逃れ、そのまま絨毯の上に正座した。こんなところをだれかに見られたら失職ものだ。
部屋に入ってきたのは、すらりとした長身の女子生徒だった。凰華と同じ制服姿だけれど、濡れたように黒い髪を束ねて長く垂らした様は武家の姫君といったふうで、純和風の雰囲気のせいでブレザーの色合いまで少しちがって見えた。
「ただいま帰陣した」
彼女はそう言って凰華に向かって胸に手をあてる敬礼をした。
「お帰りなさい、
竜胆、と呼ばれたその娘は怜悧そうな切れ長の目を見開き、ぼくを見つめ、大股でこちらに寄ってくると、ぴんと姿勢を正して礼をしてきた。
「お初にお目にかかります。副会長の
「あっ、はい、はじめまして」
ぼくも頭を下げた。凰華とちがってちゃんとしてそうな人だ。生徒会副会長、か。こんなまともな人が凰華の隣についていてくれるなら、ぼくも少しは気が休まる時間を持てるかな。
「先ほどは申し訳ない」と竜胆はまつげを伏せて言う。「こちらの対応が遅れたせいで先生には取り調べなんていう不快な目に遭わせてしまった。もっと早く犯人を捕まえていれば」
「え? あ、ああ、うん、ええと」
「竜胆は治安維持が主な仕事なんです」
凰華が横から言って、自慢げに竜胆の両肩に手を置いてぼくに見せつけるようにした。
「風紀委員を率いて学園を護っているんですよ。さっきも一網打尽にしてくれましたし」
ああ、凰華が警備室で電話指示していた相手はこの娘だったのか。
「ありがとう。助かった。すごいね、人混みに紛れ込んじゃった犯人まであんなに早く見つけちゃうなんて」
ぼくが言うと竜胆はかすかに口元をほころばせた。
「先生のお役に立てたならとても嬉しい」
「竜胆、これからもなにかあったら先生のために一肌脱いでくださいね」
「わかった」
竜胆はブレザーを脱いでソファに置き、襟元に手をやっていきなりリボンを抜き取るとブラウスのボタンを上から一つずつ外し始めた。
「――ってなにやってんのッ?」
ぼくはあわてて彼女の手をつかむ。
「一肌脱げと凰華が」
「もののたとえだよ!」
「そうなのか……」竜胆はしゅんとなる。どうなってんだ。
「竜胆は小さい頃からほんとうに素直で真面目な子なんです」
素直とかそういうレベルではない気がするけれど。
「ええと。二人は昔から知り合いなの」
「はい。妃毬坂家とは家族ぐるみで仲が良くて、幼稚舎の頃から竜胆とは裸のつきあいで」
「裸の――」
そうつぶやいた竜胆がまたボタンを外し始めたのでぼくは泡を食って止めた。
「脱いじゃだめ! ただの修辞だから!」
「竜胆は小さい頃からほんとうに正直で純真な子なんです」
「偽りなくまっすぐ生きろというのが我が妃毬坂の家訓だから……」
「嘘と喩えは別の話! 今ここで現代文の授業やろうかっ?」
「謹んでお受けする」と竜胆はソファの上に正座した。「私はたしかに国語が苦手で、いつ服を脱いでいいのかよくわかっていなくて……」
「着替えと風呂のときだよ! 人前で脱いじゃだめ! ていうかこれ国語じゃないよ!」
「安心してほしい、生徒会役員と先生の前でしか脱がないから」
「ぼくの前でもだめ! 初対面だよ、なに言ってんのっ?」
「先生のことはよく知らないけれど、凰華がとても尊敬している人だから私も全身全霊で尽くしたいと思っている」
忠誠心の生える角度がおかしすぎる。
「それに、私たちに足りないものを教えてもらうためにお呼びした、と凰華から聞いている」
凰華に目を移すと、満面の笑みでうなずかれる。しかも凰華も竜胆の隣に並んで正座する。一体なにを期待されてるんだ。
「日本語は難しいから、私も普段から、やらしい意味の言葉を気づかずに使っているかもしれない。先生に教えてほしい」
「えええええ……そんなのわざわざ教わらなくても……」
「『胸襟を開く』はやらしい言葉?」
「全然! 脱いじゃだめだからね!」
「『手ぶら』はやらしい?」
「カタカナじゃなければやらしくないかな!」
「『オスプレイ』はやらしい?」
「ヘリに乗ってきた直後にそういうこと言わないでくれないかな!」
「『やらしい日本語』はやらしい?」
「『やさしい日本語』ね! やらしい日本語はもちろんやらしいよ! 自分で言っててわけわかんなくなってきたよ」
「強くなければ生きていけない、やらしくなければ生きている資格がない?」
「ハードボイルドが台無しだよ!」
「今のに的確につっこめるなんて、さすが先生です。お呼びした甲斐がありました」と凰華は目を潤ませるのだけれど、もっと他のことで尊敬してほしかった。
そのとき、生徒会室の奥の方でドアが乱暴に開かれる音がした。
「さっきからうるさい! 作業が進まないでしょ!」
少女の声が響く。



