天嬢天華生徒会プリフェイズ
2 その①
幕末期、この地に設立された私立校がすべての始まりだという。
最初は生徒百人そこそこ、私塾に毛が生えた程度の規模だった。けれど設立者も、集められた教員や生徒もみな志が高く、野心家ばかりがそろっていた。卒業生たちは次々に政財界へと進出して強固な学閥の根を張り、数々の特権を勝ち取っていった。学校の所在する半島は陸の孤島と呼ぶにふさわしい隔絶された地理条件を備え、学芸都市として独自の発展を遂げた。
そして三度の大戦を経て、なお国際的な緊張が高まる中――
今から十一年前、ついに『文教特区法』が衆参両院を通過する。
世界に通用する優秀な人材を育成するため、生徒の自主性を極限まで尊重する、というのが掲げられたお題目だった。
多様性。
健全な競争原理。
実力評価主義。
旧弊打破。
様々な綺麗事で糊塗されたその特別法の実態は、つまり半島南部全域を日本国から切り離して最大限の自治権を与える、というものだった。
独立学芸国家、
*
「つまり学園自体は昔から今とそんなに変わらない形で運営されてたんです」
エレベーターの中で
「独立しても、実生活レベルではちょっと不便になっただけ、という声はよく聞きます」
「十一年前か……わりと最近だね……」
教員になるための勉強だけじゃなく、もっと社会常識を身につけておくんだった、とぼくは真剣に後悔する。専攻が現代文だからといって、さすがにものを知らなすぎる。
「街がぜんぶ学園てことは、ここの他にも校舎があるわけ?」
ヘリが着陸したこの管理棟と、その足下に並んでいた建物は、ごく標準的な学校ひとつぶんほどの規模だった。凰華はうなずいて答える。
「ここはアルケリリオン女子学舎といいます。わたしが所属している学舎です。天涯学園はたくさんの学校の集合体なんです。その構成単位を、公式には『学舎』と呼んでいます。学院とかカレッジとか、自称は学舎によって様々ですけれど。それぞれの学舎は独立運営で、校風も授業内容も制服などもちがうんですよ」
なるほど。色んな学校が集まってるんでもなければ、ここまで肥大化しないよな。
「学舎っていくつくらいあるの」
「生徒会に登録しているものだけで二百四十。非公認のものまで含めるとすべては把握できていませんけれど、その倍くらいでしょうか」
五百……。
各校に生徒が五百人ずついると仮定して二十五万人……。
気が遠くなってくる規模だった。
「管理する方も大変だろうね。いや他人事じゃないか、ぼくも今日から教員だし」
「いえ。管理しているのは生徒です」
「……え?」
「『生徒の自主性を重んじる』というのは、ここ天涯学園では単なる標語ではなくそのままの意味なんです。学舎の経営も管理もすべて生徒がやっています」
半信半疑だったぼくが凰華の語った真実の重みをあらためて味わうのは、もう少し後のことになる。
「教員も生徒が雇っているんですよ」
凰華はにんまり笑って身を寄せてきた。
「つまり先生の雇用主はわたしです」
「え? ……えええええ?」
まさか。いや、でも。そんなとんでもない仕組みの学校だから、ぼくみたいなのが教師として潜り込めてしまったのか。
エレベーターは四階で止まった。カーペット敷きの廊下を凰華は先んじて歩き出す。
追いかけながらおそるおそる訊ねる。
「あの、じゃあ、ぼくのプロフィールとか全部知ってるわけで……」
「はい、もちろん。というかわたしの方から
平林、というのは僕が世話になった就職エージェントさんだ。名前を知っているということは凰華が僕の雇用者というのも嘘ではなさそうだった。
「先生に業務命令という名目であんなことやこんなことまでしてもらえるなんて、今からどきどきが止まりません」
しかしこの娘のぼくに対する謎の執着にはさっぱり心当たりがない。恨みを買うおぼえならいくつもあるのだけれど。
「あの、ぼくは教員として雇われたわけで、なんか特別なことを期待されても」
「もちろん教えを請うためにお呼びしたんですよ! 先生にしかできない授業を、わたしたちアルケリリオンの生徒にしていただきたいんです」
「現代文が専攻なんだけど」
「現代文を教えるという体裁で、普通の学校では教えないようなことを教えてください」
なんかとんでもない学校に来てしまった。
しかし他に行くあてもないし、生活できるならよしとしなきゃ……。
凰華は大きな両開きのドアの前で立ち止まった。生徒会室、と書かれたプレートがドアに填め込んである。
凰華がみんなから『会長』と呼ばれていたことを思い出す。
生徒会長――なのかな。
部屋の中は、ぼくの想像していた生徒会室とはまるでちがっていた。毛足の長い絨毯敷きの、教室二つぶんくらいの広さに、ソファとガラステーブルの応接セット、奥に並んだ重厚そうなデスク、隅にはキチネットまでついている。人気がまったくないのもあって、オフィス向けのモデルルームみたいな雰囲気だ。しかしここにたどり着くまでにさんざん驚くものを見せられてきたので、生徒会室がちょっと豪奢なくらいではなんとも思わなくなっていた。
ソファに腰を下ろしたぼくは、凰華が持ってきた雇用契約書を全文二回繰り返して読むと、署名した。たしかに、天祿院凰華がぼくの雇用者だった。



