天嬢天華生徒会プリフェイズ
1 その⑥
なんというか――でかすぎる。色々と。
新薬の研究? 企業スパイ的な組織が犯罪計画を練って成果物を盗もうとした? ぼくの今日からの勤め先ってほんとうにここなの?
「それじゃ、先生も、疑ってすみませんでした」
警備長はぼくに向かって帽子をとってみせる。
「赴任初日から災難でしたな。良い学園生活を! 私は現場整理に戻ります」
駅の方へと足早に去る警備長を見送ってから、凰華はぼくに勢いよく向き直った。
「先生、お騒がせしました! 来てくださって早々、ほんとうに申し訳ありませんでした」
「いや、うん、ええと……」
もうこの数時間で起きた物事が多すぎてぼくの脳キャパシティは限界だった。ろくに言葉も出てこない。ところがぼくの煮え切らない態度を凰華は変に誤解したようだった。
「あっ、そう、そうですよね。事件はまだ解決していませんもの」
「……そ、そうなの?」
これからさらにまだなにかあるの? もう道ばたでかまわないから横になって寝てしまいたいのだけれど。
「はい。おそらくもう一人の共犯者であるはずの車掌をまだ捕まえていません」
「……あー……。あの人もか。そうか……」
「爆弾騒ぎをなるべく拡大させるため、学園のことをあまり知らず事情聴取で怪しまれやすそうな乗客を探していたんでしょう」
荷物のことをやけに訊いてきたのは、発煙筒を仕込むためか。
ぼくはがっくり肩を落として息をついた。いま思い返してみればあの車掌、怪しさ満々だったじゃないか。全然なんとも思わなかったなんて、鈍ってるにもほどがある……。
「今回の犯人たちの中でいちばん赦せない男をまだ野放しにしているなんて、不覚です」
凰華は拳を固めて悔しげにつぶやいた。
「いちばん赦せない? なんで?」とぼくは訊ねた。
「だってあの車掌は先生の荷物にさわったんですよっ」凰華は声と髪を震わせる。
「わたしに断りもなく、先生の服や下着や歯ブラシにさわるなんて……絶対に赦せません……」
断りがあったらさわっていいみたいな言い方はやめてくれないだろうか。あきれ果ててくたびれ果ててもう口も挟めなかったけれど。
「あっ、すみません先生、お疲れですよね。すぐにお部屋にご案内します」
「……そうしてもらえると助かります……」
「ここからけっこう遠いのでお車で、というつもりだったのですけれど」
凰華は言葉を切ってロータリーの向こうを見やる。爆弾騒ぎで出動した消防車や警察車両らしき車が通りをふさぎ、逃げようとしていた人々と事態が収まったと聞きつけて観に来た野次馬たちとで歩道も車道もごった返して大渋滞を引き起こしている。
「道が混雑していて厳しそうですので」
「ああ、うん。しかたないね。歩くよ」
「いえ。ヘリを呼びました」
凰華の言葉の最後の方は、上空から迫ってきた激しいローター音にかき消された。空を振り仰いで機影を目にしたぼくはもう絶句するしかなかった。
駅ビル屋上のヘリポートから搭乗した。ヘリコプターに乗るなんて人生ではじめてだった。もうずっとぼくは間抜けに口を半開きにしていたことだろう。
ヘリが上昇を始めると、眼下の街を一望できた。
駅前広場から続くゆるやかな下り坂の目抜き通りには背の高いビルがいくつも並び、その陰には宅地が広がっている。公園や緑地もふんだんに配されている。なんという市なのか知らないけれど、にぎやかで活気のありそうな街だった。住むのに不便はなさそうだ。
しかし、と今さらながらぼくは思い出す。
あのパスポート確認はけっきょくなんだったんだろう?
日本国外扱いのなにか特殊な施設にでも通されるのかと思ったけれど、普通に街中に出てきてしまったし。
凰華に訊ねようとしたとき、機体がぐっと傾いて加速し始めた。ぼくはつんのめってシートベルトで胸を強く圧迫され、言葉を呑み込んでしまう。
高度がさらに増すと、地平の彼方にきらきらした光が現れる。
海だ。
あらためてぐるりと地上を見渡すと、街の全貌が手に取るようにわかる。
相模灘に突き出た半島の先端に造られた綺麗な計画都市。幾何学的な放射状の街路の組み合わせはいくつもくっつきあった雪の結晶を思わせる。三方を海に囲まれ、唯一の陸路には険しく切り立った山で塞がれている。列車はあの山を貫くトンネルを通り抜けてきたわけだ。駅は街の北端、いちばんの高台にある。
「そろそろ到着です、先生。学舎管理棟に着陸します」
凰華の声に僕はそちらを向いた。
彼女が指さす先、林に囲まれた一角に真っ白な建物の一群が見える。ひときわ高いビルが彼女の言っていた管理棟だろう、屋上にヘリポートがあるのがわかる。その足下に寄り添うように身を横たえている細長い棟の並びは校舎だろうか。陸上競技トラックの整備された校庭や何面ものテニスコートやサッカーグラウンド、プールも見えてくる。
「きれいな学校だね。あれが天涯学園? 思ってたより普通の大きさだな。なんかすごく大きい学校だって聞いてたんだけど」
凰華は目をまん丸に見開き、ぼくをじっと見つめてきた。あれ? ぼくなにか変なこと言ってしまったか?
やがて彼女はくすりと笑った。
「ちがいますよ先生。学園は、これ全部です」
両手を大きく広げてみせる。ぼくは首を傾げた。
「……全部、って?」
「下に見えている街が全部、学園です」
列車から降りて以来驚くことの連続で麻痺しかけていた脳を、あらためてぶん殴られた。目を剥いてもう一度ヘリの狭い窓から眼下を見渡す。
「山のこちら側、半島南部全域が敷地です。超高度自治学芸都市――天涯学園」
凰華はこのうえもなく誇らしげに言う。
「わたしの王国です」
ヘリが降下を始めた。耳鳴りがやってくる。



