ヴァルプルギスの後悔Fire1.

chapter two〈the devotion〉 ③

「彼女のことは悲劇だ。どう考えてもじんなことだ。何かを守るために戦っても、その守るべきものの方が歪んでいたらなんにもならないっていう──だが、俺は、ジャンヌ本人よりも、その戦友として一緒に戦っていたある人物に興味がある。そいつは後に〝あおひげ〟と呼ばれて、ジャンヌ並みに有名になった──どうしてだか、わかるか?」

「いいえ──」

「そいつは子供を次々とかどわかしては殺す、きようあくかつ異常な殺人鬼になってしまったからだ。百人以上も殺して、最後にはしばり首になった」

「…………」

「俺はそいつの気持ちが、なんだかわかるような気がするんだ。俺は、そいつと同類だと思う──凪がいる内は、それなりにまともでいられるが、彼女がいなくなったりすれば、俺は正直、何をするか自分でもわかったもんじゃないって、そう思う──青髭は、なにがなんでも、自分も一緒に死ぬことになったとしても、ジャンヌ・ダルクを見捨てるべきじゃなかった。奴は結局は悪党だった。そして俺も悪党だ。だがそんな悪人でも、自分の心を救ってくれるひとと出会えることもあるんだ。悪には悪の救世主が必要で、そして──悪党こそ、それを絶対に裏切ってはいけないんだ。俺はそう思っている──」


 淡々と語りながら、健太郎は綺のことを見つめ続けている。そして綺も、


「ええ──わかる気が……します」


 と、彼に向かってうなずいた。


「私も、きっとそれは同じです……」

「だから俺は、君が凪にとって危険だと思ったら、彼女に内緒で君のことを始末する。俺にとっては残念ながら、君も正樹も凪のことに比べたら二の次だ」


 健太郎はまったく綺から眼を逸らさずに、特に睨みつけることさえなく、静かにそう言った。

 そして綺は、彼女はこの非情な宣告に対して──


「ありがとう、羽原さん」


 と、にっこり笑ってそう言った。そこにはなんの揺らぎもなかった。恐怖も興奮もなく、ただあんだけがあった。


「そう言ってくれると思っていました」

「だが今はまだ、そうじゃないってこともわかるよな。今はまだ、君は凪にも正樹にも必要な人間で、俺もそう思っている──もしも敵が君を通して凪に何かをしようとしているのなら、逆にそれを利用する絶好のチャンスなんだからな。割と責任重大なんだぞ、君は」


 健太郎の言葉に、綺は少し身体を硬くしながらも、


「は、はい──そういうことに、なるんですね」


 と、健気けなげな表情でうなずいた。健太郎も、よし、と立ち上がって、


「とにかく、もう少し詳しい話を聞かせてもらわないとな──コーヒーでもれよう」


 と、キッチンの方に歩いていった。


「────」


 一人残された綺は、周囲をきょろきょろと見回した。ほんとうに凪の部屋に似ている──だから、どこに何があるのかも、だいたいの見当はついた。

 彼女は、音を立てないようにしながら、席から立ってデスクの上に並べられたモニターの方に近寄っていった。そこには少しエロティックな画像が出しっ放しになっている。


「…………」


 綺は、おそるおそるキーボードの上に指を置いた。たしかこういう仕組みになっているはず──と思いながら。

 やはり、思った通りに画像は一瞬で、データをれつした素っ気ないものに切り替わった。

 そこに書かれている文字を、綺は必死で読んだ。凪と健太郎が今、何をしているのか知りたかった──その中に、なんだか変に気に掛かるものがあった。


(この──村津隆、補導歴なし、って……補導歴がない人のことを、どうして調べているのかしら……?)



    3.


 かつて冥加暦は、村津隆にこんなことを言っていた。


「小さいことにくよくよするな、とかよく言うわよね──でも、あれって変だと思わない?」

「何が?」

「だって大きなことだったら、くよくよなんかしてられなくて、ただぼうぜんとして、ひたすら途方に暮れるだけじゃない? くよくよできるのは、小さいことだけだわ。他に、くよくよできることってあるのかしら?」


 うっすらと微笑みを浮かべながら、そういう奇妙なことを言う。彼女はそういう少女だった──ふいに、そのときの笑顔を想い出したのは、彼の前にいる異常な男が、


「そんなにくよくよするな、小さいことだ。たかがチンピラのヤクザが何人か死んだだけだ。誰も気にしない」


 と、きわめて軽い口調で言ったからだった。

 その有賀宗俊と名乗った男は、無造作に自分が殺したヤクザたちの死体を放置して、隆のことを裏通りから強引に連れ出した。


「あ、あんた──今、あいつらに何をしたんだ?」


 まるで手品のように、重い金属の、折れた刃物の切っ先だけが勝手に飛び回って、そして次々とヤクザの喉ぶえを切り裂いたかのような──そんな風にしか見えなかった。


「ああ。ちょっとしたものだろう? 私はあれを〈ライト・フライズ〉と名付けて、呼んでいる。自慢の能力だよ」

「能力?」


 そう訊いても、有賀はニヤニヤするだけで何も答えない。完全に馬鹿にされている──しかし隆には、そのことに文句を言うことなど無論できない。

 有賀は、そのまま隆をあちこち連れ回した。

 まずはそのだらしない格好を何とかするとか言われて、美容院で髪を切られ、黒く染められ、服も新しいのを着させられた。するといかにも真面目な良家の坊ちゃん、みたいな姿になり、エリートサラリーマンみたいな姿の有賀とは妙に調和のとれた感じになってしまった。

 そして一流ホテルのレストランで食事をして、ラウンジでコーヒーをすすっているときに、有賀はやっと、


「ところで──君に訊きたいことがあるんだが。いいかな」


 と言ってきた。隆はびくっ、と身体を強張らせてしまった。それまで会話らしい会話などなかったので、相手にどういう言葉を返せばいいのかもわからない。


「え、えと──」


 おどおどしている隆に、有賀はにこにことおだやかに微笑みながら、


「よくなかったら、そう言ってくれ──今、ここで始末してしまうから」


 と、実に軽い口調で言った。あまりにも簡単に言われたので、隆は一瞬何を言われたのかわからなかった。しかしそれが、


(──俺を殺す、ってことか……?)


 そういう意味だとすぐに察した。自発的に協力する気がない者を勧誘している訳ではなく、頭の回転が悪い者にいちいち説明する気もないのだ。


「…………」


 ごくっ、と喉が勝手につばを飲み込んだ。動揺していた。だが下手な反応はできない。彼はできるだけ落ち着いているように見える素振りをしなければ、とコーヒーカップを手にして、それを口にした。一口すすろうとしたが、今度は喉を通らない。結局飲まずに、またテーブルに置いた。そして、


「──ダイアモンズのことを知りたいのかい」


 と、できるだけさりげなく言った。声は震えずにすんだ。


「いや、そっちはいい──だが、ダイアモンズと敵対していた者のことは、是非とも知りたいね」

「つまり、ダイアモンズがあせって、俺に大きな取引を持ちかけてきたのは──あんたらに、何かされたから、なのか?」

「彼らの本拠はすでに制圧されたそうだよ。そっちはもう、なにも問題はない。だが我々に知られずに、ここのダイアモンズの支部を潰した者のことは謎のままなんだ。当の本人たちに問いただしても、どういう訳かまったく答えようとしない──よほど怖い目に遭ったらしい。あるいは……」

「あるいは?」

「その相手に、やられながらも尊敬の念のようなものを抱いてしまったか、か──」


 有賀の言葉に、隆はぎょっとした。

 そういう感覚は知っている。

 それは、彼が冥加暦に感じていたような感覚ではないのか──だとすると、


(あいつ──あの、クラブで俺を睨んでいた、あの女は──まさか……)


 あれは、もう隆のことをマークしていて、それで取引場所までつけられて、それでダイアモンズのアジトまで辿っていって──あの革のつなぎを着た変な女が──もしかすると、あいつが……あの噂の──


「炎の魔女……?」


 隆がぽつり、とそう呟くと、有賀は、む、と眉を寄せた。


「何か知っているのか?」


 その質問に、隆は即答せずに、相手のことを見つめ返した。


「なんだ?」