螺旋のエンペロイダー Spin1.

Introduction

 さいそらがその男に会ったのは半年前のことである。


    *


「あー、おにいさんが世界最強の男ね?」


 そらがそう言うと、その紫色の服を着た、少年のような男は、


「……なんだ、おまえは?」


 とげんそうな顔で少女にたずねた。それから上を見て、


「どこから落ちてきた?」


 と言った。彼らの頭上にはどこまでも広がる青空があるだけだ。

 彼は少女を腕に抱きかかえている──お姫様抱っこ、という姿勢だ。

 たった今、彼は少女のことを受け止めたのである。

 しかし彼らの上には何もない──飛行機やヘリコプターのたぐいも一切飛行していない。

 なのに、落ちてきた少女を彼は受け止めたのである──その不自然、そのじよう……だが彼はさほどおどろいたような顔をしていない。そういう異変には慣れっこだ、という風に。

 彼が立っている場所が、そもそも異常である。

 山中にぽつん、と建っている電波塔──その先端部のわずかな点の上につまさきを載せている。それだけで全身をぴたりと固定している。

 高所ゆえの強風は周囲には吹いているが、彼の周囲だけはしん、と完全な無風状態になっている。


「おにいさんがだれなのか、私は知らないけど──でもおにいさんが、とうこう最強の存在であることは確かでしょう?」


 才牙そらはほほみながら言った。


「────」


 最強と言われた男は、少しぜんとした表情になり、


「えーと──」


 とくちびるを多少とがらせて、それから呆れたように、


「おまえは俺に殺されに来た、ということなのか? いきなり現れて、俺が反射的にこうげきしてくるのを期待していたのか?」


 といたら、そらはくすくすと笑った。


「私は自殺志願者?」

「違うのか? それとも俺と戦うだけの力があるのか?」

「ああ、そういう期待には応えられないけど──少なくとも、力をはつする機会は与えられるかもね?」


 少女がそう言うのと同時に、周囲にばくはつが無数に生じた。

 しかし、男の近くに風が来ないように、爆圧もいっさい二人のもとには到達しない。


「────」


 男はまゆをひそめるだけで、まったく動じるりがない。続いて電波塔に接近してくるのはヘリコプターだ。

 横のハッチが開いていて、そこから身を乗り出している者がいる。

 信じられない、という顔をしている。


「あいつは──知ってるな。確かせんとう用合成人間の──」


 少女を抱きかかえた男は、少しだけ考えて、それから首を振って、


「まあ、名前まではいちいち覚えてねーな」


 と投げやりに言った。ヘリの人物の方は、恐怖に顔を引きつらせて、


「げ、げえっ──フォルテッシモ?!」


 とめいを上げた。そしてあわてて、


「い、いや違うんだ、今のほうげきは、別にあんたをとうとしたんじゃなくて──」


 と手を大きく振りながら弁解してきた。

 フォルテッシモと呼ばれた男は、ヘリの方にはほとんど注意を向けずに、腕の中の少女を見る。


「つまり──おまえは統和機構に狙われている?」

「そうらしいわね」


 才牙そらはどうでもいい、という調子で言った。


「あなたは統和機構で一番強い訳だけど、私を殺す?」

「────」


 フォルテッシモは苦い表情になった。それからヘリコプターの方に顔を向けて、


「おい──こいつは何をしたんだ?」


 と訊ねた。言われた方はなおも表情を引きつらせながら、


「そ、そいつは第一級の危険な存在です──我々の完全包囲から、いとも簡単に脱出して──」


 と説明する途中で、フォルテッシモは「あ?」と唇をゆがめた。


「なんだ? 誰かがやられた訳じゃないのか? ただ逃げられただけか?」

「それは──そうですが……」


 困ったような相手を無視して、フォルテッシモはまた少女に視線を戻す。


「どうやって逃げたんだ、おまえは。俺からは逃げないのか」

「あなたは統和機構で一番強いんでしょう? だから私は、あなたのところに落ちてきたんだから──」

「どういう意味だ?」

「統和機構の他の誰も、あなたが決めたことに逆らえない──それは確かなこと。あなたが一番偉いんじゃなくて、どうやら何者も口出しできない強さがある、ということらしいみたいね。あなたが統和機構の〝終点〟──少なくとも、戦闘とさつりくに関しては」

「…………」

「あなた、私を殺す?」

「…………」

「あなたが殺すというのなら、私はどこまでも統和機構の敵ということになるけど……そう思わないのなら、私は統和機構にとっては実はそれほど意味がないということになる。少なくとも、あなたよりも重要じゃない」

「……うーむ」


 フォルテッシモは少し首を斜めに傾けて、


「よくわからんが……つまり、おまえに味方するとなると、俺は統和機構を敵に回すことができるかも知れない、ってことか?」


 と、妙にうれしそうな表情になった。


「戦いたくて仕方がないみたいね、おにいさんは」

「統和機構はつまらん──無抵抗すぎて、敵にするのも馬鹿馬鹿しいから今までは協力していたが、もし完全に敵に回るというのなら、むしろスッキリする」


 フォルテッシモはそう言って、ヘリコプターに視線を向ける。


「なあ、どうする? おまえらは俺を敵に回すか? それでもこいつを殺したいと思うのか?」

「い、いや──それは……」


 戦闘用合成人間の顔はすっかり青ざめてしまっている。ヘリをそうじゆうしているパイロットが必死で通信しているのが窓越しに見える。上層部と話し合っているのだろう。フォルテッシモはにやにやして、少女にささやきかける。


「で──おまえは何者なんだ。統和機構がまつさつしようとする理由はなんだ?」


 質問されて、そらはまた笑って、


「ふつう逆じゃない? 私が誰かわからないのに、そのために戦うことを決めた後になって、やっと訊くかしら、そういうことを」


 と、ふわふわした口調で言う。フォルテッシモはふと気づいた、という顔になり、


「そういえば──あれか? おまえがエンペロイダーってヤツなのか? すべての世界を征する、領土のいらない皇帝──だったか?」


 と質問した。すると少女は少し暗い顔になって、


「エンペロイダーはきよの王──いまだに実現していない未来のための皇帝。そんなものに振り回されるのはとても──悲しいことだわ」


 と言うと、その表情がみるみるくもっていき、そして──その両眼からぼろぼろと涙を流しはじめた。

 大粒の涙で、ほおがみるみるれていく。


「なんで泣く?」


 そうなフォルテッシモに、彼女は静かな声で、


わいそうな人たち、可哀想な世界──それはいずれ訪れる敗北によって、あらかじめ準備された運命──それがエンペロイダーを巡る、これからの戦い──せんとなって、どうする」


 と告げる。


    *


 ……これは、半年前のことである。

 物語はこの半年後に始まる。それはエンペロイダーと呼ばれる何者かについての物語。それが強者なのか、弱者なのか。勝者なのか、敗者なのか。陽なのか、陰なのか。すべては向かい合わせのかがみのように、どこまでも表裏一体の螺旋の中に溶け込んでいる……。