螺旋のエンペロイダー Spin1.

turn 2."Hunting Unplugged" 第二旋回『アンプラグド狩り』 ③

「僕、か──そうだね。僕はどうなんだろう」


 虚宇介はどこか適当な調子である。楓は少し苛立って、


「あんただって夢はあるんでしょ。こういう風になりたいって目的が。あんたの〈ヴィオランツァ・ドメスティカ〉って変な能力で何をしたいの? そういう願望がなきゃそもそも統和機構なんかに入らないでしょ。NPスクールにだって──」


 と大きな声を出しかけたところで、異変が起こった。

〝うおおっ、なんだこれ……〟

 班ごとにひとつずつ渡されている通信機から、少女の呻き声が聞こえてきた。箕山晶子の声だった。

 今まさに彼女の能力で、喫茶店内部の視界をすべてさえぎらせているところで、その声は聞こえてきた。続いて、

〝あ、晶子が──晶子がおそわれてる!〟

 という悲鳴のような声が響いてきた。同じ班の少女の声だ。

 え──と楓は喫茶店の方に目を戻した。しかしそこは、相変わらず窓の向こう側は墨で塗りつぶしたように真っ黒である。晶子は能力をいていないのか……と思ったとき、虚宇介が、


「いや違う──あれはもう〈クエーサースフィア〉じゃない。相手の〝能力〟だ」


 と言った。


    3.


「──ええいっ!」


 悲鳴は室井梢たちのところにも届いていた。助けに行くべきか? しかし状況がわからない──梢は歯軋りしながら、なおも喫茶店の方では真っ暗なままなので、それをえんする意味も込めて、もう一度〈アロガンス・アロー〉でその室内を攻撃することにした。

 もう手加減はしない。全力の静電気をその室内に起こさせる。身体の弱い者だったらそれだけで心臓を生じさせるレベルの威力だ。

 ばちばちばちっ、という音がはっきりと聞こえた。しかしその音が異様だった。


(音が大きすぎる──反応がげきてきすぎる)


 静電気がスパークする音は、それが何に触れたかによって変化する。感電したその一瞬しか音は出ない。それが大きくて、しかも長く聞こえるということは──連続している?


「くそ──効いているのか?」


 彼女がそう呻いたとき、それが感じられた。

 異臭。

 鼻を突く刺激的でおぞましい苦さの伴う悪臭が突然、風に乗って彼女のところまで押し寄せてきた。


「な──なにこれ?」


 焦げ臭い──だが単に物が焦げているだけではない。その不快さはもっと生理的に絡みついてくるようで──本能が拒絶する臭いだった。

 しかも、その強烈さは単純に、量が多い。いったいこれは──と彼女が混乱しかけたところに、背後から手が伸びてきた。


「──危ない、伏せろっ!」


 日高迅八郎が彼女の服を摑んで、乱暴に引きずり倒した。

 彼女の視線が一瞬でうすぐらい空の方に向いた。赤く染まった夕焼けが目に入る……そこに覆い被さるものがある。

 黒い影が頭上を通過していく──べったりと塗りつぶしたように見えるほどの密度があるが、それはげんえいでもさつかくでもなく、実体だった。

 物質で……生物。

 視界を埋め尽くしてしまうほどのおびただしい数の群れが飛んでいた。

 様々な種類の、それは昆虫だった。

 黒光りするものも羽根からりんぷんき散らすものもあごを持つものもいる。ミリ単位のものもいれば数センチに達するものもいる。この都会の街にこんなにも大量の昆虫がいるということがまず信じられないが、それらはほんの数分の間にここに集結してきていたのだった。


「な……」


 ぜんとする梢に、迅八郎がる。


「能力でガードしろ──こっちに来るぞ!」


 言っている間にも、虫の群が飛行方向を変えて、彼女たちの方にしゆうらいしてくる。


「う、うわわわっ!」


 梢は身体の周囲に静電気をあみのように発して、虫たちを弾き返した。虫は一瞬で黒焦げになり、そのキチン質の体組織が焼け焦げる異臭があたりに充満する。


「な、なによ──なによこれ!」

「こいつが標的の──あの女子高生の能力なんだ。昆虫を操ることができる──しかも、無数に」


 ちら、と迅八郎は虫の群の隙間から下の方を見る。喫茶店はもう黒くない。そこにいた虫の群は外に出てしまったからだ。そしてその玄関を開けて、ゆっくりと外に出てくる者がいる。

 虹上みのりは、相変わらずうっすらと微笑み続けている……。


    *



(そうよ──これが私の〈ミューズ・トゥ・ファラオ〉だ──)


 みのりは喫茶店から街の通りに出ると、特にどこかを目指すでもなく、静かに歩き出す。

 周囲では突如として大量発生した虫に皆が騒いで、逃げまどっている。動画撮影しようとする者もいるが、すぐに虫の大群に取り囲まれて全身に細かい傷を付けられて呼吸困難におちいり悲鳴と共に去って行くしかない。それは奇妙なニュースとしてやがて報道されることになるのだろう。奇妙なこともあるものだ、と簡単に片づけられてしまう、消費されていく出来事のひとつとしてすぐに薄れてしまうのだろう。

 だが今、この場にいる者たちにとっては決定的なしようげきだった。


「────」


 みのりは、自分の前に一人の少女が現れたのを見て、その足を停める。

 風洞楓である。


「やってくれるじゃない、虹上みのり──いきなり攻撃してくるとは、さては……あんた統和機構のことをもうぎつけていたわね?」


 楓のするどい問いかけにも、みのりは薄ら笑いを消さない。楓もその視線を逸らさず、さらに、


「そっちがそのつもりなら、こっちもえんりよはいらないわね──全開で叩き潰してやるから、覚悟しなさい」


 と言った。

 彼女の周囲には、なぜか虫が寄っていかない。その近くまではくるのだが、ある程度接近されると、そこで虫たちは方向感覚を失ったようになって、あらぬところへ行ってしまう。


「音か──」


 みのりがぽつりと呟くと、楓の眉がぴくりと動いた。


(──こえてんの? まさか……)


 風洞楓の能力〈ウィンド・チャイム〉は、様々な音を操ることができるというものである。口を使うのではなく、その細胞がどうして音波を生じさせることができるのだ。

 そして今は、昆虫が嫌う超高周波の音を出し続けている。それは虫の感覚器官にかんしようして、正常な行動を失わせる。だから彼女の近くまで来た虫は、あらぬ方向に飛んでいってしまうのだ。

 その音のせんさいさはきよう的で、人間の耳には聞こえない超音波の領域でも出せる。もちろんそれは楓自身にも聴こえないが、彼女は肌で聴き取ることもできるのである。だから、


(虹上みのりには聴こえるはずがない──推理しただけの話で、しかもその妨害を越えてまで虫をコントロールすることもできないようだ。私の能力はこいつと相性がいい──)


 彼女は、すう、と息を吸った。そして身体から発する音を変化させる。

 超音波を四方八方に撒き散らす。

 それはあちこちに当たって、反響して跳ね返ってきて、そして重なり合う。


(虹上みのりの所で──集束させる!)


 音で攻撃するといっても、それは必ずしも大音響でまくを破壊するといった直接的なものとは限らない。そもそも音とは振動である。そしてありとあらゆる物質は固有振動と重なる音にさらされると、共鳴現象を起こして破壊されるのだ。マジックで手を触れずにコップを割るというものがあるが、それはこの共鳴現象を利用したトリックであることが多い。

 そして楓の〈ウィンド・チャイム〉は、その対象をより柔らかいものに──人間の皮膚組織に適応させることもできるのだ。


(見えない超音波の刃で、切り刻んでやる……!)


 楓の攻撃に気づいているのかいないのか、みのりは彼女のことをまっすぐに見つめてくる。

 そして、その頰にぱっくりと赤いけ目が生じて、血がにじみ出てきた。


(やった、効いてる──)


 と楓が勝利を確信した、そのときだった。みのりはゆっくりと手を伸ばして、頰の傷に触れた。

 それから指先を、楓に向かってかざしてみせる。