ビートのディシプリン SIDE1

第二話「追悼と動揺」 ②

 カンがいい。

 朝子はよく人にこう言われる。

 しかし、朝子にしてみると、それはカンとはちょっと違うような気がするのだ。ぴん、とひらめいたりするわけではなく、他の人が何かやったり言ったりしているのを見て、おや、と思うのである。なにかズレている、と感じるのだ。態度がちぐはぐに見えてしょうがないのである。

 たとえば、喫茶店に友だちと入って、その彼女がメニューを前にあれこれ悩んでいるときに、ふいにその彼女はメニューのある品物のまわりを行ったり来たりしていて他の物を頼む気がないことがわかるのだ。だからチョコレートケーキふたつ、と通りかかったウェイターに自分の分も含めて注文すると、友だちは驚いて、


「──なんで、あたしの食べたいものがわかったの?」


 とか言う。しかし朝子にしてみると、そういうのは歴然としたことにしか思えないのだ。みんな、なんかわざと気がつかないフリしてるんじゃないか、私はガサツにできてるんじゃないのかしら、とか逆に不安になるくらいである。

 他人の思考が前に進まないで引っかかっているのに、すぐに気がつく才能──とでもいうのかしら、と彼女はときどき自分のことを振り返って、思う。

 こういうもののことを何と言ったらよいのか、気が利くとか優しいとか頭がいいとか、そういう普通の言葉ではどうもうまく説明できない感じだ。相手にびっくりされるような、あの状態にはプラス面もマイナス面も同時にある気がする。め言葉だけだと違和感があるのだ。では嫌味ったらしいとか一人合点とか思いやりに欠けるといった悪口ならどうかというと、その方がもっと変だ。別に言われても相手は不愉快には思わず、ただ驚くだけなのだから。「考えを先回りされた」といって怒った人には会ったことがない。きっと相手が怒るようなことには気がつかないのだ。

 なんなんだろう、これ? と朝子は考えるが、元々彼女はそれほどくよくよ悩むのが得意な方ではないので、名前がないなら自分で付けてしまえ、とのことはこういう風に心の中で呼んでいる。


〈モーニング・グローリー〉


 日本語にすると花のアサガオという意味だ。自分の名前の〝朝〟も入っているし、わかるときの感覚が、夜寝た後で起きるとアサガオはいつのまにか咲いている、というあの感覚のようだと思うからである。

 なかなか綺麗なイメージなので、自分でも気に入っている。もっとも、誰にもこのモーニング・グローリーのことを言うつもりはないが。なんとなく──


(そういうことを言い立てる人って、気持ち悪いしね)


 と自分でも思うからだ。

 だが誰にも言わなくても、ときどきこの千絵のようにそれをアテにして話を持ってくる者はいるが。


『朝子ってさ、人を見る目があるじゃない』

「なんか、そういうとちょっと違うと思うけど?」

『いいから、ね、お願いー』


 甘えたように言われるその声には、とても父親が死んで葬式に行くというような重さはない。朝子はちょっとあきれたが、しかし内容にはかなり興味をそそられた。もともと彼女は好奇心がおうせいな方でもあるし。


「まあ、一人じゃ行きにくいっていうのもわかんないでもないけどね」

『でしょでしょ!』


 弾んだ声であいづちを打たれた。結局なし崩しで、朝子は明後日の日曜の、篠北周夫の告別式をこっそりのぞきに行くことになってしまった。


(父親が、人からどう見られているか知りたい、か──)


 朝子はその日の夕食で、一緒の席に着いている父の、浅倉としひこをちょっとしげしげと見てしまう。ごく平凡な顔立ちで、やや瘦せ気味で、眼鏡をかけているこのサラリーマンの父は、もし死んだとしたら他の人はどんな風に見るのだろう。そして自分は──

 そんな風に思っていたら、なんだか妙な落ちつかなさを感じた。


「ん? どうした朝子」


 敏彦はちやわんから顔を上げて、のんな声で娘に尋ねた。


「べ、別に何でもない」


 彼女はあわてて目を逸らした。


「変な子ねえ」


 母親のなつもくすくす笑いながら見つめてきたが、朝子は返事をせずに味噌汁をすすった。自分が千絵のように両親が離婚したりしない、平凡だが穏やかな家庭に生まれたことを密かに感謝しながら。


 ──彼女はこの後、自分が遭遇することになる厳しい試練デイシブリンたる運命のことなど、じんも想像していなかったのである。


    2.


 告別式の日は見事な晴天だった。なんとなく黒っぽい服を着て、朝子は千絵と一緒にその葬儀が行われている寺に出かけていった。

 寺は半分山に埋もれているような場所に立っており、木の陰に隠れれば境内まで丸見えにすることができた。千絵と朝子はこそこそと、そこだけ見るとかくれんぼのような行動をとりつつ、しようこうに来る客たちの顔を観察した。


「オジサンばっか──」

「そりゃあ、仕事関係の人が多いでしょうからね──あ、でも、ほらあの人なんか」


 と朝子が指差したのは、なにやらエリートっぽい若くてすらりとした若いサラリーマンだ。


「あれがどうかしたの」

「眼鏡がずれてる。でもそれに気づかないで一生懸命おがんでるじゃん。ああいうカッコ付けてる人がさ、人に注目されるお焼香んときに眼鏡が思いっきりズレてるってことは、つまり本気で悲しんでるとか残念がってるってことよ」

「……そう言われると」

「それにほら、あの人も」

「あのえないおじさん?」

「座ったまんま立たないでしょう。着ているふくはかなり上等っぽいけど、それにほこりが付くことにもかまわず、公然と脱力しているじゃない」

「疲れてんじゃないの」

「がっくり来てるのよ。つまり、あんたの親父さん、仕事の上では結構存在感があったって言うか、いなくなっちゃったらなんだか張り合いというか、支えというか、そういうものをなくしちゃったりする人が割といるってことだと思うわ」

「…………」

「ただの仕事の鬼だったら、みんなも仕事で拝むだけでしょ。そういう感じでもないんじゃないかな、このお葬式は」

「……そう、なのかな」


 千絵は小刻みにうなずくような動作を続けている。


「そうよ。自分だけよけりゃいい、って人だったら誰も──」


 と言いかけて、朝子は、


(──あれ?)


 彼女はそのちようもん客の中に変わった顔があるのを発見した。

 褐色の、ややオレンジがかった肌の少年が一人、サラリーマン風の人間たちに混じっていた。

 場に不似合いなスタイルの癖に、その表情は他の誰よりもげんしゆくで、死者のことに敬意を払っている──そんな風に見えた。

 しかし、気になったのはそんなことではなかった。彼女はその男の子を知っていた。

 いや、正確に言うならば知っているような、いないような──顔写真だけは見たことがあるが、その正体は知らない。


(あれは──〝世良稔〟じゃないの? うちのクラスの、名簿には載っているけど一度も登校してこない──)



 朝子がその情報を知ったのは偶然だった。

 クラス委員長である彼女が、日誌を持って職員室に行くと、たまたま教師全員が外に出ていて誰もいなかったことがあった。

 彼女は担任教師の机の上に日誌を置こうとして、そこのデスクトップコンピュータの電源が入ったままになっているのを見た。


「…………」


 彼女は、前々から気になっていたことがあった。

 彼女のクラスにいるはずの生徒〝世良稔〟のことを。

 他の誰も、彼のことを知らないといい、先生も「あんまり他人のことにくちばしを突っ込むものじゃない」といって何も教えてくれない、あの謎の生徒のことがほんとうに気になっていたのだ。


(い、今なら──もしかして)


 誰もいないのを改めて確認すると、教師の机の上のコンピュータを操作して〝世良稔〟を検索した。

 答えはすぐに出た。

 写真が添付されていた。やや日焼けしたような、それとも地の色か、オレンジ気味の肌をした、日本人だか何人だかよくわからない顔立ちの少年だった。


(このひとが──世良くん?)


 出身中学は聞いたことのない名前で、遠くから来たらしい。