ビートのディシプリン SIDE1

第二話「追悼と動揺」 ①

    1.


〝おい──あいつはなんだよ?〟

〝知らないよ。朝来たときにはもうあそこに座ってたんだよ〟

〝おまえ、声掛けてみろよ〟

〝嫌だよ。なんかトラブルになったらどうするんだよ〟

〝なんか変なけ方してる。外国にでも行ってたのかしら?〟

〝なんか怖いわ〟

〝でも、ちょっとかっこいいかも〟

 朝のクラスは奇妙なざわめきで満ちていた。

 それまでずっと空席であったはずの、教室の端の席にひとりの少年が座っているのだ。

 当然のような顔をして、脚を机の上に載せて後ろにふんぞり返っている。


「…………」


 一応、制服の学ランを着ているが、どう見てもおろしたての新品で、まるで新入生のようだが、ボタンを一つもはめていない。褐色の肌をしているが、日焼けサロンで灼いたような綺麗な色でなく、妙にオレンジがかっていて日本人のそれとは微妙に異なるイメージがある。


「…………」


 席に着いてからずっと眼を閉じていて、他の誰とも口を利かない。

 その彼を、クラス中の者たちが男女問わずこそこそと横目で見ていた。


「──ねえあさ、あの子さあ、転校生かな。それともあいつが例の〝世良稔〟かな?」


 言われて、クラス委員のあさくら朝子はちょっとどぎまぎしながら、


「さ、さあね。わかんないわ」


 と言った。ごまかしているのがバレないかしら、と不安だったが、話しかけてきた相手は朝子のそんな細かい表情には気にも留めず、


「でもきっとそうよね。入学してから半年近くも一日も出席してこなかったのに、今頃になって出てきて大丈夫なのかしら? 出席日数はどう考えても足りないわよねえ」


 彼らの通っているこの私立おぎ高等学校は、決してレベルの低い学校ではない。むしろその逆だった。成績不良者は、場合によっては他の学校への転校を勧められることもあるほどなのだ。逆によその公立校などから、そこのトップの生徒が編入してくることもある。

 しかし、あの寝ている男子はとてもその手のクチには見えない。


「そ、そうね。追試でも受けたんじゃないかしら」

「いつそんなのやったのかしら? 先生は昨日まで何も言ってなかったわよね」


 ひそひそ話しながら、クラスの者たちはその問題の〝世良稔〟を観察していた。


「────」


 その様子を、その言われている本人は我関せずといった態度で無視している──ように見える。

 しかしもちろん、そう見えるだけだ。

 世良稔こと合成人間ピート・ビートは内心では腐りきっていた。


(くそ──なんだって俺が今さら、こんないまいましい学校なんぞに来なきやならんのだ──本来の任務である〝カーメン〟の手掛かりすら摑めてねーってのに……)


 ビートは学校が嫌いだ。

 数年前、カモフラージュ用にと中学校に通っていたことがあるが──どうにも息が詰まるのだ。教室に充満しているあの、妙に抑圧的な癖にだらけてもいて、それでいて中途半端に緊張感もあるあの鼓動がとにかく嫌いなのである。だから仮の身分で学生ということになっていても、これまで学校に近寄ったことすらなかった。統和機構の任務に集中していたといえば聞こえはいいが、要するにサボっていたのである。


(──まったく、なんてこった)


 生体鼓動レーダーである〈NSU〉の能力で、たとえ眼を閉じていてもクラスの連中が自分に視線を向けているのは嫌でもわかる。

 それが彼の能力だ。

 たとえ戦闘的でなくとも、彼にとっては厳しい修練を積んでけんさんし、生命を預けるに足るだけの自信と信頼を築き上げている能力なのだ。

 だが──


(くそっ──)


 彼は心の中で毒づきながら、薄目を開けてこっそりと〝彼女〟の方を見る。

 クラス委員の〝浅倉朝子〟の方を。

 彼女は彼と一瞬だけ目を合わせると、あわてて逸らした。

〝わかってるわかってる。内緒なのよね〟

 とでも言いたげな、わざとらしい動作である。ビートはうんざりした。

 しかし、彼にはあの少女の鼓動だけが何故か、はっきりと捉えられないのだ。

 他の人間ならば明瞭に把握できる生体鼓動なのに、彼女のそれだけは何故か曇りガラス越しのようにぼんやりとしたものとしか感じ取れない。

 能力の〝盲点〟がそこに、平気な顔をして笑っているのだった。能力で感じられない者がいる──これはをすれば生命に関わることである。

 しかしその相手は別に、どうってことのないただの女子高生なのである。


(こいつは一体どういうことなんだ……?)


 ビートは混乱の極みにあった。

 そもそもの始まりは、あの葬式のときのことだった──あんなところにこの女が来なかったら、会うこともなかったのだが……。


 一方の、その少女の方はそんな彼の心のことなど知る由もなく、ついくすくすと笑ってしまいそうになる衝動をこらえていた。


(ほんとに不思議なこともあるものよね──私があんなところに行かなかったら、彼とあんな風に接触することもなかったんだものね──)



    *


 朝子は数日前、中学時代の友人だったから電話をもらった。


『親父が死んだの』


 千絵は開口一番にそう言った。


「──そ、それは……えーと」


 朝子は何と言って返事をすればよいのかわからなくなった。


「お、お気の毒──ね?」


 大人ならこういうとき、無難な返事の仕方があるのだろうが、まだ高校生の朝子にそんな儀礼的な言葉がすらすら出てくるはずもない。人の死というのは大事で、まだ彼女にはそういうことへの対処法は身についていない。


『うん、ごしゆうしようさまってヤツよ、いわゆる』


 千絵の方も投げやりに言った。あんまり悲しくなさそうである。


「あれ、そういえばたしか千絵、あんたんってその──離婚してなかったっけ? あんたはお母さんの方で。名字も変わったって」

『うん、そう。今はみやはらだけど昔は篠北。だからさ、もう五年くらい会ってなかったんだよね、実際。六年だっけかな?』


 けろりとした口調で千絵は言う。


『はっきり言ってあんまし好きな親父でもなかったしさ。小さい頃だって仕事ばっかりでほとんど一緒にいなかったし』

「ふうん」

『でさ、その親父が死んだの』

「うん」

『だからさ、あのさ、その』


 千絵はなんだかもじもじしている。


「なによ、どうしたの?」

『そのさ、朝子さあ──一緒に葬式行ってくんないかな?』

「え?」


 朝子の眼が点になった。

 回りくどくていまいち要領を得ない千絵の話をおおざつにまとめると、こういうことになるらしい。

 千絵の父親の篠北という人が死んで、死因が飛び降り自殺なのか転落事故だかよくわからない死に方で、死んだ後でバタバタして、でも死んだのでその人が掛けていた生命保険やら遺書やらが明らかになって、それが──


『あたしと、母さんに』


 すでに他人になっていたはずの者たちに多額の資産をのこしたいというものだった──というのだ。

 当然、保険会社やら警察やらが千絵の家に押し掛けてきてあれこれ訊いてきた。しかしそんなことを言われても二人は何も知らない。怪しいところはないというのですぐに疑いも晴れ、ただ父親が娘に遺産をのこそうという意思だろう、ということになった──が。


『そんなこと言われても、あたしは全然スッキリしなくてさ』


 そういう父親ではなかったはずだ──というのが千絵の印象なのだ。

 だから母親には「お金はありがたくいただくけれども、もうあの人に関わるのはやめましょう」と言われているのだが、それでもどういう人たちが父親の近くにいたのか、蔭からこっそりと見たいので、


『だから、一緒に葬式に行ってくれないかな』

「娘なんでしょう? 堂々と行けないの?」


 というよりも、朝子としてはなんで、今の学校の友人ではなく、昔の馴染みである自分を選んだのか、そっちの方がわからないのだが。


『いや、なんかさ──あるでしょう? 後ろめたいっつーかさあ。それにさ、あたしじゃやっぱりわかんないのよ。朝子に見てほしいのよ』

「何を? その葬式に来る人を? なんで?」

『だって、朝子ってカンがいいじゃない』

「別に、カンって訳でもないんだけど──」