アスラクライン

二章 ③

 いかにもすごい偶然みたいな調ちようで杏は言うが、彼女と僕は芸術などのせんたく科目がまったく同じなので、一緒のクラスになるのもイカサマばくぐらいの必然でしかない。


「なんか元気ないねえ?」


 リアクションのうすい僕の顔を、杏が不満そうにのぞきこむ。


「寝不足なんだよ。杏は元気だな」

「べつに普通だけど。寝不足ってどうしてっ? やっぱりなんか出たの、あのおしき?」


 しょせんごとだと思って、ものすごくうれしそうな顔で杏がいてくる。しかし彼女も、まさか僕が本当に、なぞの巫女もどき女に殺されかけたとはそうぞうしていまい。

 あまりにもこうとうけいな出来事だったので、実はけいさつにもまだ届けていないのだ。被害らしい被害といえるのは窓ガラスが一枚きりで、なにもられていなかったということもあるのだが。


「じゃあ、友達を待たせてるから行くねっ。またあとで教室で」


 杏は一方的にそうげると、再び校舎へとけ戻っていった。


可愛かわいいね、杏ちゃん』


 操緒が微笑しながら言う。たしかにひとなつこい小動物みたいではある。

 らくこうの特徴といえば植木だの芝生しばふだののみどりがやたらに多いことで、新入生の僕には、校舎の位置かんけいが今ひとつわかりづらい。本当なら、校内のどこかに張りだされているというクラス分けの表をかくにんしておきたかったのだが、登校してくる新入生や父兄の集団にまぎれているうちに、いつの間にか昇降口までたどり着いていた。

 仕方なくもそもそとくつき替えていると、はいからいきなり首を絞められた。


!」


 ぐちだった。だまっていればそれなりにハンサムな顔に品のないニヤニヤ笑いを浮かべ、


「喜べ。また同じクラスだ」


 もちろんこの男もせんたく科目が同じである。二人してなるべく楽そうな科目をえらんでいったら、完全にかぶってしまったのだ。


えきたかつきもいるぞ。あとおおはらのやつも」

「え……だれ?」


 僕はこんわくしてき返した。あんいつしよなのはわかっているが。


「佐伯れいだよ。中二のときに同じクラスだったろ。去年、文化祭のミスコンでゆうしようした──」


 知っている。樋口が過去に三回ぐらいアタックして、まったく相手にされなかった子だ。


「そうじゃなくて、もう一人の」

「ああ、嵩月か。きたちゆう出身のやつだよ。嵩月かなで。こいつもすげぇ美人だぞ」

「……なんで北中の子を知ってるのさ?」


 僕が訊くと、樋口は自慢げにくちびるり上げ、


「情報網があるんだよ」

「ああ。写真部の……」

「おう」


 なつとくがいった。

 オカルト以外の樋口のゆいいつしゆは写真さつえいで、将来はプロのカメラマンになるとごうしている。たまに写真雑誌のコンテストにもにゆうせんしているので、それなりに実力もあるのだろう。

 意外なことに樋口がるのは主に都市のけいかんなどで、女の子の写真は撮らない。樋口なりに、そのあたりはこだわりがあるらしい。しかし樋口の写真仲間には、女の子のかくし撮りを専門にしているやつらもいて、ざいの貸し借りなどでそういう連中とも付き合いがあるという。


「でな──見ろよ。とっておきの情報だぜ」


 そう言って、樋口は制服の内ポケットから一枚の写真を取りだした。

 下校途中らしい女子高生が映っている。背景に映っているのはバス停だろう。季節はたぶん去年の秋ごろ。被写体の少女はらく高校の制服を着ている。


──この人!』


 写真をのぞきこんでいたみさが、声を高くして叫んだ。


「あ!」


 僕もおどろいた。少女の顔に見覚えがある。



 モデルみたいな長身。肩のあたりでいさぎよく切り落とした黒髪。ととのったシャープな目鼻立ち。

 昨夜ゆうべ、僕にトランクを持ってきた黒ずくめのお姉さんだ。眼鏡めがねはかけていないが、間違いない。


「あんだけの美人だからな。いたら絶対に知ってるヤツがいると思ったんだよ。調しらべてみて正解だっただろ」


 ぐちが偉そうに胸を張る。しかしるだけのことはあった。たしかにすごい情報だ。もう二度と会えないかもしれないと思っていたのに。


「うちの学校の人だったんだ……まだいるのかな?」

「ああ。去年の新入生だっていうから、一コ上だな。今は二年にいるはずだ」

『……高校生だったんだね』


 みさが驚いたように言う。昨日きのう会ったときは、もっと大人おとなびて見えたのに。しかしこうして制服を着ていると、ちゃんと高校生に見えるからだ。


「名前はくろさきしゆ。家はあやしまのほうらしい。それ以上のことはよくわからんかった。悪いな」

「いや。すごいよ樋口」


 僕は素直に礼を言った。

 これは大きな手掛かりだ。いつになるかわからない兄の連絡を待つよりは、彼女に直接会ったほうが、間違いなく有益な情報が手に入る。あのぎんいろのトランクの中身や、兄貴と彼女のかんけい。それに操緒のこと。もし本当に彼女にも操緒が見えるのなら、訊きたいことがたくさんある。


「入学式が終わったら、二年の教室を回ってみようぜ。おまえなら話しかけても不自然じゃないだろ。あんな美人とお近づきになるチャンスはそうそうないからな」


 ぐちくさった顔で言う。


「え? 樋口も来るの?」

「あたりまえだ。なんのためにわざわざ写真までもらってきたと思ってるんだよ!?」


 なんだ。結局それが目的か、とは思ったが、まあいいだろう。樋口がめずらしく役に立った事実に変わりはない。

 その樋口が、ふと真面目な表情を浮かべて小声でささやいた。


「あとな、。気をつけろ」

「え?」


 意味がわからない。


「気をつけるって、なにに?」

「わからん」


 樋口も首を振る。そして僕の手から、すっと写真を奪い返しながら彼は続けた。


「この写真をくれたやつに、そう忠告されたんだよ。気をつけろ。深入りするなってな」


 はあ。

 なんだそりゃ。

 僕はみさと顔を見合わせ、二人で首をかしげる。

 写真の中のくろさきしゆは、なにも答えず、僕たちを優雅な微笑みで見つめている。


    *


 えある高校の入学式を、僕はほとんど寝て過ごした。だんじようから、ごっつい顔の女性教師が睨んでいるのは気になったが、なにしろ眠い。ものおそわれた直後にじゆくすいできるほどの図太い神経の持ち合わせはなかったので、はあれから寝ていないのだ。

 操緒もやはり寝不足だったのか、校長の退屈な訓辞が始まると同時に姿を消して昼寝を始めてしまった。ゆうれいのくせに寝不足というのも考えてみれば奇妙な話だが。しかしちょっとうらやましい。

 校長と理事長とPTA役員と地元のいんとあと何人かの知らないおっさんの長いあいさつが終わっても、僕はまだ寝ぼけていた。ちゆう、生徒会長と名乗る人間が三人くらい出てきたような気がしたが、夢を見ていたのかもしれない。

 さすがにミッション系の学校だけあって、入学式の途中でさんが流れたりする。小学生のころにお呼ばれしたしんせきの結婚式みたいだと思う。賛美歌を歌っている聖歌隊の上級生は、なかなかの美人ぞろいだったが、その中に黒崎朱浬はいなかった。

 入学式が終わって、生徒たちはぞろぞろと教室に移動する。

 そのちゆうぐちがトイレに行こうと言いだした。