好きだった子をメイドにしたら、俺の部屋でこっそりナニかしている

2 メイドさんがいる生活

「ただいま」

「お帰りなさい、ご主人様」


 玄関の重たいドアを開けると、そこにメイドがいた。

 そう、正真正銘のメイドだ――


「ご主人様はやめろって言ってるだろ」

「そうだったわ。この服を着ると、つい。清宮くん、今日はゆっくりだったのね」

「ちょっと道草食ってただけだ」

「道草を食うとは古風な言い回しね。千年の名家のお坊ちゃんは言葉遣いも違うの?」

「さあ、意識したことはないな」


 そう言う彼女のほうも「わよ」「だわ」口調で、古めかしい。

 本人のクセらしいし、ツッコミを入れるほどのことでもないが。

 俺は玄関で靴を脱いでスリッパに履き替える。

 我が家は“清宮家旧邸”――

 いかめしい名前に負けず、風格のある西洋風のお屋敷だ。

 百二十年ほども前に建てられた屋敷で、外観はほとんど当時のままだ。

 何度か改築や補修が行われ、内部もリフォームされていて冷暖房は完備しているし、キッチンや風呂、トイレなどは現代的になっている。


「こんな古臭いお屋敷で暮してたら、余計に浮き世離れしそうだな、俺」

「いいのよ、清宮くんは浮き世のことなんて知らなくても。世事は私に任せてくれたら」

「世事……」


 それも、日常生活ではまず使わない言葉だ。

 古風な屋敷で暮していると、みんな古語使いになっていくのか?


「というか、そっちこそ帰りが早すぎないか?」

「世事担当の私は道草食わずに帰ってやることがあるのよ」


 そんな会話を交わしつつ、俺たちは長い廊下を歩いて、リビングに入った。

 面倒くさいんだよな、このデカい屋敷で二階の俺の部屋まで行くのって。

 いや、そんな話はいいとして――


「氷坂、何度も言ってるが――即帰宅して、メイド服着て働く必要なんかないんだよ」


 そう、我が家でメイド服を着てお迎えしてくれたのは氷坂清耶香。

 俺のクラスメイトであり、隣の席の女子であり、学校で唯一の特待生であり、有名な美人であり、そして――

 この清宮家旧邸のメイド(仮)だ。

 氷坂清耶香は黒い膝丈のワンピースに白いエプロン、白のカチューシャを付けたメイド服姿だ。

 スカート丈がやや短いことを除けば、クラシックなメイドスタイルと言っていいだろう。

 見た目だけは完璧なメイド――

 もっとも、この別邸の主である俺は氷坂を“居候”と認識しているんだけどな。


「メイド服は重要よ。人は見た目で判断するのだから」

「…………っ」


 清耶香は、くるっと回って膝丈のスカートがふわりとめくれ、白い太ももが一瞬見えた。

 メイド服より、脚のほうに目がいっちゃうだろ。


「あのな、俺は見た目は気にしないぞ。もっと楽な服装でいい」


 美人にメイド服姿でいられると、こっちがいろんな意味で困る。


「私は“仮採用”でしょう? やる気があるところを見せて本採用してもらわないと」

「いや、俺、メイドとかいらんし」

「それを言ったらおしまいだわ」

「なんも終わらねぇよ。ここが洋館だからってメイドがいる必要はないってだけの話だよ」


 俺はソファに座る。家具も年季が入っているが、品質はどれも最高級品だ。

 一度、氷坂がリビングから出て、十分ほどで戻ってくる。


「はい、紅茶。飲みなさい」

「あなたは本当にメイドですか?」


 思わずこっちが敬語になるような言い草だ。

 ソファに座る俺の前にはごつい大理石のテーブルがあり、そこに紅茶のカップが置かれた。


「これがメイドの本分よ。メイドたる者、紅茶を淹れるのが仕事みたいなところがあるわ」

「そうかな……?」


 メイドの必要性はともかく、紅茶を淹れるだけで済むならずいぶん楽な仕事だ。

 そんなことを思いつつ、ずずっと紅茶をすする。


「うーん……普通だな」

「忌憚のない感想をありがとう」

「お世辞を言っても仕方ないだろ。茶葉は高級品なんだけどな。百点の茶葉が五十五点くらいになってる」

「忌憚のない感想が、ただの悪口になってきたわ」


 じろり、と氷坂が睨んでくる。

 メイドを自称していても、学校での態度とあまり変わらない。

 制服を着ているかメイド服を着ているかの違いだけだ。

 学校ではかけている黒縁眼鏡を外し、ストレートの髪を二つ結びにしているところも違いといえば違いか。

 あとは、たまにふざけて“ご主人様呼び”をしてくる。

 これはやめてほしい。思わず良い気分になってしまいそうだから。


「まあ、ゆっくりお茶を飲んでおいて。私は掃除に戻るわ」

「待った待った、そこだよ」

「どこ?」


 氷坂が、くいっと首を傾げる。

 クールで大人びた美少女なのだが、たまにひどく幼く見える仕草をするのは反則だ。


「ちょっと話がある。氷坂も座ってくれ」

「メイドが主の前で座るわけにはいかないでしょう」

「仮採用だからいいんだよ。いいから、座ってくれ。一人だけ立っていられると話しにくい」

「仕方ない人ね……」


 氷坂は渋々といった様子で、L字に置かれたソファの隅に腰を下ろした。俺が悪いの?


「あのな、氷坂。マジでメイドとして働く必要はないんだ」

「私はこのお屋敷でタダ飯を食べるつもりはないの」

「…………」


 氷坂清耶香――このクラスメイトが俺の屋敷に現れたのは、ほんの数日前だ。

 そもそも俺がこの旧邸に引っ越してきてから、まだ二週間も経っていない。

 高等部への進学を機に、俺は生まれたときから暮らしてきた“清宮家本邸”から引っ越してきたのだ。

 清宮家に伝わる“ならわし”の一つで、清宮家の男子は一度は必ず家族のもとを離れ、別の家で暮らすことになっている。

 自立心を育てるとか、家を離れて自由に生活するとか、そんな意味があるのだろう。

 ならわしと言われると、俺も逆らう理由が見つけられない。

 それにちょうどよかったとも言える――俺は実家を出たいくらいだったので。


「俺はタダ飯食いまくってるけどな。家を出たっていっても、しっかり生活費もお小遣いもいただいて、甘やかされてる」

「それに加えて、親の目がないところで伸び伸び暮らしてるのだから、他のお坊ちゃんたちより甘やかされているくらいね」

「なんて手厳しい。だからな、その上メイドまで住み込ませて、ダラけた生活をするわけにはいかないんだよ」

「別に、ダラけさせてあげるなんて言ってないわ」

「あれ?」

「メイドとして料理掃除洗濯をするというだけ。好き嫌いやお残しは許さないし、部屋を散らかしたら叱るし、服をドロドロに汚していたら夕食を抜きにするわ」

「おまえは俺の母親か!」


 この歳になって、服をどろんこにするのはワンパクが過ぎるだろ。


「じゃあ、真面目な話をしましょう」

「ん?」


 俺は今の今まで、真面目な話をしてたんだが?


「清宮くんはこのお屋敷をちゃんと見てないわ。だから、メイドがいらないなんて楽観的なことが言えるのよ」

「この屋敷が広すぎるから、使用人がいないと維持できないって話か?」

「…………」


 氷坂が、その大きな目をさらに見開き、自分の両頬に手を当てた。


「これ、あなたが意外に察しがよくて驚愕しているメイドの顔よ」

「さてはおまえ、俺を馬鹿にしてるな?」

「とんでもないわ。私としては、雇い主が有能であれば嬉しいんだから」

「あのな、俺は雇い主じゃないし、雇い主になるつもりもないんだよ」


 馬鹿にされるのはいいが、雇用を期待されるのは困る。


「でも、人を雇わないと、この広すぎるお屋敷はどうにもならないわ」

「…………」

「旧邸にいるのは、私と清宮くん、私とあなたの二人だけ。二人きりよ」

「そこ、強調するのやめてもらえるか?」


 屋敷が広すぎるせいか、たまに忘れそうになるが、俺と氷坂は二人きりで暮らしている。

 同い年の男女が、一つ屋根の下だ。

 同棲と言われても否定しづらい。


「一階はリビングに応接間、キッチン、談話室に遊戯室、書斎、書庫、二階に寝室が六部屋。トイレは四つ、お風呂は三つ。地下にも部屋が三つ。さらに増築部分に使用人の寝室が五つ、十人は寝泊まりできるようになってるわ」

「俺、そこまで把握してなかったぞ」


 氷坂が言うとおり、この屋敷は広すぎる。

 正直なところ、全容を把握するのはあきらめてた――というか、知らなくても生活できるので気にしていなかった。


「私は毎日屋敷を一通り回ってるわ。清宮くんの部屋だけはきっちりロックされてるけど」

「……悪いな。本邸にいた頃から、自分の部屋は施錠するように教育されてるんで」

「わかってるわ。お互いのプライバシーは尊重するべきね。針金では開けられなかったのよ」

「なにをした!?」


 いくらこの屋敷が古くても、素人がピッキングして開けられる鍵などないはず。

 むしろ、ここの鍵は凝ったつくりで、合鍵も簡単につくれるシロモノじゃないと聞いた。


「冗談よ。話を戻すけれど、この広い屋敷を清宮くん一人で維持するのは不可能でしょう?」「……自分が生活する空間だけ維持するのは難しくない」

「そうね、清宮くん、私が来るまではこのリビングで生活してたものね」

「うっ」


 そのとおり、二階にある寝室を使うのも面倒で、このリビングのテーブルでメシを食い、時には宿題をこなし、服を床に放り出し、ソファで寝起きしてた。

 リビングだけで軽く二十畳以上の広さがある。

 男子高校生一人が生活するには充分だし、ふかふかのソファでの眠りも安らかだった。

 この部屋だけ最低限の掃除をしていればいいのだから、むしろ合理的な生活だったと言っていいだろう。


「合理的な生活だった、とか思ってるんでしょう?」

「ううっ!?」


 なんて鋭いんだ。

 俺もメイドの察しのよさに驚く顔をするべきか?


「このお屋敷で一人で暮らすっていうのは、疑似ワンルームで生活しろってことじゃないでしょう。清宮家の“ならわし”はこんな生活を許すの? 使用人を上手く使いこなして、屋敷での貴族らしい振る舞いを学べという試練ではないの?」

「うううっ! な、なんで氷坂が清宮のならわしを気にするんだよ?」

「私が忠誠を尽くす相手には、立派な人間でいてほしいからよ」


 氷坂はソファから立ち上がり、俺の前まで歩いてきた。

 ソファに座ったままの俺とテーブルの間に立ち、氷坂の脚と俺の脚がくっついている。


「まずは呼び方からね。清耶香、よ。私はメイドなのだから、名前で呼び捨てにして」

「いや、待て待て。メイドじゃないって言ってるだろ。それに、俺のことだから家で名前で呼んでたら学校でも同じ呼び方しちゃうぞ」

「別にかまわないわ。名前呼びされても減るものじゃないから」

「そ、それはそうだが……」


 俺の知る限り、総秀館の生徒で彼女を名前で呼び捨てている生徒は一人もいない。

 氷坂は特待生で学年首席、この独特なキャラクターのせいで学校では浮いているからだ。


「私は、清宮くんのメイドになりたいの。だから、まずは清耶香」

「それは氷坂の願望で、俺が叶える理由は――って、おい、近い!」


 俺のすぐ前に立つ氷坂が屈み、ぐいっと身を乗り出してくる。

 この氷坂清耶香、全体は華奢すぎるくらいなのにメイド服の胸元は大きく盛り上がっている。

 そんなに近づくと、しかも一気に身を乗り出すと、たゆっと揺れる胸が間近に見えてヤバイ。


「清宮くん、この屋敷の主ならメイドの一人くらいは使うべきよ。だから、私を使って」

「つ、使えって、人をモノみたいにはできんだろ」

「モノみたいに扱えとは言ってないわよ。ただ、メイドとして雇ってくれるなら」


 氷坂は俺の肩に片手を置き、さらに身を乗り出してまた耳元に囁いてきた。


「学校では私たちの関係は秘密。でも、こっそり命じてくれたら言うことを聞くわ」


「…………」


 屋敷だけでなく、学校でも俺の言うことを聞くだと?

 一日中、わけもなく体操着姿で隣の席に居続けさせることすら可能なのか?


「……なにを考えてるの?」

「な、なにも。俺は人に命令するようなタイプじゃないんだよ」

「どうかしら。なにか胸に秘めた欲望はありそうだけれど?」


 こいつ、異様にカンが鋭い……。


「でも、清宮くん。せめて、名前呼びくらいは受け入れて。受け入れて。受け入れるのよ」

「わ、わかった、わかった。わかったから、ちょっと離れてくれ! その――さ、清耶香!」

「わかりました、ご主人様」


 清耶香はうっすら笑って、俺から少しだけ離れてくれた。

 ふぅ、マジで心臓に悪かった……。


「まずは、第一歩ね。私、清耶香は必ず――あなたのメイドになってみせるわ」

「おまえの情熱はどこから来るんだ?」


 ミステリーの探偵の情熱にもの申していたが、おまえのほうがよっぽど不思議だよ。

 氷坂清耶香。クラスメイトにして、メイド志願の――宿無し少女。

 このメイド服の少女は、もし清宮家旧邸を追い出されたらどこにも行く当てがないらしい。

 居候ではなく、メイドとして居場所を得ようとしているのなら、氷坂が――清耶香がここまで必死になるのもわかるんだが。

 ただ、本当に行く当てがないのか?

 清宮家旧邸に居着きたいとしても、メイドになる以外に方法はないのか。

 俺は、清耶香への疑いをいくつも持っている。

 端的に言うと――清耶香は怪しい。