青春2周目の俺がやり直す、ぼっちな彼女との陽キャな夏

プロローグ

 ❁❁


 雨がザーザーと音を立てて降っていた。

 視界が白く濁り、七月の蒸し暑い空気の中、細かい糸のような水滴が傘を差していてもまとわりつくように服に張り付いてきて鬱陶しい。


「ねえ、もう一軒行こうよー」


 隣でもたれかかるように腕をからめていた女性が、びるようにそう口にした。


「ほら、あそこのバーとかよくない? 髪がれてイヤだから早くどっか入りたい」

「……」

「あっちのカラオケでもいいよ? あ、もしキミさえよかったらホテルでも……」

「……悪い、帰ってくれ」

「え?」

「……今日はもうこれ以上飲む気がしない。帰ってくれ」

「えー、いいじゃん。まだ一時だよ? 夜はこれからだって」

「……」

「え、ホントに帰るの? マジで?」

「……」

「はー、なにそれつまんなーい。顔はめっちゃ好みだったからここまで来たのに、最悪。もう見かけても相手してやんないからね」


 そう文句を言いながら女は帰っていった。

 その後ろ姿をいちべつして、俺は地面を蹴った。

 何もかもが空っぽだった。

 あちこちでまぶしいくらいに自己主張をするネオンも、目に映る土砂降りの景色も、今さっきまで隣で笑っていた名前もよく知らない女性も。

 だけど一番空っぽなのは自分自身か。

 ふらついた身体からだをガードレールで支えながら、裏道をフラフラと歩いていく。

 どうしてこうなってしまったのだろう。

 はたから見れば順風満帆で、思い通りの人生に見えるかもしれない。

 華やかで、キラキラとしていて、生活に困ることはなくて……

 だけど俺の心の中には、どうしたって埋めることのできない暗い穴が存在していた。

 その穴は年々大きくなって、俺自身を飲みこもうとしている。

 

 どうしてこうなってしまったのだろう。

 アルコールでもうろうとした頭で再び考える。


「……」


 そんなもの、考えるまでもなかった。

 答えは……一つだ。

 あの夏の……十年前の夏に起こったあの出来事が、その後の俺の人生を決定的に変えてしまったのだという確信があった。

 今思い返してもわからない。

 どうして彼女はあの時、あんなことをしたのか。

 そのまま、消えることのない疑問を残したまま、俺の前からいなくなってしまったのか……

 そんなこと、この十年の間に何度自問したことか。

 あの時も、今も、彼女の行動の真意は何一つわからないままだ。


「……」


 もしも十年前に戻ることができたら……

 そんな柄にもないようなことを考えてしまったのは、今日がまさに決して忘れることができないその日だったからかもしれない。

 その時だった。

 ふいに目の前が真っ白になった。

 続いて響くみみざわりなクラクション。

 地面をこするような音が迫ってくるのと同時に、衝撃が全身を走った。


「……!」


 回る視界。

 世界が何回転かした後に、仰向けの状態で止まった。

 身体からだの激しい痛みとともに、後頭部に触れている冷たい感触がアスファルトだということを遅ればせながら意識する。

 かれたのだ……と気づいた。

 車のドアが開く音がして、人の気配が頭上に近づいてきた。


「や、やっちまった……」とか「こ、こいつがいきなり飛び出してくるから……」とか「え、こ、こいつ、もしかして俳優のふじ……?」などの声が聞こえていたような気がしたが、こっちとしては全身の痛みでそれどころじゃなかった。

 やがて男は何やらわめいた後に、そのまま車に乗って走り去っていってしまった。

 どうやら助ける気はないらしい。


「……」


 それでもいいと思った。

 こんなむなしいだけの人生、ここで終わってしまっても本気で構わないと、薄れゆく意識の中でそう思った。

 ただかなうなら、もう一度だけ……


「……」


 はたしてその願いが届いたのかはわからない。

 ジャリ……


「え……?」


 足音が聞こえた。

 幻覚かと思った。

 今わのきわに、気まぐれな神様が見せた幸せな夢なのかと。

 だけど……そんなはずはない。

 間違えるはずがない。

 

 俺が彼女の顔を、幻覚とか、そんな安っぽいものと取り違えるわけがない。

 たとえ最後に会ったあの日から十年がっていても、絶対に。


「……」


 かたわらでしゃがむ気配を感じた。

 そっと顔が近づいてくる。

 ふとこうをくすぐったのは、あの時と同じひどく甘ったるい向日葵ひまわりの香り。

 唇に、冷たい感触。

 それがキスだということに気づくのとほぼ同時に、目の前が真っ暗になっていく。

 意識が途切れる前に最後に見たのは、どこかさみしげな彼女の笑顔。

 ……