30ページでループする。そして君を死の運命から救う。

序章 ①

 SOSだと思った。

 ハッとして俺は足を止め振り返る。せみけんそうき消されそうになったが、耳はそれを聞き逃さなかった。

 名古屋の公園通りにけられたアーチ橋。そこからだ、と足先を一八〇度変えて急ぐ。真夏の太陽にかれた橋の階段を駆け足で上っていく。するとせみの鳴き声より泣き声のほうが大きくなる。おそらく橋の半ばほどのところに居る。迫ってる。近い。もうすぐ。居た──幼児がわんわんと泣きじゃくっていた。


「よっ、どうした少年」


 俺は得意のほほみをほおに張りつけ、幼児の目線に合わせて身をかがむ。


「こんなところでなにしてんだ? ひょっとして迷子か。お母さんとはぐれちゃったのか」


 まだ五歳ぐらいの男の子で、ひとりぼっちで号泣している様子からそう尋ねると、男の子はしゃくり上げながらうなずく。


「やっぱ迷子か。よし、じゃあ俺が交番まで案内してやるよ。おまわりさんならお母さんを見つけてくれる。だからもう泣くな。大丈夫だ、大丈夫!」


 明るい声を作って案内するぞと手を差し伸べ、だが迷子はぶんぶんと顔を横に振る。しらないひと、ついていくの、だめだって……う、わああぁぁぁん。と子ども安全教室で学んだような教えを口にして再び大泣きをぶり返す。


「ああ落ち着け! わかったわかった。まあそうだな。用心深いのは確かに大事だ。しかし困ったな。それじゃあどうすっか……」


 迷子はその場から動く気配がない。

 迷子ひとり橋の上に放置して俺だけ離れるわけにもいかない。

 迷子に名前やはぐれた場所を尋ねようにもえつがひどくてすぐに聞き出せそうにない。


「……よし! じゃあこうしよう。俺がいまから君のお母さんを見つけてやろう。パパッとな。それで万事解決だ」


 まかせてくれとドンと胸をたたいてみせる。が、それでもまだ迷子は泣き止まない。おまわりさんじゃないんだから見つけられっこない、そんな諦めた感じで。


「まあまあ俺にまかせとけって。実はな、これは本当はだれにも言っちゃいけない秘密なんだけど──」


 周囲に人がいないか見回してから、二人だけの隠し事のように迷子にささやく。


「──俺、ほう使つかいなんだ」


 瞬間。秘密めいて告げたそのワードに迷子の耳がぴくっと反応する。一瞬えつが止まる。まるで子ども心をくすぐられたかのように。


「いや、でもお兄さんネクタイ姿だけど? 魔法使いっていうかサラリーマンっぽいけど? なんて思ったか? 実はな、この格好は世間をあざむくための仮の姿! 実際にいまから魔法を見せてやろう!」


 さあさあご注目と右手を掲げて、迷子の視線を誘導する。


「俺の魔法はな、まじないをかけて指を鳴らすんだ。パチン、パチン、ってな。するとあーら不思議。どこからともなく妖精さんが現れて俺の知りたいことを教えてくれる。お、さっそく妖精がやって来たぞ! ほらそこ、後ろ後ろ! 後ろ向いて! 見えるだろ? ……え、見えない? あー、そうだ妖精は魔法使い以外には見えないんだった。うっかりしてた悪い悪い。……え、本当にいるのかって? いやいやそこにいるぜ。本当本当。信じられない? よーし、だったらいま試しに君の名前を妖精に聞いて言い当ててやろう」


 ペラペラとちようこうぜつを振るい、片耳に手を当てふむふむと妖精から話を聞くりをはさみ、そこで迷子を驚かすつもりで告げた。


「『ひこやまゆうた』って名前だな。ゆうたか。へえ、かっこいい名前じゃないか」


 えっ、と迷子は目を丸くした。本当に言い当てられたと驚いた様子で。


「通っている幼稚園はここから少し離れた大学ぞくの幼稚園だな。いわゆるいいところのお坊ちゃんお嬢ちゃんが通う幼稚園だ」


 迷子は泣きれたまぶたをぬぐい俺の顔を正視した。すごいすごいと瞳の色を好奇に輝かせて。


「へへっ。どうだ、少しは頼りになると思ってくれたか。こんな風に魔法を使えばなんでも知れる。少年の名前だって、少年の所属だって──」


 自信満々にそう口にしていたそのとき、真夏のしが降り注ぎ思わず目がくらんだ。

 ひさしで夏空を見上げると、入道雲に隠れていた太陽が姿を現して暴力的な輝きを放ち出す。

 時刻は昼過ぎ。名古屋の街はいよいよ本格的な猛暑に襲われる。

 そこでなるべく早く迷子と母親を再会させたいという思いに駆られるが、そのために警察をこの橋まで呼ぶのは確かに一つの手ではあるが対応してくれるまでのタイムラグが惜しいし、幼稚園に連絡してまかせに解決をはかるのもまどろっこしく、いや名前と所属が判明した時点で確信していた。俺が動いたほうが手っ取り早いと。


「魔法を使えばなんでも知れる。少年のお母さんの連絡先だって」


 だから俺は──また指を鳴らして魔法を使った。

 結果、母親の携帯番号を手に入れるのに五分もかからなかった。


「見つけたぞ、君のお母さん」


 そこから先はとんとんびようで事が進んだ。俺が母親の携帯に直接電話をかけて事情を説明し、すると母親のほうも男の子をさがしていた最中で、すぐにアーチ橋まで迎えに駆けつけた。


「無事再会できてよかったな、少年。なっ、俺にまかせとけって言ったろ」俺は男の子の頭をでた。「もうお母さんとはぐれるなよ。じゃあな」


 すっかり笑顔となった男の子にありがとう優しいお兄さんと感謝され、俺はさわやかな笑みを作ってその場を去る。が、橋の階段を下りたころにはむなしさに襲われてほほみの仮面を外した。


「なにが魔法使いだうそつきめ」


 もちろん魔法なんてものは迷子を泣き止ませるためのデタラメで、一連のトリックはQ&Aで種を明かせば実につまらないものになる。

 Q.なぜ迷子の名前が知れたのか? A.妖精がいると後ろを向かせたすきに靴のかかと部分に目を向けただけ。そこに『ひこやまゆうた』とマジックペンで名前が書いてあったから。

 Q.なぜ迷子の通っている幼稚園が知れたのか? A.上品なチェックがらの園服を着ていたから。有名な幼稚園で園服に見覚えがあった。

 Q.なぜ迷子の母親の携帯番号を知れたのか? A.顔が広いから。魔法を使う芝居であざむいている間にこっそり携帯で知り合いから個人情報を入手しただけ。

 俺は足先を当初向かっていた目的地に戻しながら、本当に魔法使いだったらよかったのにと心から思った。

 ──もし魔法が使えたなら、〝あの子〟だってすぐ見つけ出せるのに。

 そう、迷子が母親を捜していたように、俺もいまとある人物を捜している最中だった。

 その人物を見つけるための手がかりとなる特徴は三つ。「くりいろの髪」「すいきんすずのかんざし」「一〇代後半ぐらいの少女」。加えて居場所は名古屋のどこかである可能性が高いということ。

 それだけだ。

 捜し当てるヒントはたったそれだけ。三つの特徴とざっくりとした居場所のみで、後はとにかく不明な点だらけ。

 どんな名前なのか不明。

 どこに所属しているのか不明。

 どういう顔立ちをしているのかいまは不明。

 ほぼ何者かわからない謎だらけのシルエット状態で、俺は捜しているその人物を便べん的に〝あの子〟と呼んでいる。

 迷子の母親を捜すのとは難度が違った。人口二〇〇万人以上の名古屋で、手がかりにしてはあまりにこころもとない三つの特徴だけを頼りに〝あの子〟を見つけ出そうとする捜索作業は、ばくのど真ん中で落としたビー玉を探し当てるような途方もなさだった。

 八年。気づけば捜しはじめてから八年が経っていた。