メイクアガール
第三章 ACTIVATION ②
うまく表現する言葉が見当たりませんが、なんだかぴりっとした空気を茜さんから感じました。茜さんはしばらく前を向いて、黙って歩いていました。なにを言ったらいいのか、茜さんがなにを感じているのかわからなくて、私は黙って横を歩いていきました。
交差点の信号で立ち止まったとき、茜さんは不意に口を開きました。
「……最近、明とはどうなの?」
ちらりと私を見て、茜さんはそう言いました。
それはさっき聞いたフレーズでした。でも今度は、茜さんではなく私に向けられています。
どうって言われても、どうもこうもない──茜さんはそう言っていました。
私もそれを参考に、同じフレーズを返します。
「そうですね。……私、不安なんです」
あれ?
自分の口からそんな言葉が出てきたことに、私は驚きました。
不安。
私が?
でも私の口からは、次々に言葉がこぼれてきます。
「私は彼女だから、明さんをパワーアップさせてあげないといけないのに、ぜんぜんできていないんです。言われた通りにはしているつもりなんですけど、どうしたら明さんの彼女にふさわしくなれるのか、ぜんぜんわからなくて。私、どうしたらいいんでしょう?」
私、そんなふうに思っていたんだ。
言葉にしてはじめて、私は自分の気持ちに気づきました。
茜さんは小さく息をついて、私に人差し指を向けました。
「まず、あんなやつの言いなりになるのをやめること」
「でも……」
「逆らえとまでは言わないけど、彼女って、言われたことなんでもしてあげる存在じゃないでしょ」
「そう、なんでしょうか」
「むしろ対等じゃないと、彼女とは言えないんじゃない?」
「対等!」
私は思わずその言葉を叫んでしまいました。それは私にとって、新しい概念でした。
「どうやったら対等になれますか!?」
「それは……お互いに助け合うとか……?」
信号は、まだ赤のままでした。たくさんの自動車が、私たちの前をびゅんびゅんと行き交います。今の車はそのほとんどが自動運転なので、本当は信号もあまりいらなくなっているそうなのですが、手動運転をしたがる数少ない人のために歩行者用の信号機も残されているのだそうです。
私はそんなことを思い出しながら、少し考えました。
「明さんはお料理がとてもダメです」
「自動でカップ麵ができる機械をわざわざ作るレベルだものね……」
「もし私がお料理をできるようになったら、明さんのことを助けられるかも?」
「うーん、明がもっとあなたになにかしてあげたほうがいいって意味だったんだけど、どうせあいつはそう簡単には変わらないだろうし……まあ、私をつけまわすよりはだいぶ彼女らしい気はするわね。ちょっと古いけど、まずはわかりやすいかたちから入るのもいいんじゃない? そのうちあなたらしい彼女のかたちも見えてくるわよ」
車がスピードを落として停止し、信号が青になりました。
私は一緒に横断歩道をわたりながら、すっかり感激してしまいました。
「茜さんはすごいです。彼女の専門家です!」
「嫌な専門家ね」
そんな言葉とは裏腹に、茜さんはそれほど嫌そうではありませんでした。
「でも、どうやって料理をできるようにしたらいいんでしょう? 私、一度もやったことがありません」
茜さんは小さな顎に手を当てて、少し考えてから答えました。
「そうね……邦人に聞いてみたらいいんじゃないかしら。ファミレスのバイト、キッチン担当だから。料理もそこそこ詳しいわよ」
「そうなんですか?」
「ええ。私はホール担当」
邦人さんと茜さんが同じ場所でアルバイトしているとは知りませんでした。けれど、確かに邦人さんに相談してみるのはいいアイディアだと思われました。茜さんと話していると、次にやるべきことがどんどん明確になります。こうして前に進んでいけば、きっと私は明さんをパワーアップさせられる彼女になれる。そう感じました。
「茜さん、これからも相談していいですか?」
「あなたも私がいないとなにもできないの? 子は親に似るって言うけど」
「子じゃありません。彼女です」
「……そう」
またあの、静電気のようなぴりっとした感じが私と茜さんのあいだに流れました。私はなんだかそれがつらくて、他の話題を出してみます。
「こういうのが、女の子同士のする話なんですね?」
「まあ、ストーカーよりはだいぶマシになったわね」
さっきの感じはすっかり消えて、茜さんはおかしそうにそう言いました。
「あの、私は明さんの、彼女ですよね?」
「なに急に」
「それで、私は茜さんの、ストーカーです」
「え、いや、確かにさっきはそう言ったけど──」
「もうストーカーは卒業ですか?」
「勝手に付け回したりしないのなら、そうね」
「なら、私は茜さんの、なんなんでしょう?」
茜さんは立ち止まりました。私もそれに合わせて足を止めます。
しばらく私を見つめて、それからふいと目を
「──友達よ」
茜さんの結んだ髪が、坂を登っていくにつれて揺れました。
私はそれを、走って追いかけました。
■
「本日からお世話になります」
「よろしくぅー」
「なんでここの店に……」
私がお辞儀をすると、邦人さんが冗談っぽく笑って手を振り、茜さんは文句ありげにため息をつきました。邦人さんのおどけた雰囲気も茜さんの不機嫌そうな様子も、いつも通りです。
いつもと違うのは、ふたりが制服を着ていることです。
制服といっても、学校の制服ではありません。
ライトブラウンのシャツに、ベージュとダークグレーのストライプが入ったエプロン。赤みを帯びた帽子を
ここは学校ではないので、学校の制服を着ていないのは当然のことです。
ファミレスのキッチン。
それが今、私が立っている場所です。
そして、私も邦人さんと茜さんと、同じ制服を着ています。
そう、私は今日から、ここでアルバイトをするのです!
「社会勉強。この子も知ってる顔がいたほうがやりやすいだろ」
「バイト中も私が親みたいにあれこれ世話を焼けってことね?」
「まさか。キッチンでしっかり俺が面倒を見るさ。はい」
私は邦人さんに渡された、大きなフライパンを受け取りました。
茜さんの後をつけたあの日の後。私は茜さんに言われた通り、邦人さんに相談をもちかけました。邦人さんは私が自主性を持ちはじめていることに驚き、興味を持ったように思われました。それなら自分と茜さんがアルバイトをしているファミレスで、一緒に働いてみないか──と言ってもらいました。
面接は苦労しましたが、邦人さんが同伴で店長さんに頼み込み、なんとか採用してもらうことができたのでした。
茜さんはかなり驚いていました。想定していたのは邦人さんに相談するところまでで、一緒にアルバイトをすることになるとは思っていなかったようです。
でも、私は前に進まなくてはなりません。
明さんの彼女になって、明さんをパワーアップさせるために、私は生まれてきたからです。
そのために料理ができるようになることは、重要なことであるように思われました。いえ、思われる、ではなく、強く示唆される、というのが適切でしょう。さまざまなリファレンスを参照した結果、料理ができるという属性、それを振る舞うという状況は、彼女という肩書きと強い結びつきがあることはほぼ確実であったからです。
「よし、じゃはじめようか。はいこれ」
隣に邦人さんが立って、私にタブレットを渡しました。
私はフライパンをいったんコンロに置いてそれを受け取ります。
「これ、マニュアルね。この通りにすれば大丈夫だから」
「はい」
「じゃ、これから0号ちゃんは肉を焼く」
「はい」
「ステーキは調理時間も短いし、手順も簡単だ。まずはここからやってみよう」
「はい」



