よって、初恋は証明された。 -デルタとガンマの理学部ノート1-

プロローグ 高三の夏が終わる

 思うに〈青春〉というのは、よくできた推理小説のようなものである。

 そのちゆうにある当事者からしてみれば、自分が何を経験しているのかすらよく分からない。

 すべてが終わって、取り返しがつかなくなってようやく、全体像が見えてくる。

 あのころの俺たちは馬鹿だったなあ、でもあれが楽しかったんだよなあ、なんてことを言いながら振り返って、人は初めて明確にそれを〈青春〉と認識できるのだ。

 まるで頭脳めいせきな名探偵がそばにいて、理路整然と推理を展開してくれるかのように。


 高三の夏が終わる。

 それは俺たちにとってちょっとしたけじめの意味合いも帯びていた。

 ようやく安寧を得て図書室で自習をしていた俺の肩を、いわが優しくたたいてくる。


「ちょっと、いい?」


 周囲を気にしてささやく声には、いつもと違う波形が混じっているような気がした。予想もできないデータが得られたとか、珍しい昆虫を見つけたとか、そういうときに聞く少しだけ上ずった声。俺はいつものように黙ってうなずいた。

 生物室裏の空き地まで移動する。小さな古墳のようにこんもりと盛り上がる芝生が、座って休憩するのにちょうどいい。二人で並んで斜面の定位置に腰を下ろす。

 いい天気だし、外の空気が吸いたくなって、といわは言い訳のようにつぶやいた。

 他愛もないことをしゃべっていると、裏山の方からツクツクボウシの必死な鳴き声が聞こえてきた。そうして会話が自然に途切れたとき、いわが手提げから白い封筒を取り出す。


「あの、デルちゃん、これ……」


 いつもは弾力を感じさせるほどはきはきしている声が、今日は揺らいでいた。

 封筒を受け取る。何も書かれていない。俺はその意味合いを確認するためにいわを見た。

 なぜかすっと目をらされてしまう。


「いきなりこんなもの渡して、ごめんね。でもなんていうか、ある意味お返しみたいな……」


 中身を見ようかと思って裏返すも、のりでしっかりと封がされていている。開封するにはハサミがいるな、と考えていると、いわがさらに付け加える。


「本当はもっと早く渡そうと思ってたんだけど……部活を頑張ってる最中はこういうのも違うかなと思って。だから、今さらかもしれないけどね、このタイミングで……」


 要領を得ない。いったい何が入っているのか、中身当てクイズの様相を呈していた。

 いわの耳はうっすら赤くなっている。俺の視線に気付き、いわはさりげなく手で耳を覆う。


「えと、じゃあ私、戻るね!」


 ここで開けていいのか、とく前に、いわは俺をひとり置いて去ってしまった。

 図書室に戻ると、いわかばんはすでになくなっていた。もう帰ったのだろうか。

 俺はハサミで慎重に封を切ってから、封筒だけ持って、誰もいない郷土資料コーナーへ移動する。なんとなく、人目につかないところで中身を取り出した方がいい気がしていた。

 出てきたのは、ラミネート加工されたハガキ大の紙。白い上質紙の上に薄紅色の見事な押し花が封じ込まれている。静寂の中で、俺はしばらくそのはかなげな色に見入った。

 封筒に入っていたのはそれだけ。ただ、手触りから裏面に付箋が貼ってあるのが分かった。裏返してみると、ピンク色の簡素な付箋に万年筆で文字が書かれている。


 紫外線を反射するフィルムを使ってみたんだけど、光で色素が分解されないように、できるだけ日光の当たらない場所で保管してくれるとうれしいです。


 それだけだった。署名すらない。

 メッセージは書かず取り扱い上の注意を記すという情報の優先順位に、親しみを覚える。

 俺たちはいつだってそうだ。

 結局、その押し花が何を意味するのか、俺には断定ができなかった。

 それにしてもまさかこの花とは……なつかしい記憶がよみがえってくる。

 控えめな薄紅色を見ながら、はるか昔にさえ思える日々を、俺は回想し始める。

 いつか青春と呼ぶだろう日々の、始まりの物語を──




刊行シリーズ

とっておきの論理を、君と。 -デルタとガンマの理学部ノート3-の書影
この青春に、別解はない。 -デルタとガンマの理学部ノート2-の書影
よって、初恋は証明された。 -デルタとガンマの理学部ノート1-の書影