営業課の美人同期とご飯を食べるだけの日常

営業課の美人同期とご飯を食べるだけの日常 ①

鹿しか先輩、書類できたのでご確認ください!」


 元気に声を上げる後輩から書類を受け取る。さっと目を通すとミスが二つ。


「おっけー、ちょい修正あるから後でまたチャット入れとくわ」


 ありがとうございます、と返事し大股で自席に戻る後輩を見送るとPCへ向き直る。時刻は12時と20分。そろそろお昼時だ。

 後輩のかわいいミスを修正しながら社内システムで書類を上司に送る。ついでに修正点を後輩にも投げておく。

 そういえば残業仲間の先輩の姿が見えない。カレンダーを見るとそこには〝有給〟の2文字。

 上司のあいざわさんも今日は在宅だったっけ。右側に目をやるとすっからかんの席。

 上の人間がいないと幾分心が楽だが、イレギュラーがあると面倒だ。

 キリのいいところでPCをスリープにして席を立つ。


「お昼行ってくるわ。なにかあったら社用携帯鳴らしてくれ」


 目の前に座る後輩二人がはい、と応えてくれる。下行きのエレベーターを待ちながら自分のスマホを開くとメッセージが来ていた。


『昼一緒に食べられそうだけど、どう?』

「げ。まじかぁ」


 差出人はあきひより、我が社が誇る営業二課のエース様である。

 うちの会社は主にインテリアを取り扱うメーカーである。新商品の開発からブランディング、販売までの一連をすべて自社内で完結させている。

 知名度で言えば十人いれば二、三人は名前を聞いたことがあるくらいの成長中企業である。

 その中で営業一課は家庭用、つまり一般人向け商品の販売ルート作りの営業が中心で、二課は対企業へオフィスコーディネートなどの営業を中心に行っている。

 バリキャリという言葉がぴったりな彼女は、営業課でトップを争う敏腕営業職である。彼女が取ってくる大型契約によって我々事務員の給料がまかなわれていると言っても過言ではない。

 そういう意味では頭の上がらない彼女と俺は同期である。しかも単なる同期ではなく高校時代のクラスメイトなのだ。がしかし、会社では変な勘ぐりが面倒なので隠している。

 スマホに目を落とすと追加で彼女からメッセージが届いていた。


『会社から一駅離れたところで午前の外回り終わり! しそうなイタリアン見つけたから来てよ』

『事務の人間を外に呼び出すなよ』

『今日の契約取れたしおごるわよ?』

『今すぐ行きます、!』


 返信を見ずに会社のビルから駅へ急ぐ。我ながら現金だなと思うが、おごってもらえるなら話は別だ。まぁ結局は……いやこれはいいか。

 階段を下りると地下鉄特有のこもった空気に飲み込まれる。


 春先のぽかぽかした空気を目指して出口に続く階段を上る。しに目を細めた先に、パンツスーツを着こなした美人が立っていた。


「早かったじゃない、さぁ行くわよ。パスタが私を待ってるんだから」


 カランカラン、と小気味のいい音を立ててステンドグラスの張られた扉が開く。空いてるかと首を伸ばして店員さんを呼ぶ。


「ちょっと! こういうのは女性を先に入れるもんじゃないの」

「うるせぇ、普段陽の光にあたってない事務員を外に呼び出した罪は重いんだから我慢しろ」


 ぶつぶつと文句を垂れている秋津を置いて案内された席に着く。

 メニューを広げるとなるほど確かにしそうだ。昨晩も残業祭りでパンだけかじって寝たからかおなかいている。


「この二つの味を楽しめるハーフ&ハーフを二つ頼んで色々食べるか? 初めての店だし」

「ん〜私の口はもうカルボナーラって決まってるの」

「後悔しても知らないからな。俺はこののミートソースととイカのジェノバ風にしよっと」


 ベルを鳴らして店員さんを呼ぶ。さっさと二人分の注文を終えると、先程の商談について秋津が話し始める。


「今日のはやりやすかったわ〜営業先の担当が私と年齢近い女の子でさ〜」

「お、珍しいな。いつもはおっさん相手だって愚痴ってるのに」

「そうそう、おじ様方の趣味の話とかどうでもいいからね」


 そうこうしているうちにできたてのパスタが運ばれてくる。自分の前に並べられた湯気立つ麵に思わず嘆息する。


「めちゃくちゃしそうじゃん……。どっちから食べよう」

「うわ、いいな〜ミートパスタありだったなぁ」

「だから言わんこっちゃない。やらんからな」


 まずはミートソースパスタを口に運ぶ。凝縮された肉のうまみが鼻を通り抜けたかと思えば、しょわっとした歯切れのいいの食感が口を襲う。


「あんたってほんとしそうに食べるわね」

「実際ほんとにしいからな」


 今はしやべる暇すら惜しい。

 ミートソースはパスタによくからんで、塩味のしっかり付いた麵の良さを引き出している。これはハーフにしたのもつたいないな。

 一方ジェノバ風はあっさりだ。魚介のだろうか、深海に潜ったかのようなしさが口の中で解放されたかと思えば海辺でたたずんでいるかのような爽やかさもある。


「これレモン入れた人間天才だ……こってりしすぎてない」

「え〜いいな〜! 私のカルボナーラも負けてないし」


 そう言うと彼女はフォークを使ってれいにパスタを口に運ぶ。こういう所作がれいなところも人気の理由なんだろな。

 というか頼んだパスタで勝ちも負けもあるか。

 半分くらい食べただろうか、彼女が俺のパスタをじっと見つめている。


「ここの代金出すの私なんだけど」

「それとこれは話が別だろ。最初にちゃんとハーフ&ハーフ勧めたし?」

「う〜〜! そうだけど! そうだけどミートソースもジェノバ風もしそうなの!」


 いつだってこいつはわがままだ。それがどうにもかわいくて言うことを聞いている俺も俺だが。まぁ自分以外に実害がないならいいか。

 俺はため息をつくと店員さんを呼び、取り皿と新しいフォークを持ってきてもらう。


「今回だけな」


 二つの小皿にそれぞれのパスタを盛っていく。流れ作業で彼女のカルボナーラを強奪することも忘れない。

 なにか言われるかと思ったが、新しいパスタに夢中なのか文句の一つもない。


「ん〜! やっぱり人が食べてるの見ると欲しくなるよね」


 秋津はにんまりとしながらミートソースパスタを口へ運ぶ。はたから見たら美人が顔を綻ばせてパスタを食べる図だが、それ俺のなんだよな。

 こいつが悪魔だと知らずにだまされてきた人間のなんと多いことか。

 パスタの皿が空になり、彼女がお手洗いに立った隙に会計を済ませて外へ出る。

 オフィス街に申し訳程度に植えられた桜が舞う。プライベートのスマホがブーッと絶え間なく震えている。


『あんたお金だけ出して帰ったわね!』

『私がごそうするって言ったじゃない!』

『というか先帰んないでよ!』


 無視だ無視。一緒に帰ってうわさでもされてみろ、面倒だろ。腕時計を見ると13時27分。

 午後からは後輩の仕事じゃなくて自分のを片付けようと心に決めて、俺はエレベーターのボタンを押した。


◆ ◇ ◆ ◇


 4月某日、桜吹雪もなりを潜めて外は暗い。PCの右下をチラ見すると21時。我が社の定時は18時のはずなのに。それもこれも営業たちが仕事を取ってくるからだ。

 いやまぁありがたい話ではあるんだが……来期のボーナスは期待できるなこりゃ。

 今は19時くらいに後輩二人を帰したツケを、俺と死んだ目をした先輩で払っている。


「これてっぺんまでに終わらんぞ」

「ですよね……。一旦帰って明日早く来ますか……」

「おう、そうしようそうしよう」


 俺の向かいで死んだ目をしばたたかせているのは三つ上の先輩、みねさんだ。おんとし30、新婚である。俺が新卒の頃から面倒を見て(もらって)いる。