立華さんは瞳のシャッターを切って俺を写真の中に閉じ込めた。ウインクされたんだと分かる頃には、立華さんの背中は改札の向こうに消えていた。
◆
「なにィ!? オッケーだと!?」
俺の報告を聞いて、教室中から地鳴りのような歓声が巻き起こる。同じ歓声でもサイベリアで聞く雀桜生の黄色い声とはえらい違いだった。
────ここは男子校、蒼鷹高校二年一組。
約一年間女っ気なしで耐え忍んできた男達は、来月の蒼鷹祭で待っているであろうアバンチュールを夢見て喜びの声をあげた。
「うん。昨日立華さんにお願いしてみたんだけど、なんとかしてくれるって」
昼休み、俺の机を囲むように皆が集まっていた。いつの間にか他のクラスの奴らまで来ていて、教室がパンパンになっている。
「それって、蒼鷹祭に雀桜の子が沢山来てくれるってことでいいんだよな!? 先輩から貰った写真みたいに!」
そう言って三組の武田? だったかがスマホを見せてくる。写っているのは仲が良さそうに肩を組んでいる男女。男はうちの体操服で、女は雀桜の制服だった。きっと蒼鷹祭で知り合ってカップルになったんだろう。羨ましい限りだ。
「多分そういうことだと思う。俺も具体的な話は聞いてないけど」
「うおぉおおおおおおっ!!!!! マジでありがとうな山吹! 命の恩人だ!」
また教室が沸き立つ。感動のあまり抱き合っている奴らまでいた。大袈裟な……と言いたいところだけど、これが大袈裟でもなんでもないことを俺は身に沁みて分かっている。
「ところで山吹、『雀桜の王子様』ってどんな見た目なんだ? 俺まだあのファミレス行けてないんだよ、雀桜生ばっかで入りづらくてさ」
四組の増岡が俺の机に尻を乗せながらそんなことを訊いてくる。増岡とは一年生の頃に同じクラスだったから、少し親交があった。ガタイの良さを活かしてサッカー部の次期エースとして活躍しているらしい。
「それ俺も気になってた。やっぱかっけーのかな?」
「俺一回だけ駅でそれっぽい人見たことあるけどヤバかったよ」
「確か友達が同じ中学だった気ィすんだよなー」
そこかしこから声があがる。
『雀桜の王子様』は蒼鷹生にとって誰よりも気になる存在だった。
「どんな見た目って言われてもなあ。とりあえずかっこいいのは確かだけど」
でも、俺はこの一週間で思ったことがある。立華さんが『雀桜の王子様』と呼ばれているのは、見た目だけが理由じゃない。
なんというか……存在自体がかっこいいんだ。
性格も、仕草も、何もかもが。
「女子としてはどんな感じ? 山吹はもし付き合えるってなったらどうする?」
教室のどこかからそんな質問が飛んできて、俺は言葉に詰まる。
男女問わず、立華さんが誰かと付き合っているという姿がイメージできなかった。誰かの隣にいる立華さんが想像できない。あの人はずっと誰かの憧れで、誰か一人の特別になるなんてことはないんじゃないか。
◆
「一織様が男と!? それは本当なの?」
「間違いありません! りりむ、この目でしっっっかりと確認しました!」
雀桜高校、視聴覚室────普段は薄暗いその部屋は、放課後になると別の姿を見せる。
その名は『一織様を陰ながらお慕いする会・総本部』。決して狭くはない視聴覚室は、放課後にもかかわらず数十人の生徒でぎゅうぎゅうになっている。
「そ、それで!? 一織様とその男はどんな感じだったの!?」
黒板の前に立っている三年生が焦った様子で唾を飛ばす。今この場にいる全員が「駅で男と二人で歩いている一織様を見た」と報告した一年生を固唾を吞んで見守っていた。
「えっと、改札で二人は別れたんです。一織様が先に改札をくぐって」
一年生の言葉に、皆が胸を撫でおろす。
「そ、そう……良かった……」
「……でも」
一年生はそこで言い淀む。空気に緊張が走った。
「でも……どうしたの?」
「…………私、一織様と同じ電車に乗らせていただいたんです。おこがましくも近くに座らせていただいて。あっ、勿論一織様の視界に入るような抜け駆けはしていませんよ!?」
「分かった分かった。それで?」
小柄な一年生は、その瞬間を思い出すと今でも夢を見ていたんじゃないかと思うくらいだった。まだ入学して一か月だけど、初めて目にしたその時からずっと一織様を見てきた。そんな私ですらあんな一織様は見たことがない。
「一織様…………笑ってたんです。いつものかっこいい笑い方じゃなくて、幸せを嚙み締めるみたいに」
それがどれだけ珍しいことなのか、この場にいる全員が瞬時に理解できた。
「私、あの瞬間だけは一織様が女の子に見えたんです。今日お会いしたら、いつもの素敵な一織様でしたけど……」
一年生は崩れ落ちるように席に座った。教室には重苦しい静寂がのしかかる。
「…………とにかく、その男の素性を調べよう。話はそれからだ」
リーダーと思しき三年生がなんとか口を開く。
────その男が蒼鷹高校二年・山吹夏樹だということは、程なくして雀桜生全員の知るところとなる。