「────俺は君の教育係だから。立華さんを守ってあげるのが俺の役目だと思うんだ」
「…………そうか」
信号が青になった。どちらからともなく俺達は歩き出す。
ふと気になって横目に立華さんの顔を確認すると、頰に信号の赤色がまだ残っていた。
この一週間で蒼鷹生の間でも『雀桜の王子様』が俺のバイト先で働いていることは噂になっていた。今のサイベリアは雀桜生のたまり場になってしまっているので蒼鷹生が押しかけてくることはなかったけど、その代わりに俺は一つのミッションを頼まれてしまっていた。
「蒼鷹と雀桜の歴史?」
「うん。立華さん、そういうの知ってるかなって」
曰く、両校は学校ぐるみで仲が良く生徒の交流も深いとか。
曰く、蒼鷹生と雀桜生のカップルはいつまでもラブラブで上手くいくだとか。
そういうことを果たして立華さんは知っているんだろうか。全く興味なさそうだけど。
「それはあれかな、何年に創立したとかそういう歴史?」
「いや、そうじゃなくて。どう言ったらいいかな……」
恋愛系の俗っぽい話を立華さんにするのは、なんだか神聖な存在を穢してしまうような気がして、俺は言葉を継げなくなる。そんな話を一織様に聞かせないでよ、とその辺りの茂みから雀桜生が飛び出してきそうだ。
俺が何も言えないでいると、立華さんが代わりに口を開いた。
「もしかして、雀鷹カップルのことかな?」
「……知ってたんだ」
これは意外だった。立華さんはそういう下々の者が好きそうな話に興味がないと思っていた。
「雀桜の皆がこう言うんだ──私、蒼鷹なんてどうでもいい。一織様さえいればそれでいいんです──ってね」
「ああ……やっぱりそういう感じなんだ」
この一週間で雀桜の空気がこれでもかってくらい理解できた。そしてそれを引き起こしている立華一織という人間の魅力も。正直言って、蒼鷹の男子を全員集めても立華さんの魅力に敵いっこないだろう。
「もしかしてボクのせいで蒼鷹生は寂しい学生生活を送っていたりするのかな」
「立華さんのせいかは分からないけど、例年よりカップルが少ないのは間違いなさそうだね」
俺は噓をついた。間違いなく立華さんの影響だし、正確には少ないのではなくゼロだ。
駅前が近付き、人通りが増え始めた。すれ違うサラリーマンや学生が皆、立華さんを見て驚いたような顔をする。女子高生にしてはかなり背が高いし、何より顔が整い過ぎているからだろう。その子はお前の彼女なのかと探るような目が俺に向けられることもあった。安心してください、俺と立華さんは只のバイト仲間です。
「そうだったのか。でもボクは謝らないよ。それは皆の気持ちに失礼だと思うから」
「うん。立華さんは何も悪くないよ。これは蒼鷹生の魅力が足りてないってだけの話だから」
話はこれで終わり──のはずだった。俺が無理難題を押し付けられてさえいなければ。
「…………実はさ、来月に蒼鷹祭っていうイベントがあるんだ」
「蒼鷹祭?」
「早い話が体育祭なんだけどね。例年雀桜の生徒が沢山見に来てくれて、凄く賑わうらしいんだ。雀鷹カップルのほとんどは蒼鷹祭でできるって言われてるくらいでさ」
ちなみに去年は既に女っ気皆無だった。ということは、当時一年生の立華さんは入学一か月かそこらで雀桜生全員の心を鷲摑みにしたらしい。
「なるほど、このままでは蒼鷹祭が盛り上がらないというわけだね」
納得したように立華さんが言う。ここからが本題だ。
「情けないことにね……実は俺と立華さんが同じバイト先で働いているのが蒼鷹生にバレてさ。なんとかならないかってお願いされちゃったんだ」
我ながら、何様なんだと思う。俺と立華さんはまだ知り合って一週間しか経っていない。友達でもない。断じて頼みごとをできるような関係ではなかった。
「申し訳ないんだけど、立華さんの力でなんとなったりしないかな?」
変なことを言っている自覚はあるけど、流石に全校生にお願いされては動かないわけにもいかない。まあ断られたら断られたで「無理だった」と報告するだけだ。
……多分断られるだろうし。協力する理由が立華さんには何一つない。
「うーん、そうだね……」
立華さんは考え込むように顎に手を当てる。駅はもう目の前だ。立華さんが何線かは分からないけど、きっと改札で解散することになる。
「夏樹はどう思ってるんだい?」
「え?」
駅舎に入ったところで立華さんが口を開いた。スマホをいじっていた近くのサラリーマンが一瞬だけ俺達に視線を向けるのが分かった。立華さんを見て驚いたような表情になり、すぐに顔を引き締めてスマホに目を落とした。立華さんはどこにいても目を惹くんだな。
「皆に頼まれたと言っていたじゃないか。そういうことではなく、夏樹自身がどう思っているのかを知りたいんだ。蒼鷹祭に雀桜生がいた方が夏樹は嬉しいのかい?」
立華さんが俺を見る。切れ長の瞳に縫い留められ、顔が動かせない。
「…………そうだね。その方が頑張れると思う」
なんとか吐き出した俺の言葉に、立華さんは何故か満足そうに頷いた。
「そうか。ならその件はボクがなんとかしよう」
「えっ、いいの?」
驚いた。まさか引き受けてもらえるなんて思っていなかった。
「でも、一つ条件がある」
「条件?」
一体何をお願いされるんだろうか。立華さんに頼まれることなんて、何一つ思い浮かばない。
「────蒼鷹祭で夏樹のかっこいい姿をボクに見せること。当日、期待しているからね」