女子校の『王子様』がバイト先で俺にだけ『乙女』な顔を見せてくる

一章 雀桜の『王子様』 ⑦

「やっと今のいそがしさでも回せるようになってきたんです。俺がキッチンもフォローするので、たちばなさんには今のままやらせてあげてほしいんです。その方がお客様だって喜んでくれるはずですよね?」

「うーん……それはそうかもしれないが……だいじようなのかなつ? 負担が大きくなるぞ?」


 お客様のことを出されると店長も強く出られないのか、歯切れが悪くなる。お客様のがおが増えているのはまぎれもない事実なんだ。


だいじようです。しまさんも、もう少しだけ協力してくれませんか?」


 俺が頭を下げようとすると、しまさんがためいきをつきながら手で制してくる。


「高校生がガッツ出してるのに、大学生の俺が弱音くわけにもいかねえし。それに女子高生がたくさん来るのは目の保養になるからな。あとちょっとだけがんってやるよ」

「ありがとうございます!」


 結局俺は頭を下げてしまった。それを見て、店長がおもしろそうに笑う。


「やはり一織いおりを採用して正解だった。まさかなつがそんなに燃えるなんてな」

「俺は元々サイベリアのためがんる男ですよ」


 お金を頂いている以上、いつしようけんめいやるのは当たり前だ。だれだって同じ気持ちだと思う。


「サイベリアのため、ねえ。どう思うしまぁ?」

「いやあ、若いっていいっすね。あ、俺そろそろキッチンもどりますわ」

「私もちょっとレジ見てくるかな。じゃあ二人ともおつかさま。気を付けて帰れよ?」


 二人はニヤニヤしながらキッチンに消えていく。たんに静かになったバックヤードに、俺とたちばなさんが残された。すみやかに退勤処理を済ませる。


「ごめんね、口をはさんじゃって」


 こうしつに引っ込みながら、たちばなさんに謝る。


「どうして謝るんだい?」


 となりこうしつから声が返ってくる。こわいろから感情は読めなかった。


たちばなさんの気持ちをかずに勝手に決めちゃったからさ。もしかしたらめいわくだったかなって」


 たちばなさんが楽しそうに接客していた、なんてのはあくまでも俺の想像でしかない。内心はこのいそがしさにへきえきしていたかもしれないし、周りの負担になっている現状を心苦しく思っていたかもしれないんだ。

 俺としてはたちばなさんの気持ちが今すぐ聞きたいくらいだった。でも、たちばなさんはそこで会話を打ち切った。きぬれの音だけがバックヤードにひびいて、俺はじよじよに不安になる。やっぱりめいわくだったのかな。

 となりこうしつのカーテンがひらく音がした。たちばなさんはえるのが速い。女子の制服って着るのが簡単なんだろうか。

 ……このまま帰られると、次に顔を合わせる時にちょっと気まずい。


なつ、帰りは電車かい?」


 カーテンしに、声がした。


「そうだけど……どうして?」


 俺達は仕事が終わるとサイベリアで解散するので、俺はたちばなさんが電車通学なのかすら知らなかった。というか顔と名前と性別以外は何も知らない。俺達の関係はまだ「同じバイト先の人」止まりだ。


「それなら────良かったら駅までいつしよに帰らないかい?」


 駅へと続く大通り沿いの広い歩道を俺達は歩いていた。この時間にもなると車通りもまばらで、とうかんかくに並ぶ街灯と信号だけがぼんやりと駅までの道を照らしている。駅前まで行けばまだ少し活気もあるけど、この辺りはもう静かだ。


「今日は星がよく見えるね。おおぐま座もおとめ座もはっきりと見える」


 俺のとなりをあの『じやくおうの王子様』が歩いている。たちばなさんのとなりにいるだけで、俺まで立派な人間になったような気がするから不思議だ。


「おおぐま座とおとめ座? ごめん、分からないかも」


 たちばなさんと出会って一週間がった。

 俺は教育係として基本的にたちばなさんとずっといつしよにいた。でも、びっくりするくらいたちばなさんのことを何も知らない。この一週間はずっといそがしくて、私語をする時間なんてほとんどなかったからだ。

 だから、うん。正直に言えば、結構話題に困っている。


「あそこにほくしちせいがあるだろう? あれがおおぐま座のしつなんだ。しつの先をずっと辿たどっていくと、ひときわかがやく星がある。あれが春の大三角の一つ、アルクトゥールス。うしかい座だね。そして三角形を作っているもう一つの明るい星が、おとめ座のスピカだよ」


 ちなみに三角形の残りの一つはしし座のデネボラ。ボクの星座だね────たちばなさんはそう続けた。たちばなさんの指先をなんとなく辿たどっていくと、それっぽい星が見つかる。

 しし座って確か夏の生まれだったっけ。たちばなさんのことをついに一つ知れた。


たちばなさん、星が好きなの?」

「プラネタリウムで流れていた説明を暗記しているだけさ。子供のころに連れていってもらったことがあってね」

「そうなんだ。でも、いいしゆだと思うよ」

「そうかな?」

「うん。れいだし」


 星をながめていると、となりたちばなさんがいることもつい忘れてしまいそうだった。きんちようがほぐれていく。


「さっきの話だが」


 たちばなさんが急に話題を変えたので、俺は星空から目を切ってたちばなさんに視線をやった。たちばなさんは真っすぐ前をえていて、その先では歩行者用の青信号が今まさに赤信号に変わろうとしている。

 俺達は信号につかまって足を止めた。


「ありがとう、なつ。ボクをかばってくれたんだろう?」


 たちばなさんが真っすぐ俺を見る。視界のはしでそれが分かった。少しなやんだ末に目を合わせてみると、やはりじようだんみたいに整った顔が暗がりの中で俺を見つめていた。赤信号が反射して、顔が少し赤い。


かばった、ってほどでもないよ。いそがしいのは俺の働きが足りてないってことでもあるし、最近はじよじよくやれてきてる自覚もあったんだ。だからあの場で言ったことの半分くらいは本音だよ」


 いそがしさに追われるとなんとなく負けた気になるというか。そういう感情が俺の中にあった。俺がもっと要領よく回せていたらあわただしくならずにすんだのに……みたいな。


「もう半分は?」


 たちばなさんは表情を変えずに、首をわずかにかしげる。俺がじやくおうの女の子だったら今の仕草だけでこいに落ちてるな。そうようの男の子で良かった。