女子校の『王子様』がバイト先で俺にだけ『乙女』な顔を見せてくる

一章 雀桜の『王子様』 ⑥

 たちばなさんもこの一日でかなりレベルアップを果たし、つうのお客様にはマニュアル通りの接客を、じやくおう生には王子様モードで接客するという器用なわざかんぺきにマスターしていた。昨日は否定してしまったけど、たちばなさんには接客の──というか人前に出る才能があるんだろうな。


流石さすがつかれたな……」


 バックヤードにもどって退勤の打刻をすると、どっとつかれがしてくる。じやくおう生も売上にこうけんしようと軽食やデザートなどをたくさんたのんでくれたので、キッチンからもうれしい悲鳴があがっていた。


「……うわ、今日の客単価千五百円えてる。たくさんたのんでくれたなあ」

「それはすごいのかい?」


 パソコンで夜九時時点のデータを見ていると、後ろからたちばなさんがディスプレイをのぞき込んでくる。すぐ横に顔があって少しびっくりした。


「うん、これはすごいよ。客単価っていうのはお客様が一人当たりいくら使ってくれたかってデータなんだけど、いつもは千円くらいだから。じやくおうのみんなにありがとうって伝えておいてくれるとうれしい」

「売上にこうけんしてくれたみたいだね。分かった、伝えておくよ」


 たちばなさんは満足そうに退勤のボタンを押す。その表情にはつかれというものがあまり感じられない。今日はめちゃくちゃいそがしかったのに、この時間でも背筋がピンとびている。


すごいね、たちばなさん。全然つかれてるように見えない」

「そうかい?」


 たちばなさんは意外そうに目を丸くする。しかし、すぐにいつものかっこいい表情にもどった。


「当然だけどつかれているよ。すごくね。でもなつの目からそう見えないというのなら、それはボクにいたくせが理由だろうね」

くせ?」


 たちばなさんがじやくおうの制服を持ってこうしつに入る。そうだ、たちばなさんは女の子だった。分かっていても頭がエラーをきそうになる。

 カーテンが閉まる。静かなバックヤードにきぬれ音がひびき、程なくしてセーラー服に身を包んだたちばなさんが現れた。どっちが似合っているかと言われれば、これは完全に個人的な意見になるけど、サイベリアのスーツ姿の方が見ていてしっくりくる。もちろん口に出したりはしないけど。

 たちばなさんは俺の前に立つと、目を少し細めてキメ顔を作った。


「常にだれかに見られていると意識しているんだ。だから、なつの前でも表情をくずさないのさ」


 また明日────そう言い残して、たちばなさんはさつそうとバックヤードから出ていった。


「…………イケメンすぎだろ」


 ドアの向こうに消えていくたちばなさんの背中を見送りながら、俺は無意識につぶやいていた。



 あの日の売上はサイベリアの平日最高記録を達成したらしい。高い客単価で九時までずっとウェイティングが出ていたらさもありなんという話ではあるんだが、店長の反応はたんぱくだった。

 ────なら、その記録はたった一日で破られたからだ。

 たちばなさん目当てに連日おとずれるじやくおう生により、サイベリアは過去最高のうるおいを見せていた。結果的にこの一週間でサイベリアほう中央店は最高売上を三度こうしんし、全店歴代トップの記録を三十万円も上回る大記録を打ち立てた。

 …………そして、上がっていく売上に比例するようにスタッフのろうもピークに達していた。


「店長、流石さすがにそろそろ限界っす。この人数じゃ回らないっすよ」


 そう言ってつかれた様子でうなれるのは大学生のしまさんだ。いつもは金色のちようはつをばっちりセットしてくるかっこいいしまさんも、ここ二日ほどはセットをサボっている。目の下にはくまが目立ち、声にもがない。


「……そういう意見はみんなからもらっているよ」


 店長はめずらしく難しい顔をして、売上が表示されたディスプレイを見つめている。今は高校生のお客様が帰った夜の九時半。俺とたちばなさんが退勤する時間でもあった。


「夜のスタッフのがんりは私も理解している。すみやかに人員を増やすことを約束しよう。だが、今日明日から今のじようきようが改善できるわけではない」


 店長はそう言うと、俺のとなりにいるたちばなさんに視線を向けた。店長も今日はずっとキッチンに立っていたので顔にはろうかんでいる。


「…………?」


 対照的にたちばなさんはすずしい表情だった。たちばなさんだってつかれているはずなのに、全くそうは見えない。それがたちばなさんの努力のたまものだということを俺は知っている。


「この混雑の理由──それは一織いおりの王子様接客だ。売上が上がるのは非常にありがたいことだが、このままでは店がもたん。悪いが自重してもらうしかないな」


 店長の言っていることはぐうの音も出ないほど的を射ていた。何もちがっていない。テーブルのほとんどをめているじやくおう生やうわさを聞きつけた女性客は、たちばなさんの王子様接客を期待してやってきた客だ。たちばなさんがマニュアル通りの接客をするだけで混雑はマシになるだろう。


「…………そうか。流石さすがみなめいわくはかけられないね。分かった、これからはつうの接客をこころけるよ」


 店長の行動は正しい。店長には店を、そして従業員を守る義務がある。このままではクレームにつながるようなミスが起きかねないし、最悪の場合、だれかがたおれる可能性だってある。そんなのはいやだ。

 だけど……俺はなつとくできなかった。

 となりにいるたちばなさんの顔が見れない。たちばなさんはいつものようにすずしい顔をしているのかもしれない。でも、俺にはどうしてもそうは思えなかった。

 って────この数日のたちばなさんはすごく楽しそうだったから。


「…………待ってください、店長」


 気が付けば、口をはさんでいた。


「ん? どうしたんだなつ

たちばなさんの接客は今のままでだいじようです」

「いや、そうは言ってもだな」


 店長の低い声。ここは勢いで押すしかない。ワガママかもしれないけど、それ以外何も思いつかなかった。