「おい夏樹、サイベリアって何かフェアでもやってるのか?」
颯太もびっくりした様子で人だかりを眺めている。
「いや、そんな話はなかったと思うけど……」
たとえあったとしても、こんな騒ぎになるはずがない。間違いなく俺がサイベリアで働き始めてから一番の混雑具合だった。
呆気に取られながらも人だかりを観察してみると、あることに気が付く。
「これ、全員雀桜生じゃないか……?」
そう、人だかりを形成している全員が雀桜の制服を着ているのだ。どうやら雀桜生の集団がなんらかの理由でサイベリアに押し寄せているらしい。
…………嫌な予感がした。
「悪い颯太、今日ナシでいいか? 俺ちょっと行ってくるわ」
「お、おう……バイト頑張ってな……?」
困惑している颯太を置いて、俺はバックヤードに駆け出した。
◆
「おお夏樹! マジでいいところに来た! 悪いけど今すぐ入れるか!?」
バックヤードに入ると、冷凍庫を漁っていた先輩の宗田さんがガッチリとした筋肉質の身体を揺らしてこっちに向かってきた。いつもはピークタイムでも余裕でキッチンを捌いている宗田さんがこの様子ということは、きっと中は地獄だ。一瞬で状況を理解し急いで手を洗う。
「手洗ったらすぐ入ります。ホールでいいですか?」
「おう、悪いけど頼む! あのかっけえ新人の子が一人で頑張ってるから助けてやってくれ!」
「ええっ、一人ですか!?」
まさかの状況に思わず聞き返してしまう。立華さんはまだ教育すら全然終わっていないのに。
「キッチンが全然人足りてなくてよ。そしたらあの新人が『ボクに任せてくれ』って出ていったんだ。そういうことだからマッハで頼むわ!」
そう言い残して、宗田さんは勢いよくドアの向こうに消えていく。
「……大丈夫かな、立華さん」
昨日教えたのは案内とバッシングだけだし、案内に関してはまだ実際にお客様相手にやってもいない。とにかく不安だ。俺は急いでスーツに着替えると、ホールに飛び出した。
「おはようございます! 今日も一日よろしくお願いします!」
俺を出迎えたのは嵐のような黄色い歓声だった。
「一織様っ、こっちにもスマイルお願いしますううううっ!」
「あっあっマジ無理尊すぎ死ぬ」
「写真……写真撮らなきゃ……今日来れなかったみんなの為にも……!」
ホールを埋め尽くす雀桜生に思わずたじろいでしまう。勝手知ったるサイベリアが、今はまるで雀桜高校そのものになってしまったようだった。とてつもないアウェー感に背筋がビリビリと痺れる。
そして────その中で強烈な存在感を放っている存在が一人。
「ふふ、全く仕方ない子猫ちゃん達だね。あまりボクを困らせないでおくれよ?」
スーツ姿の立華さんが、沢山の雀桜生に囲まれながら、ラムネみたいに爽やかな笑顔を周囲に振りまいていた。背の高い立華さんは女の子に囲まれていてもどこにいるかすぐに分かったし、表情もはっきりと見えた。
「…………な、なんだこりゃ」
一瞬、アイドルのライブ会場にでも来てしまったのかと錯覚する。それくらい立華さんは輝いていて、皆の目はハートマークになっていた。
「ほら、皆席に戻ってくれるかな。店の迷惑になってしまうからね」
「分かりました……」
「一織様、絶対私達の席に来てくださいね?」
立華さんの一言で、雀桜生達が名残惜しそうにそれぞれのテーブルに散っていく。
そして、残された立華さんと俺の目が合った。俺に気が付いた立華さんが悠然とした足取りで近付いてくる。二日目にして既に「慣れ親しんだ我がサイベリア」といった風格だ。
「夏樹。来てくれると信じていたよ」
立華さんは相変わらずイケメンで、近くで見るとやっぱりドキッとした。ここまで顔が整っていると性別なんて関係ないのかもしれない。いや、立華さんはれっきとした女の子なんだけどね。
……それはそれとして。
「今ってどんな状況? 何か困ってることとかある?」
「今のところは問題ないよ。案内は昨日夏樹から教えてもらったからね」
ざっと周囲を見渡してみると、まだどのテーブルも案内したてのようだった。蒼鷹も雀桜も下校時間はそう変わらないだろうから、俺と同じく皆来たばかりなんだろう。
……キッチンがてんやわんやするわけだ。普通はこの時間から夜のピークタイムに向けて色々準備し始めるのに、いきなり夜でもありえないようなピークタイムに突入したんだから。
「実は今日、学校で知り合いにアルバイトを始めたと打ち明けたんだ。そうしたらいつの間にか噂が広まってしまってね。この有様というわけさ」
立華さんが軽く両手を広げた。そんな一挙手一投足を各テーブルから皆が見守っている。カメラアプリのシャッター音がいくつも響いた。
「うちの生徒で席が埋まってしまったけれど、もしかして迷惑だったりするだろうか? もしそうなら心苦しいがボクが皆に伝えるよ。大丈夫、皆聞き分けのいい子達だから」
言葉の割に平然とした表情で立華さんは言う。本当に心苦しいと思っているんだろうか。もしくは自分の言葉は絶対に理解してくれるという自信があるのか。恐らく後者だろう。
「それは大丈夫。テスト前は学生で埋まったりするしね。ちゃんと注文してくれれば問題ないよ。ドリンクバーだけで数時間粘られたりしたらちょっと困るけど」
「そうか、それは安心した。なら沢山頼んでくれるように皆にお願いしておくよ」
それはそれでキッチンの人が困るだろうな────そう思ったけど、立華さんを前にして俺は何も言えなかった。
そんなわけで突如訪れた激動の一日は驚くほど一瞬で過ぎていき、気が付けば退勤の時間になっていた。時間が経つにつれ徐々に数を減らしていったものの、まだ何人かの雀桜生がそれぞれのテーブルから立華さんに熱い視線を送っている。門限は大丈夫なんだろうか。