────その瞬間、俺の中でスイッチが入る。そうプログラムされているみたいに、自然と笑顔に切り替わる。立華さんがイケメンだとかそういうことは頭の中からすっ飛んでいく。今目の前にいるのは一人の『お客様』だ。
「いらっしゃいませ。何名様でしょうか?」
「あ、えっと……二人かな」
「二名様ですね。それではご案内致します」
片手をあげ、窓際の少し小さめのテーブル席へ案内する。足音で立華さんがついてきているのが分かった。
「こちらの席でお願い致します。ごゆっくりどうぞ」
自然と下がっていた頭を上げると、立華さんが不思議そうな目で俺を見ていた。何か変だったかな。
「夏樹、なんだか急に人が変わったね?」
「そうかな?」
確かに仕事モードに切り替えたけど、そこまでの違いはないと思うんだよな。
「全然違う。笑顔なんか見せちゃってさ」
「笑顔は接客の基本だから。立華さんも笑顔で接客するんだからね」
「それは任せてくれ。笑顔は得意分野なんだ」
そう言って立華さんは雑誌の表紙みたいな微笑を浮かべる。かっこいいけど何か違う気もした。それはおもてなしの笑顔ではなく、誰かを魅了する時の笑顔なんじゃないだろうか。さっきのOLに見せた日には、きっととんでもないことになる。
◆
正直に言えば、立華さんがちゃんと接客できるのか、かなり不安だった。いきなりお客様に手を振るなんて、そんなことは俺の常識にない。話し方もちょっと変わっているし、果たして俺の見本通りにやってくれるかどうか。
────と、思っていたのだが。
「いらっしゃいませ。何名様でしょうか?」
にこやかで愛想のいい笑みを浮かべた立華さんが俺を出迎えた。人が変わったような態度に思わず言葉が詰まってしまう。
「っ、三人で」
「三名様ですね。それではご案内致します」
流麗な動作で歩いていく立華さんの背中を、俺は驚き半分、感心半分の気持ちで見つめる。
どうやら立華さんは、一度俺の接客の仕方を見ただけで完璧にマスターしてしまったらしい。それは本当に凄いことだ。普通、言葉は覚えられても、緊張してすらすらと口から出てこない。
「こちらの席でお願い致します。ごゆっくりどうぞ」
立華さんがぺこりと礼をする。俺は立華さんが顔を上げるのを待ち、拍手を送った。
「凄い、凄いよ立華さん。完璧だ」
「そうかな? それは嬉しいね」
立華さんは王子様モードに戻っていた。つい、言ってしまう。
「まさか普通に接客できるなんて。てっきり王子様モードでやるのかと思ってたけど」
「ほう?」
俺の言葉に反応して、立華さんは挑発的な目を俺に向けた。マズいと思ったがもう遅い。肩に手を乗せ、耳元に顔を近付けてくる。
「────これでやっていいなら、そうするけど?」
「っ!?」
耳がイケボに蹂躙され思わず後ずさる。一瞬の出来事で何が起きたのか理解が追い付かない。ただひたすらにドキッとした。注意しようと顔を上げると、立華さんはいたずらが成功した子供のような笑みを浮かべていた。
「そ、それでやっていいのは友達が来た時だけ! あとは普通に今の感じで接客すること。分かった?」
「はーい。了解したよ、夏樹」
俺がつい言ってしまったその言葉のせいで、まさかあんなことになるなんて────この時の俺は全く予想していなかった。
◆
「はあああっ!? おい夏樹っ、それマジかよ!?」
「ちょっ颯汰、声デカいって」
すぐにでも言いたい気持ちをなんとか昼休みまで我慢し、俺は昨日の出来事を颯太に打ち明けた。驚くだろうなとは思っていたけど颯太のリアクションはそれ以上で、食べていたご飯粒がこちらに飛んできてテーブルに着地した。跡が付く前にティッシュでさっとふき取る。
「わ、悪い……でも流石にびっくりするって。夏樹は昨日知ったのか?」
「実は一週間前くらいから知ってたんだけどさ。噂になったら困るから言わなかったんだ」
自然とひそひそ声になる俺達。颯太の大きな声でこちらに注目していたクラスメイトも、これ以上情報が耳に入ってこないと悟るや興味を失ってそれぞれの会話に戻っていく。
「なるほどな……で、どうだったんだよ?」
「どうだったって?」
「見た目だよ見た目。マジで『王子様』だったのか?」
「それはまあ、うん。見た目というか……存在自体が。俺達が雀桜生から相手にされないのも仕方ないって感じたね」
俺の言葉に、颯汰が推理を始めた探偵のような真剣な表情になる。
「なんだよそれ、めちゃくちゃ気になるじゃん。俺、見に行こっかな」
「いいけど、ちゃんと売上に貢献してくれよ。今日だったら俺も立華さんもシフト入ってるけど」
「お、じゃあ行くわ。ポテトいい感じに頼むぜ?」
「あいよ。分かってると思うけど、この話は秘密だからな?」
蒼鷹生の中には一方的に『雀桜の王子様』をライバル視している人間も少なくない。変な雰囲気になってお店に来られても面倒だし、立華さんに迷惑がかかってしまうかもしれない。
「分かってるって。でも、無駄だと思うぞ? 噂なんてすぐに広がっちまうからな」
「それでもだよ。自然にバレるならそれはもう俺の責任じゃないからね」
というか、すぐにバレるんだろうなと思っている。立華さんの纏うオーラはどう考えてもなんの変哲もない街のファミレスであるサイベリアには相応しくない。きっと「もの凄くイケメンな店員がいる」とか噂になって、それがあの『雀桜の王子様』だということは、一か月もすれば蒼鷹生の耳にも入ってしまうんじゃないか。
◆
そんなわけで、立華さんがサイベリアで働いていることはいずれ蒼鷹生全員の知るところになるんだろうな──と考えていたんだが。
「な、なんだこりゃ……?」
人。
人。
人人人人人人人人人。
放課後サイベリアにやってきた俺達は、ホールを埋め尽くさんばかりの、いや実際に埋め尽くして駐車場まではみ出している人だかりに足を止めた。