女子校の『王子様』がバイト先で俺にだけ『乙女』な顔を見せてくる

一章 雀桜の『王子様』 ③

「思ったよりも広いね。これがバックヤードというやつか。店の裏側がこうなっているなんて想像もしなかったよ」


 たちばなさんはきょろきょろと周囲に視線を彷徨さまよわせてつぶやく。初出勤なのにどうしてこんなに堂々としていられるんだろう。自分の初出勤の時とはえらいちがいだ。あの時は何もかもが初めてで、責任感につぶされそうになっていた気がする。職場でリラックスできるようになったのは一か月以上先のことだった。


「…………あのうわさ、絶対本当だ」


 俺は確信する。

 これは、勝てない。

 勝てるわけがない。


じやくおうの王子様』、たちばな一織いおりは────どうしてこんな所にいるのか分からないレベルのイケメンだった。ボーイッシュ系女優としてテレビに出ているか、ファッション雑誌の表紙をかざっているか、そうでもなければどこかの国の王子様にでもなっていないとおかしいようなオーラをまとっていた。

 じようだんではなく、本気でそう思った。


なつ、制服を頂きたいんだが」


 荷物を置いたたちばなさんがもどってくる。歩き方までりんとして様になっていた。


「あ、ああ────そうだった。サイズって分かる? 多分SかMだと思うけど」

「そうだね……なつが着ているのは?」

「これは確かMだったかな」


 答えると、たちばなさんが目の前までやってきて、俺の身体からだわせるように両手をばす。うで流石さすがに俺の方が長い。なんのまんにもなりはしないけど。


「Mでこれなら、私はSだろうね。ピッタリしている方がかっこよさそうだ」

「あ、でも男性用と女性用でデザインがちがうからどうだろう」


 多分店長のしゆなんだろうけど、うちの制服は男女ともにかなりっている。キッチンとホールでまずちがうし、ホール用は男性はスーツにちようネクタイ、女性はたけの短いメイド服だ。

 俺が女性用の制服をたなから出そうとすると、たちばなさんがおどろきの提案をする。


「いや、なつが着ているのと同じデザインがいい。それをもらえないだろうか?」

「…………ちょっとそれは俺じゃ決められない気がするなあ」


 はっきり言って、サイベリアは店長のワンマンぎようだ。店長がいいと言えば基本的にどんなことでも通るという、おどろきのシステムを採用している。だから本来なら店長に相談するところだけど……店長はこう言った。

 ────なつ、あとは任せたよ。

 なら、ここは俺が判断しなければならない。それなら答えは一つだった。それに、多分店長も同じことを言うような気がしたんだ。


「いいや、たちばなさんは男性用で」

「いいのかい? 今しがた決められないと言っていた気がするが」

たちばなさんのことは店長から任されてるんだ。だから、いいよ」


 男性用の制服をわたすと、たちばなさんが真っすぐ俺の目を見て笑った。


「ありがとう、なつ。どうやらボクはいいせんぱいめぐえたようだね」


 そのがおを見てさとった。────完全にお手上げだ。『じやくおうの王子様』に勝てる男なんているわけがない。俺達、彼女を作るのはあきらめた方が良さそうだぞ。

 明日登校したら、そうそうに打ち明けようと思う



 何事もやらせてみるのが一番、というのがこの一年サイベリアで働いた俺の持論だった。そんなわけで俺達はいきなりホールにやってきている。


「おお、これがホールか。流石さすがに少しきんちようするね」


 本当に?

 と、ついいてしまいそうになるくらいたちばなさんは落ち着いていた。ものめずらしそうに店内やお客様に視線をやっていて、きんちようしている様子は全くない。俺が初めてホールに出た時なんてちょっと足がふるえたのに。


「じゃあ一通り案内するね。ついてきてくれるかな」

りようかいした。済まないがよろしくたのむ」


 たちばなさんを連れてホールを一周する。レジやカウンター、テーブル番号などを教えるだけだからそこまで時間はからないと思ったんだが────残念ながら俺の見立ては甘かった。

 …………いや、こんなのだれが予想できるんだよ。

 たちばなさんが足を止めた。視線の先には十五番テーブル。そこに座っているのはスーツ姿の若い女性が二人、おそらくは仕事終わりのOLだろう。こちらを見て顔を赤くしている。たちばなさんを見ているのは明らかだった。

 今のたちばなさんはサイベリアの男性用制服であるスーツ姿。一見すると、いや、じっくりと観察した上でもただのちようぜつイケメンにしか見えない。服装の先入観もあるといえど、まさか女の子だなんて思いもしないだろう。


「あの子達、わいいね」


 たちばなさんは小さくそうつぶやくと、二人に向かって軽く手をった。自分よりはるかに年上の社会人をつかまえて「あの子達」ときたか。もちろんお客様に向かってそんな態度はタブーである…………が。

 そのしゆんかん────OL二人組はハジけた。


「…………わお」


 二人の間でなんらかの感情がばくはつしたのが分かった。口元を押さえたりテーブルにしてみたりと激しく身体からだふるわせている。それがどういう感情なのかは想像にかたくない。こうやってそうよう生は冬の時代を過ごすことになったのか。


「ふむ、ウェイトレスはボクの天職かもしれないな」

「いやいや、ちがうから。今のは接客じゃないからね」

「そうなのかい?」


 きょとんとした表情で首をかしげるたちばなさんは、どこまでふざけているのか判断が難しい。顔が整っているとなんでも本気で言っているように聞こえる。


「お客様に手をることはホールの仕事に入ってないから。それはホストとかそういう夜の職業だと思う」

「ホストか、それもいいね」


 やはり本気なのか分からないことを口にするたちばなさん。きっとホストになったらめちゃくちゃ人気が出るんだろうな。


「じゃあ、ホールの仕事を教えてくれるかな?」

もちろん。そのためにホールに来たからね。じゃあさつそく接客の練習をしてみようか」


 気を取り直し、ホールの入り口へと移動する。いくらひまな時間とはいえ他のスタッフさんに一人でホールを任せてしまっているので、ふざけているひまはない。


「まずは案内から。俺がお手本を見せるから、たちばなさんはお客様として入ってきてくれる?」

りようかいした」


 たちばなさんが店のドアから出ていき、そしてもどってくる。カランカランと来店を告げるベルが鳴る。