女子校の『王子様』がバイト先で俺にだけ『乙女』な顔を見せてくる

一章 雀桜の『王子様』 ②

 じやくおうOBの店長には俺がたんたんとしている理由が分からないらしい。カーテンの向こうからこんわくしたような声が聞こえてくる。

 確かに例年なら同じバイト先のじやくおう生など「カップル確率100%」だったんだろうが、今はちがう。そうようじやくおうは国交断絶、大きなへだたりが生じてしまっていた。


「昔はそうだったのかもしれないですけど、今のそうようじやくおうの間には何もありませんよ。たちばな……なんとかっていうじやくおう生が向こうで『王子様』って言われてて、女子人気は全部そっちにいっちゃってるんですよ」


 言ってて少し情けなくなる。それはつまり、一人の女子生徒に全そうよう生男子が負けているということだからだ。

 まんのような俺の話を店長は茶化さなかった。

 そしてその代わりに────変なことをいてきた。


「それって『たちばな一織いおり』って名前だったりするか?」

「え、店長知ってるんですか?」


 店長の口からまさかの名前が飛び出した。『じやくおうの王子様』、たちばな一織いおりの名はこんな所にまでとどろいていたのか。


「ああ。だって────さっき面接した子、その『たちばな一織いおり』だから」

「はっ!?」


 しようげき的な言葉に、俺ははんなのも忘れてこうしつのカーテンをはじき開ける。


「良かったな、なつ?」


 れきしよから顔を上げた店長が、俺を見てにやっとくちげた。



 それから数日がち、ついにたちばな一織いおりの初出勤の日がやってきた。


「私はこれから他のてんを回ってくるから、新人のことはなつたのんだよ?」

「…………はい」


 店長は明らかにこのじようきようを楽しんでいて、本来なら社員がやるべきオリエンテーションを俺に押し付ける始末。そんなわけで俺はさっきからバックヤード内をうろうろとしていた。流石さすがに気持ちが落ち着かない。


「…………いやいや、仕事は仕事だろ」


 ふわふわしている心をいつかつする。

 別に新人が男だろうが女だろうが、それがじやくおうの王子様だろうが関係ない。確かに「実在したのか」というおどろきはあるけど、うわさだってどこまでが本当か分からない。案外、つうの女の子が来るかもしれないぞ。それなのに教育係の俺がうきあしっていたらきっとたちばなさんはこんわくするだろう。それは店長からのしんらいを裏切ることになってしまうんじゃないか。


「……そもそも、一人の生徒がじやくおう生全員かられられているなんてあるわけがない。イケメンアイドルだったとしても信じられないのに、女の子だなんて」


 いくらその辺りが多様になってきた時代とはいえ、流石さすがにフィクションが過ぎる。今どき少女まんですらそんな設定ないんじゃないか。読んだことないから分からないけど。

 時計の針が進むのがやけにおそく感じる。朝礼まではあと十五分。来るとしたら、多分そろそろだ。

 もう一度姿見の前に立ち、コロコロで制服をれいにしていく。何度もやっているのでもうホコリ一つ付いていない。


「整理」「せいとん」「せいそう」「清潔」「しつけ」の5Sは飲食店で働く上では何よりも大切だ。俺がそこを欠かしていては、それを見たたちばなさんは「あ、こんなものでいいんだ」と思ってしまうだろう。俺のせいでたちばなさんの評価が下がるのは頂けない。

 俺がコロコロをフックにもどすと同時────重たい金属のとびらが、音を立てて開いた。

 かえる。

 目が合う。


「今日からここで世話になるたちばな一織いおりという者だが────店長さんはいるだろうか?」


 ────とんでもないイケメン美少女が、そこにいた。



 あまり女性をジロジロと見るのは失礼だと分かっているんだが、つい見てしまう。それくらいは許してほしい。たちばな一織いおりそうよう生にとってどんなアイドルよりも気になる存在だ。


「これで合っているかい?」

だいじよう。その後は手のひらと指の間ね」

りようかいした」


 手洗いをするたちばなさんをチェックしながら、ちらちらと全身をかくにんする。

 少年のようにも見えるくろかみのショートヘアの下には切れ長の大きなひとみさんさんかがやき、その視線はかべに貼り付けてある「手洗いのすすめ」へと真っすぐに注がれている。すらっとしたれいな鼻筋の先にはうすピンク色のくちびるひかえめに存在を主張していて、それらがかんぺきなバランスで配置されていた。とにかく顔が小さくて俺はつい確かめるように自分のほおさわってしまう。

 身長はかなり高い方だ。俺と目線がほぼ変わらないから、おそらく170センチくらい。じやくおうの制服のスカートから健康的な長いあしが真っすぐびていて、つい目が止まる。

 そういやサイベリアの制服のサイズはいくつだろうか。あとで聞かないといけないな。


「手首は五回ずつでいいよ」

「おっと。やりすぎてしまったか……これでどうだろうか?」


 たちばなさんがピカピカになった手を俺に見せてくる。白い指がちようこくみたいにれいだった。じようだんみたいに整った顔で見つめられ、不意打ちをくらった胸が高鳴る。イケメンにときめく女の子の気持ちが分かった気がした。


かんぺき。じゃあ────うん、どうしようか」


 段取りを何も考えていなかった俺は、さつそく困り果てた。なにせオリエンテーションなどやったことがない。考える時間もなかった。


「店長さんはいないのかい?」


 たちばなさんの声は少しかすれたようなハスキーボイスで、不思議と聞いているとホッとする。世間で大バズりしている女性シンガーソングライターに少し似ている気がした。つまりイケボだ。


「困ったことにね。一応俺がたちばなさんの教育を任されているんだけど」

「そうなのかい? えっと……やまぶきなつ、でいいのかな?」


 たちばなさんがぐいっと顔を近づけて俺の名札を見る。するとこうすいをつけているみたいに、ペパーミントのようなさわやかなにおいがこうをくすぐった。


「うん、よろしくねたちばなさん」

「こちらこそよろしく、なつ


 いきなり下の名前で呼ばれ面食らってしまう。たちばなさんは俺にほほみを一つ残して、奥の荷物置きに歩いていく。


「荷物はここで構わないかな?」

「うん。適当に空いてるスペースに置いちゃってだいじよう